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昭和から平成のジャズ・フェス録画映像の中に残っていた、懐かしのCM映像☆ 本日の作品;vol.146 [デジタル化格闘記]

これまでの3回は、昭和から平成始めのジャズ・ライブの映像をご紹介してまいりましたが、今回は・・・・・・。

今ではこうしたジャズ・ライブの番組にお目にかかる機会は少なくなり、あっったとしてもNHKかWOW WOWというのが相場になってしまったように思うのですけど、実はこれまでご紹介して来た昭和の終わりから平成初めの映像の放映元はすべて民放からのもの。
このあたり、当時は容易にスポンサーがついたバブルの時代だったからということもあるのでしょうけど、民放というとやはりスポンサーありきということで放送に必ずついてくるのがCM。

実は、これまでご紹介して来た映像は、DVDもBDもない、まだアナログのビデオ時代に収録したものなので、当然民放の番組の収録とあってCMも録画されていて、それが現代のデジタルのように簡単にカット出来し再編集すれば映像の質の低下を招いてしまうことから、手を入れることもなくそのまま残していたのです。

ナベサダ KIRIN CM SnapShot.jpg


そうしたそれらのCM、今ではいつもCMなどさっさとカットしてしまいまともに見ることはない私ですが、しかし、それらの映像は皆アナログとあり、どうしても見ざるおえない状況から否応なし見るはめになってしまったところ、それらのCM、30年経った今見てみると、その時代背景を肌で感じれたり、またジャズ・フェスティバルのスポンサードならではの趣向があってなかなか興味深く面白いもの。、

という訳で、ジャズを楽しみながら見つけた印象に残ったCM、それらを選んでご紹介することにいたしました。


さて、これらジャズ・フェスティバルの放送のスポンサー、CMを見てみると中にはジャズとは無縁と思われる企業まで、実に多くの企業がCMを流していたことに驚かされるのですが、中でも目新しかったのは、この当時パーソナル分野にも広がりつつあった、コンピュター・メーカーのCM。

当時は最先端の感覚があったのですが、今見ると.................
一体どんなCMだったのか、まずはご覧いただきましょう。



浅香唯が登場する、沖電気のパソコンのCM。
今でこそ、沖電気のパソコンなんてどこにもありませんが、この当時NECや富士通以上にこの分野では評価の高い企業だったのですよ。

それにしても、初々しい浅香唯さんの姿が、今では陳腐となってしまった当時のパソコンのCMであったことを忘れさせ、色褪せることない魅力を放っています。


そしてお次は、
今では、ジャズ番組のスポンサーになるなんて、まずありえない企業のこんなCM。
どんな業種の企業が登場するのか、ちょと覗いてみて下さい。



東京証券のCMです。
ジャズの世界とはまったく別世界にある証券会社までもがスポンサーとなっている、バブルの時代ならでは感じさせる時代の一コマという感じです。

そう証券会社といえば、もう一つ。
バブル崩壊後、金融破綻の恐ろしさを国民に強く印象付けることとなったあの証券会社も、スポンサーとなっていたのです。



山一証券のCM。
後に、日本の経済を揺るがす大惨事を引き起こすことになる、そうした不安を微塵にも感じさせない、のどかかつ明日への希望さえ感じさせるCMですね。


さて、ジャズ・フェスとはかけ離れたCM映像ばかりをご覧に入れてきましたが、日本の企業は金儲けばかりに明け暮れる野暮な連中ばかりではない、日本の代表的ジャズ・アーティストを起用した、こんな粋なCMもありました。



日野皓正さんが登場するKIRINのCM。
1987年に放映されたものですが、この時期の日野さん、毎年山中湖の湖畔で開催されるMt.Fuji Jazz FestivalのTV収録では、演奏だけでなくインタビュアも務めるなど、共にかなり乗り乗りの様子丸見えで、このCMでもそうした様子が反映されなかなかの仕上がりとなっているように感じます。

そして、日野皓正さんが、登場なればこの人も.................. !!!





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昭和~平成!! 音楽の祭典 花盛り☆ 本日の作品;vol.145    [デジタル化格闘記]

ここまで、2回にわたり我家のビデオ・ライブラリーから発掘した平成始まりの頃のジャズのライブ映像をご紹介して来ましたが、今回も引き続きその発掘映像から。

1回目、2回目と結構お宝ともいえるLive映像を見つけることが出来、さらに柳の下には何かあるのではと続けていろいろあさってみたところ、気付かされたのは昭和の終わりから平成の初めに開催されていたジャズ・フェスティバルの数の多さ。

見つけ出したビデオを見てみると、その開催地は都市圏だけに及ばず、特に夏には高原や海浜などの全国のリゾート地など全国至る所で開催されていた状況が見えて来たのです。

今更ながらであはるものの、ずいぶん多くのジャズ・フェスが開かれていたのだなと驚き、あの時代の社会情勢を思い返してみると、時は日本全土が未曾有の好景気に湧いたバブルの時代。

音楽界もそうしたバブルの波に乗って全国津々浦々お祭り騒ぎが繰り広げられた結果、こうしたことになったのかなと考え、どこかにその残映が写っていないかと、もう一度それらフェスティバルの映像を見てみると、これこそ正にと思しきものを見つけたのです。



それがこの写真!!

Tsumura Summer Jazz '90 Stage View.jpg


いかがですか
見ていただき、このステージ、ちょと妙な所があるのわかりますか?





そう、ステージの両袖に設けられている大きな広告看板のようなもの!!
通常のライブでは、このようなものありませんよね。

そして、その看板、よく見てみると何かマークと”ツムラ”という文字が書かれています。
お察しの良い方は、もうお分かりかと思いますが、
これは...................、


バスクリンで有名な漢方薬品メーカーの”ツムラ”の社章と社名ロゴ。
それにしても、薬品メーカーとジャズ、あまり縁がなさそうな、ちょっとその結びつき、思い浮かないですよね。

そこで、その訳。
それは、この映像の中にあるのですけど.....



これは、1990年の夏に開催された、Tsumura Summer Jazzの、オープニングでの”ツムラ・イリュージョン・バンド”の演奏映像です。

さて、このバンドと”ツムラ”との関係、そのヒントは映像の中でのメンバー紹介にあるのですが、

そうです、紹介されたメンバーの一人、バンジョーを弾いていた方、
津村昭という名で紹介されていましたよね。

実はこの津村昭氏、”㈱ツムラ”の創業者一族の一人でこの時期の”㈱ツムラ”の3代目社長を勤めていた方なのです。

そこで調べてみると、
この頃の”㈱ツムラ”、多角化の一環としてフジサンケイグループが主催したサーカス等のイベントに協賛、「ツムライリュージョン」という名称で興行が行っていなっていたというのです。

そうしたことから、最初”ツムラ・イリュージョン・バンド”を名を見た時は「どうせ社長かなんかの道楽だろう!」とたかをくくってその演奏を見始めたのですが、見進んでいくうちに驚いたことにこのバンド、そこに参加しているアーティストの顔ぶれの凄さ!!!!
クラリネットの北村英治と藤家虹二、トロンボーン 薗田憲一、テナー・サックス 松本英彦、ピアノ 前田憲夫、ドラム ジョー川口等、当時の名高い日本の超一流どころが顔をそろえていたのです。

これだけのアーティストが一堂に会し一緒に演奏するなどというのは、なかなか珍しい出来事。

これは、かなりの本気モード、となれば津村氏のバンジョーもと思い、そちらにもじっど耳を傾け聴いてみると、これまたなかなかの腕前のよう。

となれば、この後に続く出演者の顔ぶれもかなり期待できそう、こうした多くのアーティスト集うフェスティバルでは、レコーディングや一人のアーティストの単独コンサートではお目にかかれない、珍しい顔合わせによる演奏が見れるものと、引き続き見て行くと。

そこで出会ったのがその珍しい顔合わせ、それもかなり珍しい貴重なもの。
それは、そのアーティストが好きで彼らのディスコグラフィを度々チェックしていた私も、ここで初めてこの二人が一緒に演奏をしているのを見、聴いたもの。

ということで、その超珍しい顔合わせによるピアノ・カルテットの演奏、引き続きご覧いただくことにいたしましょう。





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サウンドに革新をもたらした男、在りし日の熱きドラム・プレイ;Elvin Jones in Japan '91・本日の作品;vol.144   [デジタル化格闘記]

前回の記事でご紹介した、30年前のライブ映像。
思いのほか、状態も良く演奏も質もかなり良かったことから、ならば他にも何かあるかもしれないと、柳の下には、もうドジョウはいないかもと思いながら捨てる気でいたビデオ・テープの山を再度物色してみたのですが、もうないと思った柳の下から、また1本。

そのライブ映像さっそく視聴したところ、ほぼ同時期のヨーロッパでのLive音源はCD化されていいるものの、映像としては市販化されていないものようで、その上画質も演奏の質も良かったことから、再びデジタル化作業かかることにしたのです。


ところが、作業をを始めてしばらくして、ひょっこりと顔を擡げ出て来たのが、ここ数年沈静化していた持病の悪化。
当初は、これまでと症状が違っていたことから何の病かわからず、軽い夏風邪かな程度と思っていたのですが次第に発熱、とうとう高熱が続くようになり医者に通うもなかなか快方に向かわず、その原因突き止め適切な投薬開始となるまで結構時間がかかってしまい、10日間余り寝たきり状態となってしまったのです。

体質病なので、完治しても再発すると医者からは言われ気を付けているのですけどね、おかげで記事の更新もまた1ケ月ほど滞ってしまうことになってしまいました。



とは言いながらもなんとか床を離れられるまでに回復、そこで作業再開、そうしてデジタル化作業を終えた、その映像を、今回は、またひとつご紹介したいと思います。


そのプレイを捉えたアーティストは、現代ドラムの技法を大きく変え後進に多くな影響を及ぼしたドラマーのElvin Jones。

elvin jones.jpg


そして、この写真がドラムを叩くElvinの姿。
この迫力の面構え、これだけでもおのずから革新手的と言われた白熱の彼のドラム・プレーへの期待が湧いて来るのではないかと思います。

2004年に他界(享年76歳)してしまった彼ですけれど、Elvin Jonesといえば、60年代ジャズを革新を起こし、その後のジャズに大きな影響(ジャズをおかしくしてしまったという方もいらっしゃいますが)を残したジャズ史上にその名を深く刻まれたあの名高いJohn Coltraneの黄金のカルテットのメンバーとしてMcCoy Tyner(ピアノ)、Jimmy Garrison(ベース)共に、強烈なパワーで炸裂し続ける圧倒的なドラム・プレーで、その一翼を担い、新たなジャズの流れを築くに多い貢献したアーティストとして、その名を思い出す人が多いのではと思いますが、今回掲載した映像は、1966年、フリーの道に足を踏み入れだしたColtraneと、目指す音楽の方向性の違いから袂を別ったElvinが、その後独立、1980年代になって結成したグループ”JAZZ MACHINE” の1991年来日時の東京・青山Blue NoteでのLive。

そこで見るEllvinは、リーダーとして、Coltrane時代のようなひたすら他を圧倒するよう激しいプレーからは一歩身を引き、個々のメンバーの動きにも気を配りつつ彼らの主張も受け入れながらグループとして、その音楽の奥行きを築いて行くかのようにも見える、そのドラム・プレーが聴きどころと思えるもの。

まずは演奏をご覧いただく前に、在りし日のElvinがこの来日時に、その”JAZZ MACHINE”に訥々とその胸の内を語っているインタビュー映像がありましたので、このグループにかけた彼のその意気込み、そこから始めることにいたしましょう。



音楽という表現手法で、多くの人々との密な心の繋がりを築き、共にその音楽を深めていこうしている彼の姿勢が良くわかる映像だったのではと思います。

それにしても、前掲のElvinの写真で感じた彼の印象、実は、私もその昔初めてColtraneカルテットでプレイする彼のポートレイトを見た時は、随分恐ろしげな人とだという印象を受けたのですけど、このインタビュー見て、その言葉一つ一つに音楽に対する熱い情熱と、人を引き寄つけてやまない無限の暖かさが、そのシャイな表情の中から見えて来る、そのことに、私自身もあらためてElvinというアーティストの偉大さを知ることになったのです。

さて、この映像をご覧いただきElvinの音楽にかけるその意気込みを感じていただいたたところで、今度はその演奏映像、この辺で1曲ご覧いただきその真髄、味わっていただくことにいたしましょう。









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令和の曙に見つけた、平成のJazz・Live事始め (平成Live映像 発掘記) 本日の作品;vol.143  [デジタル化格闘記]

平成から令和への改元を迎え、多くの人が10連休の恩恵に預かった今年のゴールデン・ウィーク。

私も、中1日の出勤はあったものの、珍しく9日間の休みをとることが出来たのですが、仕事柄、元来、平日に数日間の休みを取らなければならなく身、そうしたことから、こうした時期、どこへ行っても人ばかりでわざわざ疲れに行くようなもの、こんな時あえて人ごみの中に出掛けることはない、また人の少ない平日に行けばいいと、実家に行き、亡くなった父の遺品の片付けをすることにしたのです。

そうしたところ、出て来たのが古いVHSビデオテープ・デッキ。
ちゃんと動くのかと状態を見たところ、どうやら問題はなさそう、我が家のデッキは壊れてしまったしということで、家に持ち帰りさっそく、我が家のAV機器と接続、仕舞ってあったビデオ・テープの中から手に触れたものを内容も確認せずに取り出し視聴したところ、綺麗に再生できたことに一安心、ところが、そのビデオの収められていた映像、それを良く見てみたところ、そこに収録されていた内容にビックリ!!

なんと、それは、当時富士山の麓にある山中湖の湖畔で毎年8月に行われていたマウント・富士 ジャズフェステバル、それの1989年(平成元年)開催の映像だったのです。

このフェスティバル、1986年に始まり、ジャズの名門レコード・レーベルBlue Noteレコードに所縁のアーティストによるジャズの祭典として2004年まで続いていたものなのですが、よりにもよって平成から令和に変わったばかりの5月の1日に今から30年も前の平成元年の映像が出てくるとなんて!!!。

ましては、1989年のこのフェスティバルは、Blue Noteレコード創業50周年を記念するとういう一つ時代の区切りなるものだったというのです。

改元の偶然だけでなくジャズ史の面からも貴重と思えるこの代物との唐突ともいえるその出会いに、ただの奇遇とは言い切れない何か運命的必然性が宿っているように思え、これは何としてデジタル化し残さねばならないと、それまでやっていた自宅に持ち込んだ荷物の片付けもそっちのけにして、さっそくその作業にかかることにしたのです。

mt fuji jazz festival 89.jpg


そして作業完了、大いなる期待を胸に視聴してまず感じたのは、このフェスティバルに出演したアーティストの顔ぶれの豪華絢爛さ。
Chick CoreaやGeorge Adams、Ralph Peterson等といった、ちょうどこの時期に制作したスタジオ・レコーディング作品が高い評価を受け、時代の潮流として活躍脚光を浴びていたアーティストの面々が日本の誇る美しい富士山麓の自然の下に、集結したと言ってもいいほどの凄さ。

忙しくスケジュールを合せることがかなり難しいと思われる面々が万障繰り合わせ、遠く離れたこの極東の地に集結していたということにまず驚き、ここで彼等がいかなるプレーを繰り広げたのかそのことに大いに興味をそそられて、全編を腰を据えこの30年前の饗宴の鑑賞することにしたのです。

そして視聴の結果は!!
さすが名だたるアーティストの饗宴、レコード・CDには残されていないアーティストの顔合わせによる演奏やこのフェスティバルでの再会を喜ぶその様子などが見られるなどその内容の豊富さ、そして演奏自体の質の高さに釘付けの状態となり、あっという間の2時間を過ごすことになってしまったのでした。

とにかく、どのアーティストの演奏も、この時期高い評価を受けていたスタジオ作品の出来を凌ぐ良質なものだったと感じたのがその感想、これは一人だけで楽しむだけではもったいない。

やはり、これは多くの人に見ていただかねばと考え、デジタル化作業に加え今回はそのLive映像の一部をUpすることいたしました。


最初の演奏は、親日家でも知られ、このフェスティバルにも、1989年までに開催された4回のうち3回に来日出演をしていた、40年の長き渡りジャズを牽引し多くの有能プレヤーを世に送り出してきたジャズ界の大御所的存在となっていたドラマーのArt Bleakyの演奏から、ご覧いたくことにいたしましょう。
 
曲は、Bleakyといえば”Mornin'”思い浮かべる方も多いかと思いますけど、フェスティバルと言えば欠かせない、それに並ぶ彼の名曲!!

”Blues March”からお聴きいただくことにいたしましょう。











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北欧の地に降臨した熱きバップの息吹;Jackie McLean ・The Meeting 本日の作品;vol.142  [デジタル化格闘記]

桜は満開を迎えたというのに、また冬に戻ったのではと思われる寒さに襲われることもあった今年の4月(卯月)。
おかげで例年なら、その見ごろ儚く短いもので、日々日常に追われ気付いたときには既に散ってしまっていたという思いのある桜の花も、今年は長い間、花を散らすこともなく、春の幕明けを彩り我々の目を楽しませてくれたものでしたが、そうしたこと思い出しながら今を見つめてみると、早いもので月はまもなく5月。

特に今年4月は平成も終わりの月ということなのか、この時期に来てようやく陽気の方も落ち着きみせ始め、暖かな陽射しが降り注ぐ日々が毎日続くようになった昨今、こうした情勢が訪れると、どういう訳か聴く音楽の方も元気でパワフルなものが欲しくなってくるもの。

そこで今回は、3月に紹介したKenny Drew作品を聴きながら記事をしたためた時に脳裏をかすめた、もう少し暖かくなってから聴いたなら、あらためてその良さの神髄がわかるのではと感じた、 Drewが参加したこんな作品を選ぶことにしてみました。

jackie mclean dexter gordon the meeting.jpg


それがこれ!!
アルトサックス奏者 Jackie McLeanの1973年の作品”The Meeting ”です。


本作は、1940年代末期に登場、Miles Davis、Charles Mingus、Sonny Clark、Mal Waldron等、50年代を代表するアーティストと共演、その彼等と共にこの時代を代表する数々の名作に数々の足跡を残してきた50年代を代表するアルト。サックスプレーヤーのJackie McLeanが、1968年に一旦活動を休止した後、72年にカム・バックを果たした直後のデンマーク、コペルハーゲンにあるクラブ モンマルトルでのライブでの彼のプレーを収めたもの。
相対するメンバーとして、一足早く欧州に渡り新境地を切り開き、当時脂の乗り切ったプレーを展開していたバップ期を代表するテナーサックス・プレーヤーのDexter Gordonや、そのGordon同じく60年代にアメリカより欧州に渡り在住、このライブの行われたデンマークはコペルハーゲンにあるクラブ モンマルトルのハウス・ピアニスト的存在になっていたKenny Drew、そしてその相棒であるデンマーク出身のベーシストNiels-Henning Ørsted Pedersen等、最良のメンバーに囲まれて、なんら縛られることのない欧州の空気の中で思う存分自分たちのジャズ、華やかなりし往年バップを歌った作品がこれなのです。

といいながらこの私、そもそもこの作品を手に入れたのは、McLeanやGordonのプレーが目当てではなく、コペルハーゲンに移ってからDrewのピアノが聴きたかったためで、しかしながらその当時は、サックスが2本フロントを飾る編成のサウンドはあまり好みではなくむしろ苦手としていたことから、Drewのピアノは聴き良いなあと思ったものの、演奏の大半を占めるサックスのプレーが小うるさく感じられてしまい、この作品、その後はとうとうじっくりと聴かずじまいでこれまたお蔵入りにしてしまっていたものなです。

さて、そうした経緯で久々に聴いたこの作品、その昔小うるさく感じた二人のサックス・プレイ、アルトとテナーの違いはあるも、共に硬質な音色でどちらかというとゴリゴリ吹きまくる印象のこの二人、私のいいかげんな記憶の中では、互いに煽りまくり白熱の余り自己を顕示するかのようなオーバー・ブローに陥ってしまい、聴かされる側としては、しまいにシラけてしまう、そうしたものであったように思っていたのですが、あらためて耳を澄まして聴いてみるとさにあらず。

McLeanもGordonもソロに入ると次第にヒート・アップして行き、かなり熱きサウンドを放っている様が聴き取れるのですが、そこでオーバー・ブローに陥ることなく互いに自己の持てる技を駆使しして真正面からぶつかり合っている、そんな様が聴こえて来たのです。


というところでその演奏、ここで耳傾けていただき、その真偽、確かめ味わっていただくことにいたしましょう。

曲は、”All Clean”です。








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Be BopとCoolの融合;Dizzy Gillespie:Stan Getz・ For Musicians Only [音源発掘]

200年ぶりとも言われる天皇陛下生前譲位を祝うかのように満開となった桜の季節に発表された新しい元号”令和”。
そうした、命はぐくむ春の訪れと共に告げられたこの新しい時代の名前に、何かわくわくとしたものを感じる今日この頃ですが、今回も当ブログ、これまでに引き続き、”その昔聴くも、長い間我ライブラリーに眠ってしまっていた作品”発掘”のお話。

今回選ぶことにしたのは、新年早々拝見させていただいたログ友さんのStan Getzの記事からの教示を受け、もう一歩踏み込んでこのGetzというアーティストを聴き語てみたい思い、いざ語ろうとしたところ、考えてみると私がこれまで聴いて来たGetzの作品というと、60年代ボサノバで一世を風靡してからのGetzの作品が中心で、それ以前のものは余り真剣に聴いていなかったことに気付き、これでは語るには片手落ちと茫然。
やはり何か語る以上ボサノバ以前のGetzもしっかりと聴かねばということで、ライブラリーの奥底に眠っていたボサノバ以前のGetzのワン・.ホーン作品や、Verveレコードの残した数々のセッションを聴きあさり、なんとか語れるようになった中、これはと思ったのがこの作品。

Dizzy Gillespie For Musicians Only.jpg


モダンジャズの礎を築いた巨匠の一人としてその名を知られるトラペッターのDizzy Gillespieの1956年の作品である”For Musicians Only”。

「これ、Stan Getzのリーダー作品じゃないでしょう。」と思われるかもしれませんが、この作品を選んだのは、50年代のGetzをいろいろ聴いてみて、彼がリーダーとして吹き込まれた諸作品、確かにビ・バップの後を受けて生まれたクール・ジャズの旗手として、甘い美しい音色で知的なサウンドを奏でるその演奏は、柔らかく穏やかなやすらぎを感じさせてくれるものでありながら、それだけに終始せずソロで見せる類まれな感性のこもった心地よさを伴うそのサックス捌きの見事さは、どれも聴き語るに値するものがあると思えるものの、Verveレコードにおける既にクールの後を受け誕生したバップの洗礼を浴びた黒人ミュージシャンと白人である彼とのセッションでは、そのソフトなフィーリングの輪郭を保ちながらも、それに力強さとスリリングな音の交差が加わり、彼のリーダー作品にはなかった凄みが感じられたところに惹かれてしまい、選ぶなら、Verveレコードの作品の中からと考えるようになってしまった次第。

そして中でも選んだこの作品、パワーとスピード感溢れるジャズとして、現代ジャズの扉を開いたビ・バップ・ジャズの名曲が収められているだけではなく、ビ・バップ・ジャズの旗手である巨匠Gillespie とクール・ジャズの旗手Getzとの融合が、新しいビ・バップ・サウンドを生み出、現れたように感じ、この作品をチョイスすることとに相成った訳なのです。

それでは、そのBe BopとCoolの融合、早速、聴き始めることにいたしましょう。
曲は、そのものズバリ”Be-Bop”です。







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紆余曲折の末、見つけた己が道;Eric Clapton・461 Ocean Boulevard [音源発掘]

その昔、聴くも我ライブラリーに長い間眠ってしまっていた作品、今年になって、これまで3作を聴きこなし語ってまいりましたが、今回も引き続きそうした作品のお話。

今回の作品は、これまでの取上げた3作が全てジャズの作品であったことから、3月ともなり陽気もだいぶ良くなってきたこともあり、ここで元気を蓄えようと選ぶことにしたのは、ロックの作品。

それは、日本でも大きなヒット作となり、私的には余り好みスタイルではなかったサウンドなれど、巷から聴こえてくるその音に、このまま聴かずにいては流行に乗り遅れてしまうとGetすることにしてしまったもの。

Eric Clapton 461 Ocean Boulevard.jpg


その作品が、ギターの神様として、洋楽に疎い方々にもその名を知られるEric Claptonの1974年発表の第2作目ソロ作品のあたる”461 Ocean Boulevard”。

今でこそ、ギター抱えてのソロ活動が定番となっているClaptonですが、この作品が発表された1970年代前半は、英国のロックギタリスト三聖に一人としての評価を確立した、あの伝説のロック・バンドCreamやそれ以前のJohn Mayall & The Bluesbreakersのギタリストとして その時のプレーに対する熱狂の余韻が色濃く残っていた時期で、多くのファンが彼のギター・プレーの呪縛から逃れられず、その興奮の渦を期待する中、ほとんどそれ行わないCream解散以後の彼の活動には、それらファンにおおいなる落胆の思いを抱かせることになってしまっていたのです。

そうしたファンの風潮、私もそのご他聞に洩れず、Creamの大名盤”Wheels of Fire”のLive面における彼の凄まじいギター・プレーすっかり洗脳されてしまっていて、以来長きにわたりCream以後のClaptonの良さがわからずじまいのままでいたのでした。

その私が、ソロになってからの彼の良さをほのかにわかるようになったのは、TVで放送されたロックの名盤の誕生の顛末を記録紹介したドキュメント番組を見てからのこと。

その番組で取上げられた作品は、The Policeの”Reggatta de Blanc(白いレガッタ)”、Fleetwood Macの”Rumours(噂』)”Jimi Hendrixの”Electric Ladyland”など、ロック史上欠かすことの出来ない名盤が取上げられ、それぞれが各1時間の枠で紹介されていたのですけど、その中でも、私に記憶に深く印象が残ったのが、The Band”The Band”という作品。

というのも、このThe Bandのこの作品に大きな影響を受けたアーティストとして、ClaptonやあのGeorge Harrisonが登場して、二人してこの作品を共に絶賛、さらに、これが自分たちのやりたかったサウンドだと語り、その言葉から私自身、二人がソロになって制作した70年代半ば以降の作品には、土の香りするのカントリー・ブルースの色合い濃いサザン・ロックの要素があったことを思い出し、そのことから、そのサウンドが彼等の究極の憧れであったということをあらためて認識させられたからでした。

そして、60年代後半、即興演奏による激しいバトルによりロック界に大きな衝撃をもたらしたCream時代のClapton、しかし、その解散前のステージでは、他のメンバーサウンドに没頭陶酔状態であった中、Clapton自身はめた目でヘキヘキとしながらその状態を見ながら演奏いていたと、後年語っていたことを思い出し、Cream解散後は、一時自分自身の道を見失ったのか、麻薬に溺れ心身ともに荒んだ状態なったものの、その後、アメリカに渡り Delaney Bramlett等とDerek and the Dominos を結成し再起の幕を開けたことを考えると、そこには、サザン・ロックの祖とも言われるThe Bandの存在が大きく影響していると思えるようになったのです。

さて、こうしてサザンロックの道を歩き始めたClaptonのこの”461 Ocean Boulevard”、こうしたことを踏まえて聴いてみると、最初に作られた”Derek and the Dominos”のまだ荒削りな感じがしたそのそのサウンドは、ここでははさらに洗練され、Claptonのヴォーカルもかなり上達の後が見える辺り、この作品こそが、真の意味での現在につながるClaptonの出発点といえるので作品ではないかと思えるようになって来たのです。


それでは..............、ここで1曲。
この作品から、まずは、そうしたThe Bandを中心としたサザン・ロックのと血脈を感じる、”Motherless Children”を聴いてみることにしたいと思います。

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欧州で花開いた秘められた天賦の才・Kenny Drew:Everything I Love 本日の作品;vol.141 [デジタル化格闘記]

その昔、聴くも我ライブラリーに長い間眠ってしまっていた作品、今年はそうした作品にも光をあてるべく聴き直し、それを書き留めて行こうとこれまで3作品を取り上げ語って来ましたが、今回も引き続きそうして再発掘した作品のお話。

その作品、それはあるバップ時代に活躍していたとあるピアニストのピアノ・ソロ作品なのですが、若き日何気なく街に出て、時間つぶしにとたまたま目にし飛び込んだジャズ喫茶で耳にしたそのサウンドが、バップ時代のスタイルとは大きく異なっていて、その変貌ぶりにおおいに驚嘆、その帰り道にまだ発表されて間もないそのレコードを求め歩き、ようやくGet相成ったという、私にとっては自身の深い思い出があったもの

その作品がこちら.........

Kenny Drew:Everything I Love .jpg


1973年制作の Kenny Drew、欧州移住後の第2作目のリーダー作品となる”Everything I Love”です。

私にとってDrewというピアニスト、John Coltraneの”Blue Train”でそのプレイ接して以来、大のお気に入りなていて、この作品と出会うまで、1961年渡欧後 デンマークのコペルハーゲンに拠点としてその地にあるカフェ・モンマルトルのハウス・ピアニストとして生涯のパートナーとなるベースのNiels-Henning Ørsted Pedersenと、その時期、既に拠点をヨーロッパに移していたサックス奏者のDexter GordonJohnny Griffinのサイドマンとして共演したこれら作品を通して彼のプレイを楽しんで来たのですが、それとはまた違った印象のこのリーダー作品での彼のプレイ。

前者の作品では、50年代アメリカ時代のバップ・ピアニストとしての彼の元のスタイルとは違う、60年代主流となったBill Evansのスタイルに近づき変貌しつつも、どこかバップの余韻の名残が聴こえるものであったものが、このソロ作品ではさらに進化し、フランス印象派的クラシックの余韻を宿すものとなっていたことへの心地良い驚きのひと時!

そこでまずは、1曲。

私に、そうしたことを強く感じさせた楽曲から、新鮮な驚きをもって聴いた"Sunset" をお聴きいただきその心の余韻を感じていただくことにいたしましょう。




















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神の啓示に導かれて;Keith Jarrett・Solo Concerts: Bremen/Lausanne 本日の作品;vol.140 [デジタル化格闘記]

今回は、再びいつもに戻って音楽ネタ。

その音楽ネタ、今年は、年初めからこれまで我がライブラリー収めておきながら、そのまま聴きそびれてしまっていた作品を取上げ聴き直し、その感想とその作品まつわる私自身の思い出をテーマに書き留め行くという趣向で筆を進めているのですけど、今回も長い間私のライブラリーに眠らせてしまっていたこんなアナログ盤を掘り出し、また語って行くことにいたしました。

Solo Concerts: Bremen & Lusanne-m.jpg


その作品は、ジャズ・ピアノの巨匠Keith Jarrettの1973年の作品”Solo Concerts: Bremen/Lausanne ”。
アナログ盤では3枚に収録された大作である本作品、この作品が出た頃の私は、Keith のピアノが大のお気に入りで、彼の作品が発表されればGet、かたっぱしから彼の作品を聴き、Liveにも参戦するという状態だったもですが。

この作品も、リリースされるとすぐにGetしよく聴いていたのですが、しかしその後は、なんといってもアナログ3枚組、A面B面をひっくり返しながら2時間超、次第にそうしたことしながら音楽に没頭する時間もとれなくなり、以来30年以上、お蔵入り状態になってしまっていたものなのです。

そうした長い間忘れていたこの作品、それを思い出すことになったきっかけは、前々回の記事で取上げた益田幹夫のピアノ作品の”黒水仙”を聴いてのこと。

しかとした理由もなく、益田幹夫のピアノを聴いていたところ、その余韻の中にどういう訳かKeithのピアノの面影が浮かんできて、忘れかけていたこのソロ・ピアノ作品を思い出し聴きたくなってしまったというのがその顛末。

とは言え3枚組み2時間を越えるこの大作、聴くといってもどこでもというわけには行かず、持ち運び通勤の道中、電車の中で手軽に聴くことが出来ればと、音源デジタル化作業に取り掛かることとしたのです。

そうして30年ぶりに再会したそのサウンドは!!!



keith jarrett 50.jpg









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大都会に残された小さな自然の中の秋の営み 2018 [仕事の合間に]

いつもの音楽ネタは、今回は一旦お休み。

遅ればせながら、昨年の秋口に仕事の道すがら撮りためた秋の風景の写真を整理していたところ、昨年は遠出する機会は少なかったものの、思いの他季節の衣装を纏ったその土地々々の風景との良い出会いに恵まれたことに気付かされたことから、ここでその写真を見ながら思い出の記憶を辿りつつ、筆を走らせてみることにしてみました。


昨年は10月まで栃木・山梨を巡る仕事の旅が続き、久々に旅の空気の味わいを楽しむことが出来たのですが、それも11月に入ると一段落、以後は、都心周辺での仕事ばかりが続いていたことから、今年の秋は自然の空気に触れながらその深まりを楽しむことはもう出来ないなと思っていたところ、たまたま車で通りがかった東京、葛飾の水元公園で出会ったこの風景。

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駐車場に立つ、木々の季節を感じさせる色づき具合に、大都会を抱えるこの平地にもその季節の訪れを感じさせる空気があることを知らされたことから、今年はこの都会の喧騒の中に潜む秋の気配を探し歩くことを思いついたのです。


そしてそれから2週間後、「久々にちょっと上野辺りで集まり一杯飲もうや」という学生時代からの旧友の誘いに乗り、巧くすれば上野の山の季節の色合いも見れるかもと、約束時間よりかなり早めに出掛けることにしたのです。

京成電車に乗って、程なく京成上野駅に到着。
西郷銅像側から、園内に入り歩いてみたところ、やはり常緑樹ばかりのせいなのか、その気配は全く無し。
「ここは、桜は有名だけど紅葉の話はあまり聞かないしな」、と半ば諦め気分で西洋美術館の近くまで来てみると........。

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薄っすらと秋の化粧支度を始めたような樹木の姿がそこに見えています。

もしかするとこの先、国立博物館の周辺は期待が持てるかもしれない、ならば江戸の昔、徳川将軍家の菩提寺として、または江戸の町の北方の守護寺として威容を誇った東叡山寛永寺の残り香を浴びながら、季節の空気に浸るのもまた良いのではと考え、そちらの方へと向かうことしたのです。

そして、出会ったのがこの風景。

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そして、博物館を1周して旧東京音楽学校本館の辺りまで来てみると、

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ほのかに色づき始めた樹木の下、多くの人が秋の風情を楽しみながら歩いています。

中には、いくつも色彩に彩られた、こんな樹木も。

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こうやって歩いてみると、上野公園というところ、歴史ある建物と季節の彩りとのコントラストが、日常を忘れさせてくれる、そうした空間を育む場所であることを、あらためて認識させられました。

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上野公園の散策で得た秋の風情の手応えに、であれば今年は仕事の道すがら訪れるだろう都心周辺のいつもの場所でも、またいつもと違った風情を見つけることが出来るかもしれないと、日々さらに目を凝らして街を歩くことにしたのです。

そして、数日後........。


まず目にしたのが、この風景だったのでした ・・・・・・・×○△××□................。





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