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50年代を席巻したピアニスト、その後の変遷を聴く [音源発掘]

ここところ、日頃の忙しさにかまけ、月1回の更新となってしまっていた当ブログ。
これままでは、遺憾!!、このまま放置すれば気力も失せ早晩消滅の憂き目となってしまうと、少々焦りを感じていたのですが。

しかし、月は8月、考えてみればはお盆の休みもあることだし、ならば、ここでひと踏ん張りしてと奮起して、ようやく当月2回目更新へと筆を執ることにした今回の記事。


紆余曲折を経て取り上げることにしたその話題は、いつもの音楽ネタではあるものの、ただの作品紹介ではなく、1950年代活躍したとあるジャズ・ピアニストの新旧作品を聴き比べその変遷をたどりながら、それぞれの時代のプレーを聴き比べてみようという趣向。

そうして選んだピアニストは、Red Garland。
それでは、早速Garland、その経歴とあわせその変遷を聴き比べてみることにいたしましょう。



Garlandというアーティストが、大きくジャズシーンに取り上げられるようになったのは、1950年代半ば、1940年代のビ・バップ衰退以後 ジャズの中心はアメリカ西海岸へと移ってしまっていた中、再びその覇権をが東海岸へと取り戻すべき、Art Blakey、Clifford Brown、Max Roach、Miles Davis等が新時代のジャズであるハード・バップを掲げ活動を開始した頃、Milesが自己の新しいQuintetのピアニストとして彼を起用しことに始まります。

そして、その後Garlandは、そのリズムセクションの一員としてPaul Chambers(b),Philly Joe Jones(ds)と共に活躍、このQuintetを時代の頂点へ導くに大いなる貢献を果たすことになるなのです。


また、その当時のこのトリオは、MilesのQuntetの人気と共に、ピアノ・トリオとしてだけでもかなりの人気を博していたようで、人々をしてオールアメリカンリズムセクションと呼ばしめたほどだったというのです。

しかし、そうした成功も2年余り続くと、今度は1957年以降Milesが、新しいジャズを求めてGil Evansとの共同作業を開始すると、それによりバンドの活動は低迷、ついに1958年3月のレコーディング最後にGarlandもMilesと袂を別ち独自の道を歩むことになるのです。

そして、迎えた1960年代、ジャズの世界もこれまでのハード・バップからモーダル・ジャズの時代となり、そこに加え新たに台頭してきたロックの影響により、それまでのジャズは衰退。50年代をけん引して来た多くのミュージシャンがその活路を求めヨーロッパに拠点を移す中、Garland自身はアメリカに残り活動を続けていたのですが、1962年、その彼も新時代の波には贖えず、とうとう引退への道を歩むことになってしまyったのです。


それから10年。
そのGariandが、復帰したのは1970年代半ばの事。
この時期のジャズは、Chick CoreaやWeather Reportなどの登場によってロックなどのエッセンスを吸収した新しい時代のアーティストによって再び隆盛を取り戻しつつあったのですが、それと共に50年代往年のピアニストたちも続々と復帰、Hank JoensやTommy Flanagan、Kenny Drewなどがいち早く作品を発表して大いなる脚光を浴びていたのです。

そして、50年代のピアノといえばやはりこのGarland、一体Galandはどうしているのだろうか思われようになった中、1975年、待望の彼の復帰作がやっとのことで世に出てきたのです。

それが、この作品!!

Auf Wiedersehen red garland.jpg


ピアニストのOscar Petersonを擁し、数々の彼の名作を世に送り出したドイツのジャズ・レーベルMPSより発表された”Auf Wiedersehen”です。

私もこの作品が発表された時は大いに期待したのですけど、まずはと思い自分で聴くより先に、日頃Red Gariand ”いのち” と自ら称すほどGariandファンの友人のところに行きその評価を求めたのですけど................


帰ってきた答えは...................

そのことをお話しする前に、この作品から、まずはDizzy Gillespieの名曲”A Night In Tunisia”をお聴きいただき、その答えを探っていただくことにいたしましょう。



と聴いていただいたところで、その言葉、それはGarlandの過去の演奏に起因していたということで、ここでもう一曲。

ならば引退前の演奏も聴き比べてみなければということで、次にお聴きいただくのは、Gariandの引退前の年である1961年制作の作品、”Bright And Breezy”から

Bright_&_Breezy.jpg


これまた、ジャズの有名なスタンダード・ナンバーの”On Green Dolphin Street”、この両者をお聴き比べいただき、さらにその答え探っていただくことにいたしましょう。







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70年代に蘇ったCharlie Parkerの心;渡辺 貞夫 with The Great Jazz Trio/Bird of Paradise [音源発掘]

例年に増して著しく早く明けた今年の梅雨。
そして、その梅雨が明けたと思えばいきなり夏全開の超暑い日が続いた思ったら、これまでの台風とは異なり日本列島を東から西へ逆走する台風12号の襲来。
そして、はたまた13号が!!!

体が慣れる間もなく容赦なく照りつける真夏の太陽に、もう辟易といった方も多いのではと思いますが。

今回は、その暑さに対抗してはたまた暑いジャズのお話。

前々回の記事「天才ドラマーを支えたピアニスト」で取り上げたドラムのTony Williamsについて、

1977年の渡辺貞夫と当時Tonyも在籍したHank Jonesのピアノ・トリオ・The Great Jazz Trioによる、全曲モダン・ジャズの父とも言われる”Charlie Parker” に因んだ楽曲を収録した演奏作品、 ”Bird Of Paradise”の収録時のこと、1945年生まれでParkerの全盛期にまだ幼かったTonyは、Parker の曲を全く知らなかったのにも拘らず、Tonyのとにかく1回聴かせてくれという要望に応え演奏し聴かせたところ、一発でその曲を覚えてしまい、次の演奏で完璧なドラム・プレイで収録を熟してしまった。 


という彼の伝説の一齣をご紹介させていただきましが、実は、このことを書き始めた途端にその昔よく親しみ聴いた、かの作品を聴きたくなり、そこでさっそくアルバムをGetに走り、久々に聴きなおしてみたところ、当時は、気づくことの出来なかった新たな強いインパクトを受けてしまったのです。

そして聴くほどに、次の記事で取り上げるのは、この作品をおいて他にはにないと思うようになってしまったことから今回は、その作品を取り上げ語ることにいたしました。

その作品のジャケットがこちら!!

渡辺貞夫 bird of paradise.jpg


そもそもこの作品、私が初めて聴いたのは、この作品がリリースされる2年ほど前の1977年初夏のこと。
当時、毎週FM東京で放送されていた、渡辺 貞夫が都度来日した海外アーティストを迎えての共演や、一つのテーマに基づき取り上げた楽曲を自己のカルテットで演奏収録し聴かせていた番組、”渡辺 貞夫マイ・ディア・ライフ” でだったのですけど、この時期の渡辺 貞夫というと、この作品の収録直前、Lee Ritenourや、Dave Grusinとの初共演よるフュージョン作品”MY DEAR LIFE”を収録を終え 貞夫フュージョン時代の扉を開いたばかりの頃で、私自身、ナベサダによるオーソドックスなジャスの新作は、しばらくの間 耳にすることは出来ないのではと思っていた頃なのです。

そうした時に、”Charlie Parker” に因んだ楽曲ばかりを演奏、それをFMで放送するという朗報。
しかも、その共演者は、この作品の前の年に発表され、大好評を博した作品 ”I'm Old Fashioned” で共演したThe Great Jazz Trioだと知り、これは絶対に聴き逃すことは出来ない、それに加えこの演奏、即座にレコード化されリリースされることはないだろうと考え、エア・チェックの準備を整えその放送開始を待つことにしたのです。


そうして向かえた放送当日、仕掛けておいたテープ・レコーダーの稼動を確かめて、即その放送に聴き入ると、番組進行DJによるこの日のセッションの簡単な紹介の後、聴こえて来たのは紛れもなくあの懐かしいビ・バップの空気に包まれた熱いジャズ・サウンド。
Parkerを師と仰ぐ渡辺 貞夫のアルトも、ビ・バップの時代よりジャズの世界に君臨するHank Jonesと、またこの時は、まだ若きRon Cater、Tony Williamsという、今こそ現代を代表する名手と呼ばれる二人のバックを得、その気高き師に迫りくる白熱のプレーを繰り広げていたのです。
けどまた、そうした演奏の間に間に放送では、いくつかのこのセッションのエピソードが紹介されていたのですが、実は、冒頭に御紹介したTony Williamsの伝説譚も、この番組の中で語られていたものの一つだったのです。

さて、そのTony Williamsのドラム、実は、こうした伝説譚を知りつつ、私自身、これまでこの作品を何度となく聴いて来たはずなのに、何故かその印象はあまり心に残っていなかったのです。


それから半世紀余り、今回聴き直してみてこの作品、何故かこれまでに知り得なかった強いインパクトを感じることとなった、その因となったのが、前々回の記事で語った、Tonyのドラム・プレイだったのです。

ビ・バップ時代のドラムから、さらに複雑化したリズム打ち鳴らす彼のドラム。それでいて、あのビ・バップ全盛時代世間を驚かされたMax Roachのメロディアスなドラム・プレイを凌ぐメロディアスな側面を有しつつ、よりに複合化したドラム・サウンドをもたらし入れていた。

そしてそうした彼のプレイが、古色の影が漂い始めた来たそれら楽曲群に、新しい装いを着せ新たに蘇らせる原動力となっていた。

と、そうしたことに気付かされことになったのです。

それでは、その白熱の演奏、いつものように、ここで1曲聴くことにいたしましょう。
曲は1943年 Gene de Paul,Don Rayeのペンのなるスタンダード・ナンバーで”Star Eyes”です。




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和みの空気を運ぶ、紫陽花の咲く街角 [閑話休題]

前回の記事から1ケ月、長い間お休みをしてしまいましたが........

実はこうなったのも、今年は4月から、災禍続きの私。

以前にもお話しをしましたが、4月に薬の副作用で胃腸障害を引き起こし1ケ月近く満足に食事を摂ることが出来なかくなったのを皮切りに、その回復の兆しが見えたところで、今度は齢90歳を越えた父が、インフルエンザを発症し入院。

高齢でのインフルエンザ発症、これは命取りになる見舞いに行かなければ思うも、2週間で6㎏も体重を減らしてしまった私は、著しい体力低下招来のまっただ中、、何をしてもすぐ疲れてしまう状態で、今生の別れとなるかもしれない事態を前にして、出掛けて行くとなどということもまならずという有様。

しかし、幸いにして父の病は回復しなんとか退院、私の方も、やっとのことで体力回復の兆しが見え始めていたことから、これで一件落着、これで父を見舞うことが出来ると安堵していたところに、今度は、ここ暫く症状が治まっていた30年来のお付き合いとなるアレルギー性皮膚炎の再発。

この病気、これまでなら売薬を飲めば治癒していたものが今回は全く効かず症状は悪化するばかりで、これは医者にかからねばと治らないと、はたまた病院通いをすることになってしまったのです。

そして、その病気も医者が処方してくれた薬のおかげで快方へ向かったのはいいですけど、負の連鎖はこれで収束に向かわず一難去ってまた一難。

今度は、さらに大きな、負の打撃の大きな一振りに見舞われてしまうことになってしまったのです。


それは、父の死


90歳を越えていた父、その年齢でのインフルエンザ発症といえばまず助からないと、私たちも覚悟したのですけど、見舞いに行き励ましを重ねたところ、どうにか元気を取り戻し、その回復の様子に医者も驚いていたことから一旦は安堵したのですが.........

やはりとインフルエンザとの闘いは、90歳という年齢にはかなり厳しいものであったようで、それから1週間後、その体力のすべて使いつくした末の出来事だったようなのです。








そうした鬱陶しさに加え忙しさの加わった毎日を過ごすことになってしまった今年の私の6月、目まぐるしく動き過ぎ行く時の中、その心と体は、憂い荒みがちになり疲れ果ててしまっていたのです。

そして、こんな調子では、またひとつ隠れた病が頭を出してくるのではと心配していたところ......

日々過ごす日常の街角で、その思いを救ってくれる予期せぬ救世主に出会うことになったのです。


ぞれは、忙しく実家と病院の間の平凡な街角を往復する日々、そこで見つけたこの季節ならではの和みの風景の一コマ。

この季節、当たり前のように街角に咲いている紫陽花の花の姿だったのでした。

DSC_2806w.JPG


これまで全く気付いていなかったのですが、この紫陽花、その和みの空気に惹かれて注意深くいつもの街を歩き見てみると、普段見慣れた街の風景のいたるところに季節の彩を醸し出し咲いていることを知ったのです。

ならば、その一つ一つを訪ね歩いてみれば、負の連鎖に痛みつけられた私の心もその憩いの空気で癒し潤して治すことが出来るかもしれないと思い、それらをつぶさに観察してみると、普通に知られる紫陽花とは異なった花をつけた紫陽花を多々見つけることになってしまったのです。

例えばこの紫陽花

DSC_2743km.JPG


良く見ていただくと、その前の写真の紫陽花とは一つ一つの花の形が違うことが、お分かりなるのではと思います。

おまけに、普通は、紫陽花の花色、酸性の土壌では青い花を、アルカリ性の土壌では赤い花をつけるといわれているのですけど、こちらはその双方が混合し咲いています。

そして、果たしてこの花の咲くここの土は酸性?アルカリ性?......................と、
この青と赤の花が混じり咲く様子に首をかしげながらさらに歩いていると、次に出会ったのは,

さらに驚きの、このガクアジサイの花 !!




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天才ドラマーを支えたピアニスト・Tony Williams;Young at Heart・with Mulgrew Miller [音源発掘]

前回の記事で、ピアノ・トリオの作品が聴きたくなり、いろいろ物色し聴いている由、お話をいたましたが、前回の記事でご紹介したDon Friedmanの作品を聴き、これまで自分自身が気付かなかった新たな発見を多々得たことから、すっかりピアノ・トリオの魅力に嵌ってしまった私。

そうしたことで、「柳の下にいつも泥鰌はいない」の例えの如くになってしまうかもしれないと思いつつも、今回も前回に引き続きピアノ・トリオの作品を聴き記事することで、また何か新しい発見が出来るのではと、またその作品を選び出しその感想を書いてみることにいたしました。



そこで今回選んだピアノ・トリオの作品は............

Young at Heart tonny willams.jpg


1960年代ジャズの中核をなし、その歴史にその名を大きく刻んだMiles Davis Quintetのドラマーとして、僅か17歳の若さで抜擢され、その重責を果たしつつドラムの新たな世界を切り拓いた天才ドラマーのTony Williamsの”Young at Heart”です。

あれ~~!!!!!

ピアノ・トリオの作品に嵌っていると言いながら、ピアニストのリーダー作品ではないのですか??!

という声もあろうかと思いますが、この作品、1997年に51歳の若さで他界したTony Williamsの事実上、最後のリーダー作品であると共に、彼の名を冠した唯一のピアノ・トリオによる作品なのです。


こうしたドラマーがリーダーとなっているピアノ・トリオ作品というと、ドラマーが前に出ようとし過ぎ、そのことが全体のバランスを損なう結果をもたらしてしまっているものが多々見られるのですが、この作品、1986年以来、演奏を共にし互いに気心の知れたピアニストのMulgrew Millerとのコラボで、ともすればバンド全体を食ってしまいがちなTonyのドラム も、共々の個性を損なわずにベストの状態を引き出すプレーに徹していて、それがピアノ・トリオとしての最良のサウンドを生み出しているあたり、ピアニストがリーダーとなっている他のピアノ・トリオ作品にはない聴きどころがある作品だと感じ、ここに取り上げることにしたのです。

そこで、相対するピアニストのMulgrew Millerのこと、その経歴を見てみると、Duke Ellingtonの息子Mercer Ellington の率いるオーケストラのピアニストとして招かれたの皮切りに ヴォーカルのBetty Carterの下で活動、その後1983年にArt Blakey & The Jazz Messengers に加入、当時のこのバンドのトランペッターのTerence Blanchard、 アルトサックスのDonald Harrison 等と共に、後にジャズの新時代を担うこととなる、この名門バンドの後期黄金時代を築くに大きく貢献した素晴らしい経歴を裏付けに持つアーティストなのです。

私が、彼の存在に注目したのも、そのArt Blakey & The Jazz Messengers の作品、1985年の”Art Blakey & The Jazz Messengers Live At Sweet Basil ”で、Terence BlanchardのDonald Harrison 等、当時新進気鋭の若手の溌剌としたプレーに対し、それに負けないキラッと光る個性を放つ新鮮なプレーに接してのことだったのです。


そうしたMiller、1986年からはTony Williams Quintetに参加、以後その関係はTony の亡くなるまで続くのですが、本題に入る前に、ここでTony とMillerの最後のコラボを捉えたこの作品から、今回もこの辺で1曲聴いてみることにしたいと思います。

曲は、Mulgrew Millerのペンになる”Farewell To Dogma ”です。







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影に隠れたパイオニア!老いて輝く燻銀のプレー・Don Friedman;Timeless [音源発掘]

今回は、またいつもの音楽話題。

最近ご無沙汰していたこともあってか、ピアノ・トリオの作品が聴きたくなり、その辺りを物色していろいろ聴いてみているのですけど、その中でもよく聴いているのが、50年代から60年代初頭に活躍をしていながらも一旦はシーンからも消えながらも、70年代半ば以後、再び復帰した名手たちの諸作品。

その代表的なピアニストとしては、Hank JoensやTommy Flanaganが有名なのですが、今回聴いてみて印象に残ったのは、その二人に遅れて再登場したピアニストで、60年代のより新しい時代のスタイルを纏ったピアニストのこの作品。

Don Friedman Timeless.jpg


Don Friedmanの”Timeless”を取上げ語ることにいたしました。

彼の作品としては、以前に1962年制作の、その後、彼の名を不朽のものとした名盤”Circle Waltz”について語らしていただきましたが、それを書いた後、60年代の半ば以降一旦は引退してしまったものの、10年の時を経て70年代半ばにカムバックした彼の演奏に接してみたくなり、探し聴くことが出来たのがこの作品。

この作品の制作は、2003年なのですが、これまで、ミレニアムの前後に制作発表されたジャズ全盛の50年代、60年代に活躍したアーティストの諸作品に接して来た私にとって、そのどれものにアーティスト自身の人生から得たであろう奥深い思慮の痕跡と年輪を重ねた円熟味を感じたことから、この年68歳を迎えたFriedmanのこの作品にも、そうした何かがあるのではと考え選び聴いてみることにしたものなのです。

さて、そのDon Friedmanのピアノ・スタイル、それは、通常現代ジャズ・ピアノのスタイル原点といわれているBill Evansのスタイルを踏襲していると言われることが多く、実際に聴いてみても両者は瓜二つとまでは言わないにせよ、さもありなんと思ってしまうほどの相似性を感じてしまうのですけど、Friedmanについていろい
ろ調べてみると、本人自身は、どうもそう思っていなかったどころか、自分こそ新時代のピアノ・スタイルの生みの親だと思っていた節があるというのです。

というのも、Bill Evansの代表作とされる”Portrait in Jazz”や”Waltz for Debby”でその好演に大きな役割を果たしたベーシストの Scott LaFaroや、LaFaroの死後、代わってBill Evansトリオのベースを努めたChuck Israelsの二人のべーシストは、Evansのトリオに参加する前にはFriedmanのトリオに在籍していたからで、Friedmanしてみれば、Evansのピアノ・トリオのそもそもの根源は自分自身だと考えていたのではないかというのです。

さて、こうしたFriedman草創期におけるベーシストへの強いこだわり、実は今回取り上げた”Timeless”でもそのこだわりには変わりはなく、起用されたベーシストは、80年代後半Chick Coreaのエレクトリック・バンドに参加、驚異のエレクトリック・ベース・テクニックで脚光を浴び、90年代に入るとアコースティックに回帰した
Chick Coreaの下で、彼もアコースティックに器を持ち替えエレクトリック同様の驚異のベースプレイでピアノ・トリオに新鮮な息吹を吹き込んだ名手John Patitucci 。

実は、私がこの作品に注目したのは、メンバーにこのPatitucciの名を見つけたからなのです。

1959年生まれの、このレコーディング時には44歳であったPatitucciと一回り以上の年の差のあるFriedmanとのコラボ。60年代ジャズ・ピアノの世界に新風を吹き込んだFriedmanと、フュージョンの洗礼を受けつつ現代のアコースティックなジャズ世界に新風をもたらしたPatitucciとの出会いが、どんなサウンドを生み出し聴かせてくれるのか!!

そんなことを思いながら、この作品に針を落としてみたのですが........。

といところで、その二人の織り成すサウンド、ここでご一緒に、まずは1曲聴いてみることにしたいと思います。

曲は、Bill Evansの演奏でも有名な”Emily”です。















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足早に駆け抜けた早春を彩った花々の残映 [仕事の合間に]

例年に増して気温の高い日々が続いた今年の4月。

ところによっては、まだ春が訪れたばかりというのに最高気温30℃と真夏さながらの陽気となった地域もあったりして。

おかげで、開花のかったソメイヨシノに続いて花を見せる花々も開花も例年に比べ随分早く、いつもは5月の連休明けにかけて咲く藤の花が、この時期、既に花は終わり棚の周りは一面緑の葉に覆われてしまっていたことに私もビックリ。
今年のソメイヨシノ開花の状況から、他の花の見頃は早くなるとある程度は予想し、カメラ片手に行く先々でその花々を楽しんで来た私でしたが、次第に予想を越える季節の深まりの進行の速さに、しまいには、日々急がねばとせわしなく追いまくらているような気分になってしまったほど。

とは言いながらも、後で落ち着いて撮りためた絵を見てみると、なんとか要所々は抑えられたような感じで一安心。
中でも今年は、当初予定になかった高崎に立ち寄り、春の高崎城址公園散策の機会を得ることが出来たのは大きな収穫でした。

DSCN5692km.JPG


その高崎城というお城、秀吉の小田原攻め後、昨年のNHK大河ドラマでお馴染みとなったあの井伊直政が、主君徳川家康の江戸への国替えに伴い上野国12万石を拝領し、当初は戦国期、この地の中心として存在した上杉氏方の最前線の城として幾多の戦禍を撥ね退けた名城箕輪城にその拠点を置くも、その後家康の命により中山道と三国街道の分岐点となるこの交通の要綱に監視の拠点として築いたもの。
元々この地、箕輪城とは別に後北条氏に属した和田氏の居城故和田城あったところで北条氏滅亡後は廃城となっていた所に築城されたのが現在のこの城跡。

そして、現在高崎と呼ばれるこの地名も、直政がこの城に入城する際に、その直政よって命名にされたという井伊氏と所縁の深い地だというのです。

しかし、その井伊氏もこの城の完成を見ることなく、ほどなく井伊といえば彦根のある近江国に移封となり、その後は目まぐるしく入れ替わり入封した徳川譜代の大名らの手によって城郭が整えられたのが、今、その痕跡を僅かに残すこの高崎城址なのです。

さて、この城址公園となっている高崎城、その城の構造物や建築物は、明治期以降そのほとんどが移築また取り壊しとなってしまったため、現在残る創建時の遺構は上記写真の乾櫓、そして土塁などと多くはないのですが、散策してみると城の面影が残る風情の周辺に高崎市庁舎や文化施設が建っていて、それがこの城跡と程よく調和し往時を気風を伝える空気となって身に注いでくるような気にさせてくれているのです。

DSCN5684km.JPG


そして、そうした気分に浸りながら園内を歩き乾櫓の周りに来てみると、そこで出会ったのがこの風変りな建物???

DSCN5703km.JPG


大きなコントラバスのようにも見えるのですけど、これは一体???
と思って、辺りをを見回すと乾櫓の対面にある文化施設と思しき建物の方に目をやると、目に飛び込んで来たのがこの看板。

DSCN5704k.JPG


そこには、”群馬音楽センター”とあります。

「ああ、それならば!!」とこのモニュメントようなものの存在に納得をしつつ、しからば何のためにこうしたものがここに設置されたのだろうかと、ガラス越しにその扉の内を覗いてみると、そこにその答えがありました。




実はこれ、公衆電話ボックス!!なのです。

携帯電話が普及した今、まずお世話になることはなくなりましたが、こんな公衆電話なら、中に入ってちょっと使ってみようかとのに気にもなりますよね。



さて、長々と回り道をしてしまいましたが、タイトルの”足早に駆け抜けた早春を彩った花々の残映”。の花たちの様子のこと。
ここまで、上の高崎城址公園の写真を見ていただいても、ほぼどこにも花の気配らしきものはないようにも見えますよね。

確かにこの場所、花が群れなし咲いている場所ではないのですけれど、ところどころに花を咲かす樹木が立っていて、それが新緑と城址周辺の時空の交差した佇まいとほどよく調和、華々しさこそないものの落ち着いた瑞々しい命を感じさせるる空間を作り上げていたのです。

おりしも、ソメイヨシノが咲き終えたこの時期、幾種もの八重桜や山桜が満開で、それが清楚で安らぎある美をもたらしつ、清々しい春の雰囲気を醸す場を生んでいたのです。

それでは、清々しい春の雰囲気を醸すその様子、今回は4月中私が歩いた町々で出会った春の花々の映像とあわせ、こんなPVにいたしましたので、ここで、ご覧いただきその空気、少しでも味わっていただければと思います。



このPVの最後に登場した藤の花、これを撮影した2日後に見た時には、花はかなり散ってしまっていて、ここでもあらためて今年の春の深まりの進行の速さ、つくづく思い知らされてしまいました。


花々の様子をご覧いただいたところで、この高崎城址公園、今回歩いてみて可憐な花々と共にもうひとつ深く印象に残ったのが、こちらの彫像。

DSCN5679km.JPG


一見、どこの街角にあるような像にも見えるのですけど...........、

これは長崎の平和記念像の作者として知られる日本を代表する彫刻家 北村西望の”将軍の孫”という作品。

長崎の平和記念像の他、彼の作品として有名な作品としては、山口県萩の”山縣有朋像”や岐阜県岐阜羽島駅前の”大野伴睦先生御夫妻之像”、JR熊谷駅前の”熊谷之次郎直實像”などがあるのですが、そのどれもとっても、かなりの大型でかつ厳ついイメージの作品が多い中、この”将軍の孫”(西望の長男,治禧(はるよし)氏5歳時の姿が、モデルとなっているのだそうなのです。)の像は、それに比べかなり小ぶりで、他の大型作品には感じられない西望の父親としての優しく・暖かさに満ちた愛情がその小さな体から滲み出ているようにすら感じられます。

特に若い頃、美術品搬送のアルバイトで東京武蔵野市の井之頭自然文化園内にある西望の園内の熱帯植物温室と見まがうばかりの巨大なアトリエ(井の頭自然文化園 彫刻園となっているとのこと)を訪れたことのある私にとっては、その時見たアトリエの高見に立ち気難しげに思索する西望の姿と相まって、この少年の像から湧き出るそこはかとない愛らしさが、私が感じた西望のものだとはにわかに信じられず、そこに大きな衝撃を受けてしまうことになってしまったのです。


そうしたことを考えながら、像の下に書かれたこの像の説明書きを読んでみると、この像、現在は井之頭自然文化園、調布の神代植物園、箱根の彫刻の森美術館、八王子駅入口など各地にあるのだとかで、その幾つかは私も以前訪れ見ているはずなのですが、それが完全に記憶の外になっていたことに気付かされたのです。

それまで何も感じることのなかったにも変わらず、ここで受けた強いインパクトは!!?

それは、この城址公園の雰囲気と春の空気が、この像に子供らしい無邪気さと命の活力を与えくれたことによるものなのか。

道端にポツンと唐突に据えられいるかのように見えたこの高崎の”将軍の孫”の像、しかし、それは高崎という街の歴史を蓄えた自然の力を得て光彩を放さしめていた、そこに、この地に暮らす人々のさりげなさの中に潜む豊かな感性の断片を見たように思えたのです。

あたためてこの町の奥行きの深さを感じ、短い時間でしたがいろいろな思いに巡り合わせてくれたこの地でのひと時に感謝しつつ、良い思い出を携え帰路につくことにしたのでした。



DSCN5726km.JPG



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大都会に春を告げる靖国のソメイヨシノ [仕事の合間に]

真冬と初夏の間を彷徨った今年の早春。

3月初めの頃は、おりしも訪れた冬逆戻りの様相から、桜の開花もいつになることかと考えていたところに、突然の初夏の如くの陽気の到来。
そのせいで、固く閉じていた蕾もにわかにその結びを緩めることになったのか、あれよあれよという間に桜開花宣言近しのニュースが巷を賑わすようなっていたように思うのです。
そして、東京では3月17日に開花発表、続いて早24日午前には満開宣言の発表、平年より7日早い開花に合わせ今度はさらに平年より10日、1953年以来3番目に早い満開との、矢継ぎ早に報じられる桜の動向の変化に、昨年まで朝夕桜並木の下を日々その移り変わりを楽しみながら職場に通っていた私は、今は他の職場に移りここ歩くこともなくなってしまっていたら、このまま過ごせば、今年は辺り一面に咲き誇る桜の風景を見ることもなく終わってしまうのではとの焦燥感を抱いてしまっていたのです。



とは言っても開花宣言はまだ出ていないし、ちょっと今の開花状況だけでも見ておこうと思い、帰宅時に日々利用する最寄の駅周辺を歩いてみたところ、そこで出会ったのが全身に花を身につけ咲き誇る駅前広場に立つこの桜の木。

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それも、なんと満開の様子!

それにしても、今の駅舎と、この駅前の広場が出来てから間もなく20年が経つというのに、日々この駅を利用しながら、今までこうした風景があることに気付かなかった私。
確かにこの場所、家の方向とは逆の出口も場所であり、ここを通る機会も少なかった場所とはいえ、20年もの間ここに桜の木があることを知らずにいたとは、自分のそのうかつさに情けない思いを抱きながらその花の前へと足を運ぶことにしたのです。

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しかし、この満開の桜、東京より3日ほど開花宣言の遅かった千葉県で、東京の満開宣言がまだでもあるにも関わらず、こうした満開の桜の木があるのは何故と思い、さらに足を延ばして周辺の桜の開花状況を見てみると、そちらの方はどの木も3分咲き程度の様子。

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もしかすると、駅前のあの桜はソメイヨシノと別に種類の桜........................[exclamation&question]



すると考えられるのは、彼岸の頃に花を咲かせるという、日本の桜の古来種でソメイヨシノお母さんであるエド・ヒガン!!
ソメイヨシノが オオシマザクラ(父方)とエド・ヒガン(母方)の交配種であることから、ちょっと見ではソメイヨシノだと思ってしまうのですが、よく見てみると花の根元にエド・ヒガン特有の赤く丸いがくの形が見て取れます。
これで、一足早い花の盛りの謎も氷解。

それにしてもわずか20年前に出来た広場にソメイヨシノではなく古来種のエドヒガンとは、思いも寄らない身近な街の小さな発見に今年の桜との縁にの行方に、幸先を見たような気がになって来ます。


そして翌日出社をすると、早速その効が現れたのか、前に在籍していた外堀公園桜並木の横の職場からの仕事応援のための来訪依頼の電話があったのです。。

いやこれはラッキーとばかりに二つ返事で承諾し、打ち合わせの後に靖国神社まで足を延ばし、桜の饗宴に身を浸してこようと出掛けることにしたのです。

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かくしてその当日...........[exclamation][exclamation]








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Japan発!歴史にその名を刻んだLive・不朽の名盤!;Deep Purple・Made in Japan [音源発掘]

いつもの年より冷え冷え感が強かった今年の3月初旬、ところが中旬に来て季節の流れは一挙に変わり瞬く間にの春本番到来。
桜開花前線の急激な間に北上、東京では開花宣言から僅か3日の満開で、桜の見頃も早終盤となってしまったところ。

しかし、こうして訪れた力強い元気の種子漲りつつある季節の移ろいとは裏腹に、ここに来て体の調子は絶不調とあいなってしまった私。
春の訪れを導く変わり目の気まぐれな天気、特に今年のそれは例年に増してその傾向が激しかったことから、とうとう風邪をひいてしまい、それに合わせて持病ともいえるいくつかの症状が発症してしまったところに膝の関節痛まで患うという満身創痍状態になってしまって。


とは言っても、病にめげてばかりではますますその壷にはまってしまう!
ならばと一考、ここは一発心に元気をつけてその禍を一挙に打ち払ってしまおうと、にわかに試み聴き始めたサウンドがヘビーメタル。

そして、Unisonic, Harem Scarem, Accept, Circus Maximus, Helloween, ANGRA, IRON MAIDEN,
Primal Fear等々と手当たり次第に聴き始め、そのうちにたどり着いたのが、メタル創成期に誕生しメタルそのものの原点ともいわれている、あのバンドの名高きこのLive盤。

Deep_Purple_Made_in_Japan.jpg


Deep Purpleの1972年の来日公演を収めた不巧の名盤”Made In Japan”だったのでした。
私にとっては案の定の結末だったのですが、何と言っても数あるロックのLive盤の中でも、歴史に残る不朽名盤の誉れ高い本作品。
今回はその作品を聴きながら、私の音楽遍歴をまじえそのお話を進めることにしたいと思います。




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60年代!Chaosからの脱出;Chick Corea・Return To Foever- Light As A Feather. 本日の作品;vol.139 [デジタル化格闘記]

3月になりましたね。

そこで、今年に入ってからこれまで聴いて来た作品の傾向を振り返ってみたのですが、その結果は今年になって当ブログの記事で取り上げた作品の傾向と同様、1960年・70年代の作品がその中心となっていたことに気づかされたのです。

考えてみればこの時代、ジャズ・ロック等のポップ・シーンにおいては、Beatlesを核とするブリティッシュ・ロックの台頭、ジャズ・シーンにおいては、無調の世界、所謂フリー・ジャズの世界へと突入し 聴衆離れを引き起こしその活力失いつつも、再びその存在を取り戻そうと、ロックなどの新しい時代の感性を取り入れ、次なる時代の音楽を模索していた時代。
そして、さらには、それまで日常触れることの機会が少なかった黒人たちの音楽、R&Bが、その差別の撤廃を求めた公民権運動に勝利したことから、以降大きく紹介されようになったなど、これらの新しい音楽の潮流が生まれ、なおかつそのそれぞれが融合影響しながら多くの試みがなされ次から次へと世に発信されていた時。

その頃の私はというと、そうした新しい時代の潮流に乗ろうと、次から次へと登場するこれらの作品を追い求め買いあさっていたのですが、いつの間にか溜まってしまったその作品の数の多さから、聴く方が追いつかず、ろくに聴くこともないままお蔵入りにしてしまった作品がかなり数になってしまっていたのです。

しかし、今はあの日から数えて間もなく半世紀。
と言いながら、既にそんな時が流れてしまったのか.................
随分年をとってしまったものだと大きなショックを感じつつも、個性に満ちたあの時代の作品群、このまま埋もれさせてしまうのはもったいないと考え、昨年の終わり頃から、今の評価を下すべく古いレコードを取り出して、ぼちぼちと聴き始めたところ、いつの間にか1960年代・70年代の深み嵌ってしまっていたというのが、この結果。


そうした中で今回は、
あの時代によく聴き熱中した、40年の時を経た今、聴いてみれば、これこそが現代Jazzの原点だったのではと思われてくるこの作品。

Light As Feather.jpg


こうした美しいジャケットに包まれた、Chick Coreaと第1期 Return To Foreverによる1972年制作の”Light As A Feather”を聴き、そのインプレッションを語ることにいたしました。

本作品は、1960年代の終わりには Anthony Braxton、Dave Holland等と共にフリー・ジャズの世界に身を投じていたChick Coreaが、1970年代に入り突如大きく変貌、その後のJazzの進むべき方向を暗示した言われる歴史的大名盤との誉れ高い前作”Return To Foever"に続いて、前作と同じメンバーにより制作されたもの。

前作に比べよりPop度の増した本作品、発表された当時は前作の安易な2番煎じという目で見られ、けして芳しい評価を得られることなかった作品なのですけど、しかし、今聴いてみると、前作がナチュラルかつ透明な優しさを有しながら、その間に間に顔を覗かす強い緊張感にジャズとしての威厳を感じると共に新たな胎動の息吹を感じさせられるものだったのに対し、その2作目となる本作では、そうしたスタイルを継承しつつも、コマーシャリズム一辺倒に陥ることなく、さらに多くの人々にとって受入れ易いものとなっていて、なおかつグループとしての緊密度がさらに増したことから生まれる前作同様のミュージシャン相互のスリリングな展開がさりげなく随所に填め込まれているという、なかなかの聴き応えのある作品に仕上がっていると思われるようになったのです。


それでは、その透明な優しさとポピュラリティな色彩を有しつつ、密かにスリリングな一面を覗かせるそのサウンド、ここで聴いてみることにいたしましょう。

曲は、浮遊感漂うFlora Purim のヴォーカルとJoe Farrell の小気味良いフルートが活躍する この作品の冒頭に収められている曲 "You're Everything" です。




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メルヘンの森への招待・Jethro Tull;Songs from the Wood 本日の作品;vol.138 [デジタル化格闘記]

前2回は、これまで腰を据えて聴くことなかったJazz作品を取り上げ聴き直し、そのインプレッションを語って来ましたが、今回はちょっと矛先を変えてそのロック編。

その作品がこちら!!

Songs From The Wood.jpg


ロック界きってのフルート奏者でヴォーカル・コンポーザーのIan Aderson。
その彼が率いるJethro Tullの1976年の作品”Songs from the Wood”です。

1968年にデビューしたJethro Tull、私が彼らを最初に聴いたのは、彼らのデビューから5年後の1972年頃のこと。
フルート奏者がいるロック・バンドと聞いて、果たしてどんなサウンドを生み、聴くに値するものなのかという興味から付き合うことになってのですが、実際に聴いてみて、これまでのロックでは聴けなかった欧州の古き伝統の世界と、ロックという、まさに現代の象徴べき空気が見事に調和したそのサウンドにすっかり魅了されてしまったのでした。

そして、その後は彼らの作品がリリースされるとすぐに手に入れ、度あるごとによく聴いていたものだったのですが、この作品が発表された頃は、何かと忙しく家で過ごすこと時間もなかなか取れない状況で、Walkmanなど、外に好みの音楽を持って聴きながら出掛けることなど願うも不可能の時代のこと、そうであっても聴きたいなどの夢は叶わず、作品を手に入れたもののほとんど聴くことが出来ないままとなってしまっでいたものです。

とは言いながらもこの作品、その最初に聴こえて来た表題曲の”Songs From The Wood”のまるで森を覆う木の精霊たちが歌い語っているかのような雰囲気のサウンドに、静けさの溢れる森の中から湧き出る神秘的な生命のオーラを感じ、それが強く心に残ることになってしまったのです。
そのうえ近年、その思いがとみに強くなって来てしまい、どうしてもじっくりと聴いてみなければと考えるようになってしまったことから、今回、元のアナログ盤をデジタルに変換して持ち運び聴くことが出来るようにした次第。

そこで今回は、私の心に強く刻まれ残ってしまったメルヘン宿る神秘の森の世界、まずは皆さんにも感じてもいただき、ともにJethro Tullの深淵な音の世界に足を踏み入れ、また語らしていただくことにしたいと思います。


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