So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の10件 | -

2018年!印象に残った作品 Japan発!  ジャズ・女性ヴォーカル編 [音源発掘]

今回は、今年よく聴いていた、その昔に聴きずっと心の底に引っ掛かっていた作品のお話。

それは、1970年代後半にフィバーし、日本のジャズ史上珍しくジャズ・ヴォーカルがもてはやされ評判を呼んだ、日本発の女性ヴォーカリストたちの作品のお話。

としたのは、今年手にし聴いてきた諸作品、さてどんな作品があったかなと見直してみると、例年は2.3.枚程度しかないジャズ・ヴォーカル作品が、今年はことのほか多く、それが自分の若き日を思い出させつ再び新しきサウンドを求めての探究心を奮い立たせることになったことから、今年の印象に残った作品として取り上げることにしたのです。


その冒頭の作品がこれ!

笠井紀美子 We Can Fall In Love.jpg


ジャズ・ヴォーカリスト 笠井紀美子の1976年の作品” We Can Fall In Love”です。

笠井紀美子というアーティスト、1998年、まだまだこれからというその時期に、音楽活動から早々と身を引いてしまったことから、若い方の中には知らないという人も多いのではないかと思いますが、彼女その経歴は、1960年代後半より新進気鋭のアーティストとして注目を浴び、70年代になるとジャズ界の巨匠、Miles Davisともにジャズの一大転換期を提示した作編曲者のGil Evansや、Charles MingusやEric Dolphy等と50年代から60年代の前半のジャズに大きな功績を残し、かつ伝説のヴォーカリスト: Billy Holiday最晩年のピアニストを務めたことでも知られるMal Waldronとの共演作を残した、世界に羽ばたく初の日本人女性ジャズ・ヴォーカリストとして大きな礎を築いたアーティストなのです。

そうした彼女のこの作品、それまで上記海外アーティストはもとより、ジャズ以外のアーティストとの共演、特にかまやつひろしとのジョイントなど、ジャズにとどまらない幅広い活動で新世代のジャズ・ヴォーカリストとしての地位を固めていた彼女が、20年以上にわたりジャズの帝王と呼ばれたMiles Davisの作品のプロデュサーを務めた名プロデューサ-のTeo Maceroの力を得て、果敢にも、この時期勃興しつつあったフュージョンに挑んだものなのです。

そしてその結果は、それまでジャズというとインストメンタルが主流で、ヴォーカル作品などは評判を呼ぶことがほとんどなかった日本において、その風潮に風穴を開けジャズ・ヴォーカル作品として初めての大きな評判を呼びよせたたのがこの作品なのです。

当時、私もFM放送でこの作品ばかりか彼女のLiveまでがたびたびオン・エアされ、その人気の高さを身をもって体験したのですけど、当時は一見ミーハー的なその雰囲気に馴染めず素直に受け入れることが出来なかったもの。
しかし、今振り返えってみると、まだまだ未成熟、発展途上にあった日本の音楽シーンにおいて、当時本場アメリカの最新サウンドを見事に熟しきり、日本の音楽シーンに新風を吹き込んだという事実に、彼女のなみならぬ先進的な感性があったということを感じ、もう一度聴き直してみなければという気持ちになったものなのです。


そうした彼女のそのサウンド!
                              果たしていかなるものなのか!.........


というところで、やはり聴くなら紀美子のオリジナル曲、ここで聴いてみることにいたしましょう。











Let’s Listen


nice!(10)  コメント(3) 
共通テーマ:PLAYLOG

2018年!印象に残った作品 ロック編 [音源発掘]

街をのあちらこちらでクリスマス・ツリーを見受けることが多くなった今日この頃、ここ数ヶ月どたばたの日々過して来たこともあってか、色づく紅葉の後だけは追いつつもクリスマスのことなどすっかりと忘れていて、もうこんな時候となってしまったのか驚きつつも、よく暦見てみれば11月ももう終わり。

ああ!!今年も早、年の瀬が来てしまったのかと、今度は、なにか気ぜわしい気分になりなりながら、となれば、今年1年間接してきた私の音楽遍歴、毎年恒例ともしている総決算をしなければと、書き留めるべき作業を始めることにしたのです。

さて、2018年に接してきた私のミュージック・ライブラリーを振り返って見てみると、今年はロック・ジャズとも大当たり連続の大収穫で、ほぼ毎月のようにお気に入りの作品に出会たこともあり、かなりの点数になってしまったのですが、そのどれもこれもが深く印象に残るものであったため、”2018年!印象に残った作品”としてどの作品に焦点を当てて書いたら良いのか見当もつかなくなり、それを選ぶのもなかなかもて難しくなってしまった有様。

そうは言っても、そのすべてを取り上げてはとても年内に話を終えることは出来ないしということで、腹を決め厳選び厳選、そうして筆を進めることにしたのです。

そこで厳選に厳選を重ねたその第一回は、ロック編。
ここととろロックについてあまり取り上げ語っていなかったことと、それに加え私こと”蛇銘多親父(ヘビメタおやじ)”を名乗っている以上メタル作品を語らねばということで、まずは、そのメタル作品からお話を始めることにしました。

実はロックの分野、今年初は、昨年聴いて気に入っていた元UKのキーボド奏者Eddie" Jobsonやスウェーデンのプログレシッブ・ロックバンド”The Flower Kings”のギタリストでリーダーでのあるRoine Stoltに関連する作品、いわゆるプログレシッブ・ロック系の作品を追っていこうと考えて、メタルに関しては積極的に探訪をするつもりなかったのですけど、その転機となったのが、ブログ記事を書くうちに70年代ロックのことが懐かしく聴きたくなり、その結果それを題材にした記事を書こうと取り上げることにしたDeep Purpleの存在。

今でこそ日常Jazzを中心に音楽を楽しんでいる私ですが、その始まりとなったはとあるLive観戦がそのきっかけ。
その私のLive観戦デビューともなったそのアーティストは、あの伝説のLed Zeppelin!!

そのおかげで、日頃Jazzを聴きながらも、そこで組み込まれてしまったメタル好きの遺伝子が突然目覚め、無性にメタル系のサウンドが聴きたくなってしまうことしばし。

そのせいか、Deep Purpleのことを書いているうちに、今度はメタル出遺伝子が騒ぎ出し、新旧いろいろなメタル作品を探し聴きあさることになってしまった次第。

そうして接したメタル作品、その中で、今年もっとも印象に残ったのがこの作品。

Havoc-Circus Maximus Cover_.jpg


ノルウェーのプログレッシブ・メタルバンドのCircus Maximus、彼等の2016年発表の第4作目の作品”Havoc”です。


私が彼らを知ったのは、2007年の彼らの第2作目の作品”Isolate”でだったのですけど、あの時は、当時私が好んでよく聴いていたDream Theaterの継承者としての評判から、興味を惹かれ彼等を聴いてみたところ、確かにテクニックもありサウンドにも独自のものがあるのを感じられるものの、DTが繰り広げる楽器の同士のぶつかりあいから生まれるシリアスな緊張感を好んでいた私は、DTとは異なった彼等本来の良さを見抜くことが出来ず、以後彼の作品を聴くことのないままでいたのです。

ところが、今回、最新のメタルを聴き直そうといくつかの作品を選び出し、手始めにその中にあった彼等の第3作目の作品”Nine”を聴いたところ、そのサウンドにDTとは異なったトータル・バランスの取れたのびやかで瑞々しい若さがあることに気付かされ、その勢いで彼らの全作品を聴き直し、2018年のお気に入り作品のひとつとなってしまったのが、この”Havoc”だったのです。

ことはともあれ前置きはこの辺にして、その爽快なサウンドさっそく聴いてみることにいたしましょう!!




続きを読む


nice!(14)  コメント(2) 
共通テーマ:PLAYLOG

秋の訪れ、そのその足跡を探して(山梨初秋探訪編) [仕事の合間に]

出張で、9月から10月初めに訪れた栃木県さくら市、前回はその初秋の様子をお話しさせていただきましたが、今回は、その疲れの回復もままならないまま、引き続き次に向うことになった山梨県の初秋のお話。

この地、前の職場の仕事で度々訪れていた場所なのですけど、今回の訪問は、その前の最後に職場の仕事で訪れた時からおよそ1年半ぶりとなるもの。

10月の半ばとなるとこの時期の山梨県は、空気が澄みわたりこの甲府の盆地を囲む山々の山容の美しさ増してくる頃で そこに彩り美しい紅葉が始まる、季節の移ろいを楽しむには打ってつけの時期になってるはずなのですが、今年は9月以降、雨または曇天の日々が続く毎日で、私が訪れたこの時は、幸い雨に降られることはなかったものの、周辺の山々は厚い雲にに覆われて、澄んだ美しい山波を眺めるというにはかなりほど遠い状態だったのです。

DSCN0018km.JPG


それでも行きしな車を走らせているいると、次第に雲が薄くなり霧のカーテンに遮られながらも薄っすら、頭に雪の帽子を被った幻想的な富士の姿が、見えて来たりして.........。

目的地に到着した後に知ったことですが、この日は、富士吉田市による今年の富士山初雪化粧宣言が出された日だったのだとか。
私にとっては、山梨滞在時に、この富士山初雪化粧宣言と接することになったのはこれで5回目。
なんとも不思議な富士山との浅からぬご縁を感じることになりました。


さて、こうして幸先の良いスタートを切った今回の旅。
美しい山波が駄目ならばせめて木々の様子はと、休憩のために立ち寄った定番の中央道釈迦堂PAの周辺を歩いてみると、

DSCN0010km.JPG


本番までは至らぬものの、にわかに衣装を秋色に染替え始めた木々達がそこにいます。
ああ、これならば一安心!
これで今日の仕事の終わった後の楽しみが出来たわいと、この日の夕刻の出来事を思い浮かべながら、ようようと目的の仕事場へ向かうことになったのです。

そして、仕事終えたその日の夕暮れ時............................





旅は続く


nice!(15)  コメント(0) 
共通テーマ:PLAYLOG

秋の訪れ,その足跡を探して(栃木初秋探訪編) [仕事の合間に]

今年の9月10月、昨年職場も変わり、前職場での東へ西へと駆けずり回る忙しい日々とは決別して、ここ一年はゆったりとした雰囲気の中で仕事をする毎日を過ごしていたところ、そこにまた飛び込んで来たのが、はたまた仕事で東へ西へと駆けずり回る忙しい日々。

何故こんなことになってしまったのかというと、それは昨年まで勤めた職場からの突然の業務応援の依頼。

実は、私の抜けた後の前職場、その後大幅な戦力ダウンとなり、それまで熟して来た仕事を熟すのもままならぬ状態となっていたところに、メンバーの一人が入院長期療養となってしまったことから、いよいよ首が回らぬくなってしまい、その職場のOBである私への救援要請となったもの。

それまで苦楽を共にし世話になってきた仲間からのSOS !!、むげに断ることはできないし、なんとか力を貸してあげたいと考えるも、1年ぶりとなる超が付くほどの忙しい日々、さすがにこれまで惰眠を貪っていた体はすぐに馴染まず、かなりきつい思いをすること必定、老体に鞭打ちながらのつらい毎日となるであろうと憂いつつも、頃は秋の始まり、旅先、その仕事の合間にともすればまた季節感に満ちた良い風情に出会えるのではという期待に惹かれて、いささか腰引け気味なっている頭を良いことの方に切り替えて、この申し出を引き受けることにしたのです。

そして9月の中旬も終末に押し迫ったとある日、最初に向かうことになったのは、栃木県さくら市。
日光連山を望めるこの地、秋ともなれば一日、時を経るごとに変化する山容の表情を楽しめる場所なのですが、今回は雨と曇り空に阻まれその雄姿を見る楽しみは閉ざされ、変わって心を和ませ楽しましてくれたのが、こちらの写真。、

DSCN0629m.JPG


それは、赤トンボ。
この地、東北本線の引込み線脇の場所なのですが、4年ほど前にもここで赤トンボと出会ったことがあり、その時、ここにある事務所の方に伺ったところ、毎年夏に日光連山で発生したトンボが9月になって涼しくなると里に下りてくるのだという話。

そうしたことで今回もここで赤トンボに出会い、迫りくる秋の足音を感じられたらと思っていたところ、以前よりは数は少なかったもののなんとかその秋の使者に出会うことが出来ました。

FSCN0642m.JPG


秋の到来を告げる使者赤トンボに出会い、秋の足音を確実に聞いたところで、次に気になり出したのは木々の葉の色付き具合。
9月ではその期待、まだ早いかと思いながら仕事場付近を散策、近くの公園の木々の様子をよく見てみると!!

FSCN0545k.JPG


なにやらかすかな変化が起きているよう。
さらに近づいて観察してみると

FSCN0546k.JPG


幾分赤みを帯び始めた楓の葉の様子が見てとれます。

DSCN0518k.JPG


そして、その下には秋の扉を開くかのように、彼岸花が、秋到来を告げるかのように美しく咲いていました。



こうして、かすかにも秋の到来を感じることが出来た栃木県さくら市。
これまで何回も訪れそのたびのその周辺を歩き見てきているのですが、今回は、こうした季節の気合に後押しされて、これまでその道中、何となく気にしながらも、どうせ大した所じゃないと勝手に決めつけ足を運んでいなかった所へも、立寄ってみることに。

それは、東北道SAから2㎞程のところにある羽黒山。
羽黒山といえば山形県鶴岡市にある一大山岳信仰の霊地で修験道東国の聖地が思い起こされますけど、
一方、上河内にあるこの羽黒山、平地の中にポツンと聳えるあまりぱっとパットしない山で、その山の名前が東北の一大霊地羽黒山と同じ名とはとのいかがわしさが先立ち、これまで行くことが憚って来ていた所。

ところが、昨年最後にこの地を訪れた時、地元のネット情報でこの羽黒山の山頂には、山形県鶴岡市同様に古い社があることを知ったことから、もう一度、山形県鶴岡市にある本家羽黒山について調べてみると、その山は海辺の都市、酒田・鶴岡のある荘内平野のへりにある僅か標高414mの山ということで、そのことから、それとよく似た関東平野のへりに立つこの小高い山の存在が妙に気に引っかかり、再度機会がくれば足を運んでみたいと考えるようになってしまっていたのです。

そうして機会を得訪れたこの山に一歩足踏み入れたところ驚かされたのは...................................!!










続きを読む


nice!(20)  コメント(4) 
共通テーマ:PLAYLOG

ドラマー主催!! ピアニストの饗宴;With All MY Heart ・Harvey Mason [音源発掘]

度重なる台風の襲来を受けた今年の9月、10月!!!!!!。

今年は、特に日本列島直撃のものが、例年増して多いなあと考えながら、その嵐の合間を縫いながら、日々続く私の仕事の方も吹き荒れる今年の台風の如く、今や1年ぶりの大嵐の真っ只中。

昨年まではこの程度の忙しさ、大変だけどやりがいもあると気合を保って乗り切れていたものの、ここ1年余りは若い連中に任せ、自分は黒子に徹すべしと惰眠を貪っていたことから、その環境の急変ぶりに体がついてゆかず、疲労困憊で休みの日はただひたすらに寝て曜日になってしまう始末。

そうは言っても貴重な休日、ただ寝てばかりではもったいない、休息を兼ねて何かをしなければと考え、ならば日頃疎遠となっている作品を聴いてみよう!! と思い立ち、めぼしい作品を見繕ってみたところ、目に飛び込んで来たのがこの作品。

with all my heart harvey mason.jpg


ドラムのHarvey Masonによる、2003年制作の作品”With All MY Heart ”!!!!

とまあ!こうした作品を今回のお題としてしまったわけですけど、Harvey Masonというアーティスト、多くの方がフュージョン系のアーティストだと認識しているのではないか思うのですが、そのこと確かに彼の経歴を見て見ても1973年Herbert Hancock 率いるHeadhuntersのドラマーとしてFunkの幕開けを告げた名盤”Head Hunters”で名を上げて以来、その後は、Dave GrusinやLee Ritenour、フュージョン時代の渡辺貞夫(CALIFORNIA SHOWERなど )、そしてBob Jamesなどといった、フュージョン系の大物アーティストとの共演を多く残していることから、そう認識されるのも当然のこと。

しかし、この作品はそうしたMasonのフュージョン作品ではなく、あくまでアコースティックに徹したオーソドックスなピアノ・トリオ作品で、彼のドラム・プレイの素晴らしさを十二分に堪能出来るものなのです。

そのうえ、この作品、収録された全12曲がMason以外それぞれ違った顔ぶれで、なんとピアニストなど収録曲の数と同じ12人。

つまり、ピアニスト1人1曲ということなのですが、そこに参集したアーティストの顔ぶれを、あらためて見てみると............、

それは、Hank Jones 、Cedar Walton 、Herbie Hancock、Chick Corea 、Kenny Barron 、Bob James、Dave Grusin 、Monty Alexander 、Mulgrew Miller 、Brad Mehldau 、Fred Hersch、 John Beasley の12人。

合わせてベーシストの方も見てみると
Ron Carter 、Charlie Haden、 Eddie Gomez 、George Mraz 、Charnett Moffett 、Dave Carpenter 、Larry Grenadier 、Mike Valerio の8人と、こちらも当代きっての名プレヤーの名が並んでいます。

よくまあ、1曲の収録のために、これだけの大物が集まったものだと驚きながら、興味を惹かれるのはそれぞれのアーティストの個性の違いがどのように発揮され、それにMasonがどんなプレーで応じているのかということ。

そう思いながら、私自身、これまでこの作品をしっかりと聴きこんでいなかったなあと思い、今回は腰を据えて聴いてみたところ、さすが名手たち、それぞれの持ち味を発揮した好プレイを繰り広げ、その演奏をMasonのドラムが包み込み、さらに奥深さを際立たさせている。

これまで聴いてきたピアノ・トリオとは一味違ったその出来栄えに、これまで思いもしなかったMasonの音楽家としての優れた資質を見つけることが出来たように感じたのです。


さて、ここで1曲。
今回聴いてみて、もっとも強く印象に残ったのは、フュージョン系のピアニストのプレイの美しさだったのですが、まずはそのフュージョン系のピアニストの演奏から聴いていただくことにしたいと思います。

曲は、”Bob James の演奏で、”Smoke Gets In Your Eyes(煙が目にしみる)”です。







Come on、Let’s Listen!!


nice!(15)  コメント(0) 
共通テーマ:PLAYLOG

50年代と60年代を結んだピアニスト、その若き晩年を聴く:Wynton Kelly・Full View [音源発掘]

前回は、秋の夜長を楽しむにふさわしい作品としてWes Montgomeryの作品を取り上げ語らしていただきましたが、今回も引き続き、秋の夜長を楽しむにふさわしい作品のお話。

その作品のアーティストは、ピアニストのWynton Kelly。

実は、Wes Montgomeryというと私の場合、どうしても、 Kellyとの共演による名盤”Full House"や”Smokin at the Half Note”脳裏に浮かんで離れず、無性にKellyのピアノが聴きたくなってしまう性癖があることから、今回もKellyのピアノ・トリオ作品を選ぶことに相成ってしまった次第。

というのもその性癖、そもそも私がジャズに興味を持ち始めた頃、偶然FM放送で聴いたKellyの演奏が気に入ってしまったことがきっかけで、以来Kellyを私のジャズのリサーチ・ポイントの中心に定めてしまったことがその大元。

特に当時は、彼の名の記載がある作品を見つけると、有無問わず買いあさり聴くなどということを繰り返していたのですが、そんなことを繰り返しながらも、1965年以降の彼の晩年ともういうべき時期の作品手にすることを避け続けていたのです。

その因は、その若き時代に読んだ、とある評論家先生の「60年代中期、Verveレコード時代以降のKellyの作品には、ほとんど見るべきものはない。」という評価の影響だったのですけど。
そのうえ、当時のジャズ仲間による同様の評価がその行動に輪をかけることになってしまい、長い間その時期のKellyの作品は、かたくなに拒み続けほとんど聴くことはないままとなってしまっていたのです。

ところが、その禁を破ることになったのが、これも偶然聴いた、テナーサックス奏者Clifford Jordanの1969年の”In The World”という作品にサイドマンとして参加していたKellyのプレイ。

それは、1971年4月39歳の若さで亡くなったKellyの最晩年のプレイを捉えたこの演奏、聴いてみると調律の狂ったピアノに悪戦苦闘しながらも生み出された彼のサウンドの中に、ブルーな曲調を的確に捉えながらも迫りくる危機の情念を宿らせ放出している空気の流れを感じ、たちまちのうちにその音世界に圧倒されることになってしまったからなのです。

そして、そのことからこれまで信じていたKellyの評価は誤りであって、彼の感性は晩年に至るまで衰えることはなく、それ以上に、さらに深い音楽表現をしうる奥技を身に着けるに至っていたことを知ることとなり、なにも疑わず信奉し続けて来た禁を破り、65年以降、晩年のKellyの作品を探し聴くことなったのです。

そうした回り道の末、漸く出会ったのがこの作品

Full View Wynton Kelly.jpg


1966年制作の”Full View"です。

さて、いつもならここでアーティストの略歴などについて触れるところですが、今回は、以前の記事で若干触れたこともあるので、とやかく言うのは止めにして、さっそく、その期待の音源に耳を傾けることといたしましょう。

曲は、”On A Clear Day (You Can See Forever)”です。



Come on、Let’s Listen!!


nice!(15)  コメント(2) 
共通テーマ:PLAYLOG

来たる秋の夜長に、色を添える寛ぎのみゅーじっく!!:Wes Montgomery・”California Dreaming” [音源発掘]

観測史上 過去の最高気温記録更新、集中豪雨、そして毎日のように台風が生まれ、ひと月の間に9個もの台風が誕生、さらに7月には日本列島を北から南へ逆走するなどという、前代未聞の経路をたどった台風まであったという、異常な気象現象に翻弄され続けた今年の夏。

ひと月に8個という台風の発生数、1951年以来67年間の過去の統計を調べてみたところ、ひと月に8個以上の台風が発生したというのは、これまでに8回ほどしかないのだとか。

と、かく言いながらも、今夏の気象の異常さは、日本近海で誕生した台風が多かったことに加えその酷暑、日本列島は、温帯から亜熱帯の地域なってしまったのではと思えたほど。

とはいっても、季節は9月秋、朝夕には秋らしい空気が忍び寄ってくる風情が感じられようになった今、これからはお天気も安定し、穏やかにゆったり過ごせる日々が続けばいいと思っているのですけど..........。



そうした季節柄、今回のお話は、これからはそうした穏やかな毎日となることを願って、ひそかに忍び来る秋の風を楽しみながら、心に安らぎを与えゆったり寛いで楽しめるジャズ作品のお話。

そうした雰囲気を醸し出すにふさわしいかと選んだのが、

wes_montgomery_california_dreaming.jpg


この作品!!

日本でも”夢のカリフォルニア”という曲名で広く知られる、アメリカのフォークロック・グループThe Mamas & the Papasによる60年代ポップを代表する名曲の名をタイトルに掲げた、ギタリストWes Montgomeryの1966年の作品”California Dreaming”です。


半世紀も前の、「また随分古い作品ですね!」と感じる向きもあろうか存じますが、今でこそジャズといってもフュージョン、スムース・ジャズなどというジャンルがあって、好みよってその時々の雰囲気に合った音楽を探しチョイスし、聴きながら寛ぎの時間を楽しむことは当たり前のこととなってしまいましたけど。

しかし、この作品の出たこの時代は、まだフュージョン、スムース・ジャズなどというジャンルはなく、ジャズは1960年代の初めに出現したロックに、それまでの人気を奪われ、進むべき道を見失い混沌の中フリー・無調の世界へとその歩みを始めた頃。
それは、聴く者にとって本来あるべき音楽の”楽”の字が”学”の変わってしまったかのもののように甚だ難解で、そうした状況も中でジャズはますます大衆の支持を失って行くと結果を招いてしまっていたというのです。

そうした時代に登場したのが、この作品。

この作品の発表の前年の1965年にの12月にリリースされ、その後大ヒットそのさ中にいち早くこのアルバムの表題曲ともなっている”California Dreaming”を取り上げ収録しているあたり、ジャズの作品と言いながらも、聴かなくても中身はかなりポップなサウンドであるとの印象を持たれるのではないかと思います。

事実本作、このアルバムが発表された1966年にはBillboard Jazzのアルバムチャートでは1位、 R&Bチャートでは4位を獲得していることからも、そのサウンドの親しみやすいポップ感がわかるのですが、当時の混沌したジャズ界にあってそうした作品制作を企んだのが、当時Verveレコードで敏腕を発揮していた名プロデューサーのCreed Taylorという人物。この人、ABCレコードのプロデューサーとして、1960年にJohn Coltraneや Gil Evans 、Oliver Nelson 、 Max Roach、 Sonny Rollins、 Art Blakey 等、後に多くのジャズ名匠たちの60年の軌跡を残すこととなる同社ジャズ専門レーベルのImpuleseレコードを設立者と知られる人で、この”California Dreaming”での成功以後は、1967年、VerveレコードからA&Mレコードに移籍、ここでWes Montgomeryと共に本作のコンセプトをさらに発展させた作品A Day In The Lifeを制作、後のクロス・オーバー、スムース・ジャズのパイオニアとして大きな功績を挙げた人物なのです。

さて、それではクロス・オーバー、スムース・ジャズの原点ともいう、この作品。
ここで、そのサウンド聴いてみることにいたしましょう。

曲は、もちろん!
”California Dreaming”です。





続きを読む


nice!(19)  コメント(0) 
共通テーマ:PLAYLOG

50年代を席巻したピアニスト、その後の変遷を聴く [音源発掘]

ここところ、日頃の忙しさにかまけ、月1回の更新となってしまっていた当ブログ。
これままでは、遺憾!!、このまま放置すれば気力も失せ早晩消滅の憂き目となってしまうと、少々焦りを感じていたのですが。

しかし、月は8月、考えてみればはお盆の休みもあることだし、ならば、ここでひと踏ん張りしてと奮起して、ようやく当月2回目更新へと筆を執ることにした今回の記事。


紆余曲折を経て取り上げることにしたその話題は、いつもの音楽ネタではあるものの、ただの作品紹介ではなく、1950年代活躍したとあるジャズ・ピアニストの新旧作品を聴き比べその変遷をたどりながら、それぞれの時代のプレーを聴き比べてみようという趣向。

そうして選んだピアニストは、Red Garland。
それでは、早速Garland、その経歴とあわせその変遷を聴き比べてみることにいたしましょう。



Garlandというアーティストが、大きくジャズシーンに取り上げられるようになったのは、1950年代半ば、1940年代のビ・バップ衰退以後 ジャズの中心はアメリカ西海岸へと移ってしまっていた中、再びその覇権をが東海岸へと取り戻すべき、Art Blakey、Clifford Brown、Max Roach、Miles Davis等が新時代のジャズであるハード・バップを掲げ活動を開始した頃、Milesが自己の新しいQuintetのピアニストとして彼を起用しことに始まります。

そして、その後Garlandは、そのリズムセクションの一員としてPaul Chambers(b),Philly Joe Jones(ds)と共に活躍、このQuintetを時代の頂点へ導くに大いなる貢献を果たすことになるなのです。


また、その当時のこのトリオは、MilesのQuntetの人気と共に、ピアノ・トリオとしてだけでもかなりの人気を博していたようで、人々をしてオールアメリカンリズムセクションと呼ばしめたほどだったというのです。

しかし、そうした成功も2年余り続くと、今度は1957年以降Milesが、新しいジャズを求めてGil Evansとの共同作業を開始すると、それによりバンドの活動は低迷、ついに1958年3月のレコーディング最後にGarlandもMilesと袂を別ち独自の道を歩むことになるのです。

そして、迎えた1960年代、ジャズの世界もこれまでのハード・バップからモーダル・ジャズの時代となり、そこに加え新たに台頭してきたロックの影響により、それまでのジャズは衰退。50年代をけん引して来た多くのミュージシャンがその活路を求めヨーロッパに拠点を移す中、Garland自身はアメリカに残り活動を続けていたのですが、1962年、その彼も新時代の波には贖えず、とうとう引退への道を歩むことになってしまyったのです。


それから10年。
そのGariandが、復帰したのは1970年代半ばの事。
この時期のジャズは、Chick CoreaやWeather Reportなどの登場によってロックなどのエッセンスを吸収した新しい時代のアーティストによって再び隆盛を取り戻しつつあったのですが、それと共に50年代往年のピアニストたちも続々と復帰、Hank JoensやTommy Flanagan、Kenny Drewなどがいち早く作品を発表して大いなる脚光を浴びていたのです。

そして、50年代のピアノといえばやはりこのGarland、一体Galandはどうしているのだろうか思われようになった中、1975年、待望の彼の復帰作がやっとのことで世に出てきたのです。

それが、この作品!!

Auf Wiedersehen red garland.jpg


ピアニストのOscar Petersonを擁し、数々の彼の名作を世に送り出したドイツのジャズ・レーベルMPSより発表された”Auf Wiedersehen”です。

私もこの作品が発表された時は大いに期待したのですけど、まずはと思い自分で聴くより先に、日頃Red Gariand ”いのち” と自ら称すほどGariandファンの友人のところに行きその評価を求めたのですけど................


帰ってきた答えは...................

そのことをお話しする前に、この作品から、まずはDizzy Gillespieの名曲”A Night In Tunisia”をお聴きいただき、その答えを探っていただくことにいたしましょう。



と聴いていただいたところで、その言葉、それはGarlandの過去の演奏に起因していたということで、ここでもう一曲。

ならば引退前の演奏も聴き比べてみなければということで、次にお聴きいただくのは、Gariandの引退前の年である1961年制作の作品、”Bright And Breezy”から

Bright_&_Breezy.jpg


これまた、ジャズの有名なスタンダード・ナンバーの”On Green Dolphin Street”、この両者をお聴き比べいただき、さらにその答え探っていただくことにいたしましょう。







続きを読む


nice!(18)  コメント(1) 
共通テーマ:PLAYLOG

70年代に蘇ったCharlie Parkerの心;渡辺 貞夫 with The Great Jazz Trio/Bird of Paradise [音源発掘]

例年に増して著しく早く明けた今年の梅雨。
そして、その梅雨が明けたと思えばいきなり夏全開の超暑い日が続いた思ったら、これまでの台風とは異なり日本列島を東から西へ逆走する台風12号の襲来。
そして、はたまた13号が!!!

体が慣れる間もなく容赦なく照りつける真夏の太陽に、もう辟易といった方も多いのではと思いますが。

今回は、その暑さに対抗してはたまた暑いジャズのお話。

前々回の記事「天才ドラマーを支えたピアニスト」で取り上げたドラムのTony Williamsについて、

1977年の渡辺貞夫と当時Tonyも在籍したHank Jonesのピアノ・トリオ・The Great Jazz Trioによる、全曲モダン・ジャズの父とも言われる”Charlie Parker” に因んだ楽曲を収録した演奏作品、 ”Bird Of Paradise”の収録時のこと、1945年生まれでParkerの全盛期にまだ幼かったTonyは、Parker の曲を全く知らなかったのにも拘らず、Tonyのとにかく1回聴かせてくれという要望に応え演奏し聴かせたところ、一発でその曲を覚えてしまい、次の演奏で完璧なドラム・プレイで収録を熟してしまった。 


という彼の伝説の一齣をご紹介させていただきましが、実は、このことを書き始めた途端にその昔よく親しみ聴いた、かの作品を聴きたくなり、そこでさっそくアルバムをGetに走り、久々に聴きなおしてみたところ、当時は、気づくことの出来なかった新たな強いインパクトを受けてしまったのです。

そして聴くほどに、次の記事で取り上げるのは、この作品をおいて他にはにないと思うようになってしまったことから今回は、その作品を取り上げ語ることにいたしました。

その作品のジャケットがこちら!!

渡辺貞夫 bird of paradise.jpg


そもそもこの作品、私が初めて聴いたのは、この作品がリリースされる2年ほど前の1977年初夏のこと。
当時、毎週FM東京で放送されていた、渡辺 貞夫が都度来日した海外アーティストを迎えての共演や、一つのテーマに基づき取り上げた楽曲を自己のカルテットで演奏収録し聴かせていた番組、”渡辺 貞夫マイ・ディア・ライフ” でだったのですけど、この時期の渡辺 貞夫というと、この作品の収録直前、Lee Ritenourや、Dave Grusinとの初共演よるフュージョン作品”MY DEAR LIFE”を収録を終え 貞夫フュージョン時代の扉を開いたばかりの頃で、私自身、ナベサダによるオーソドックスなジャスの新作は、しばらくの間 耳にすることは出来ないのではと思っていた頃なのです。

そうした時に、”Charlie Parker” に因んだ楽曲ばかりを演奏、それをFMで放送するという朗報。
しかも、その共演者は、この作品の前の年に発表され、大好評を博した作品 ”I'm Old Fashioned” で共演したThe Great Jazz Trioだと知り、これは絶対に聴き逃すことは出来ない、それに加えこの演奏、即座にレコード化されリリースされることはないだろうと考え、エア・チェックの準備を整えその放送開始を待つことにしたのです。


そうして向かえた放送当日、仕掛けておいたテープ・レコーダーの稼動を確かめて、即その放送に聴き入ると、番組進行DJによるこの日のセッションの簡単な紹介の後、聴こえて来たのは紛れもなくあの懐かしいビ・バップの空気に包まれた熱いジャズ・サウンド。
Parkerを師と仰ぐ渡辺 貞夫のアルトも、ビ・バップの時代よりジャズの世界に君臨するHank Jonesと、またこの時は、まだ若きRon Cater、Tony Williamsという、今こそ現代を代表する名手と呼ばれる二人のバックを得、その気高き師に迫りくる白熱のプレーを繰り広げていたのです。
けどまた、そうした演奏の間に間に放送では、いくつかのこのセッションのエピソードが紹介されていたのですが、実は、冒頭に御紹介したTony Williamsの伝説譚も、この番組の中で語られていたものの一つだったのです。

さて、そのTony Williamsのドラム、実は、こうした伝説譚を知りつつ、私自身、これまでこの作品を何度となく聴いて来たはずなのに、何故かその印象はあまり心に残っていなかったのです。


それから半世紀余り、今回聴き直してみてこの作品、何故かこれまでに知り得なかった強いインパクトを感じることとなった、その因となったのが、前々回の記事で語った、Tonyのドラム・プレイだったのです。

ビ・バップ時代のドラムから、さらに複雑化したリズム打ち鳴らす彼のドラム。それでいて、あのビ・バップ全盛時代世間を驚かされたMax Roachのメロディアスなドラム・プレイを凌ぐメロディアスな側面を有しつつ、よりに複合化したドラム・サウンドをもたらし入れていた。

そしてそうした彼のプレイが、古色の影が漂い始めた来たそれら楽曲群に、新しい装いを着せ新たに蘇らせる原動力となっていた。

と、そうしたことに気付かされことになったのです。

それでは、その白熱の演奏、いつものように、ここで1曲聴くことにいたしましょう。
曲は1943年 Gene de Paul,Don Rayeのペンのなるスタンダード・ナンバーで”Star Eyes”です。




続きを読む


nice!(18)  コメント(4) 
共通テーマ:PLAYLOG

和みの空気を運ぶ、紫陽花の咲く街角 [閑話休題]

前回の記事から1ケ月、長い間お休みをしてしまいましたが........

実はこうなったのも、今年は4月から、災禍続きの私。

以前にもお話しをしましたが、4月に薬の副作用で胃腸障害を引き起こし1ケ月近く満足に食事を摂ることが出来なかくなったのを皮切りに、その回復の兆しが見えたところで、今度は齢90歳を越えた父が、インフルエンザを発症し入院。

高齢でのインフルエンザ発症、これは命取りになる見舞いに行かなければ思うも、2週間で6㎏も体重を減らしてしまった私は、著しい体力低下招来のまっただ中、、何をしてもすぐ疲れてしまう状態で、今生の別れとなるかもしれない事態を前にして、出掛けて行くとなどということもまならずという有様。

しかし、幸いにして父の病は回復しなんとか退院、私の方も、やっとのことで体力回復の兆しが見え始めていたことから、これで一件落着、これで父を見舞うことが出来ると安堵していたところに、今度は、ここ暫く症状が治まっていた30年来のお付き合いとなるアレルギー性皮膚炎の再発。

この病気、これまでなら売薬を飲めば治癒していたものが今回は全く効かず症状は悪化するばかりで、これは医者にかからねばと治らないと、はたまた病院通いをすることになってしまったのです。

そして、その病気も医者が処方してくれた薬のおかげで快方へ向かったのはいいですけど、負の連鎖はこれで収束に向かわず一難去ってまた一難。

今度は、さらに大きな、負の打撃の大きな一振りに見舞われてしまうことになってしまったのです。


それは、父の死


90歳を越えていた父、その年齢でのインフルエンザ発症といえばまず助からないと、私たちも覚悟したのですけど、見舞いに行き励ましを重ねたところ、どうにか元気を取り戻し、その回復の様子に医者も驚いていたことから一旦は安堵したのですが.........

やはりとインフルエンザとの闘いは、90歳という年齢にはかなり厳しいものであったようで、それから1週間後、その体力のすべて使いつくした末の出来事だったようなのです。








そうした鬱陶しさに加え忙しさの加わった毎日を過ごすことになってしまった今年の私の6月、目まぐるしく動き過ぎ行く時の中、その心と体は、憂い荒みがちになり疲れ果ててしまっていたのです。

そして、こんな調子では、またひとつ隠れた病が頭を出してくるのではと心配していたところ......

日々過ごす日常の街角で、その思いを救ってくれる予期せぬ救世主に出会うことになったのです。


ぞれは、忙しく実家と病院の間の平凡な街角を往復する日々、そこで見つけたこの季節ならではの和みの風景の一コマ。

この季節、当たり前のように街角に咲いている紫陽花の花の姿だったのでした。

DSC_2806w.JPG


これまで全く気付いていなかったのですが、この紫陽花、その和みの空気に惹かれて注意深くいつもの街を歩き見てみると、普段見慣れた街の風景のいたるところに季節の彩を醸し出し咲いていることを知ったのです。

ならば、その一つ一つを訪ね歩いてみれば、負の連鎖に痛みつけられた私の心もその憩いの空気で癒し潤して治すことが出来るかもしれないと思い、それらをつぶさに観察してみると、普通に知られる紫陽花とは異なった花をつけた紫陽花を多々見つけることになってしまったのです。

例えばこの紫陽花

DSC_2743km.JPG


良く見ていただくと、その前の写真の紫陽花とは一つ一つの花の形が違うことが、お分かりなるのではと思います。

おまけに、普通は、紫陽花の花色、酸性の土壌では青い花を、アルカリ性の土壌では赤い花をつけるといわれているのですけど、こちらはその双方が混合し咲いています。

そして、果たしてこの花の咲くここの土は酸性?アルカリ性?......................と、
この青と赤の花が混じり咲く様子に首をかしげながらさらに歩いていると、次に出会ったのは,

さらに驚きの、このガクアジサイの花 !!




続きを読む


nice!(14)  コメント(10) 
共通テーマ:PLAYLOG
前の10件 | -