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ドラマー主催!! ピアニストの饗宴;With All MY Heart ・Harvey Mason [音源発掘]

度重なる台風の襲来を受けた今年の9月、10月!!!!!!。

今年は、特に日本列島直撃のものが、例年増して多いなあと考えながら、その嵐の合間を縫いながら、日々続く私の仕事の方も吹き荒れる今年の台風の如く、今や1年ぶりの大嵐の真っ只中。

昨年まではこの程度の忙しさ、大変だけどやりがいもあると気合を保って乗り切れていたものの、ここ1年余りは若い連中に任せ、自分は黒子に徹すべしと惰眠を貪っていたことから、その環境の急変ぶりに体がついてゆかず、疲労困憊で休みの日はただひたすらに寝て曜日になってしまう始末。

そうは言っても貴重な休日、ただ寝てばかりではもったいない、休息を兼ねて何かをしなければと考え、ならば日頃疎遠となっている作品を聴いてみよう!! と思い立ち、めぼしい作品を見繕ってみたところ、目に飛び込んで来たのがこの作品。

with all my heart harvey mason.jpg


ドラムのHarvey Masonによる、2003年制作の作品”With All MY Heart ”!!!!

とまあ!こうした作品を今回のお題としてしまったわけですけど、Harvey Masonというアーティスト、多くの方がフュージョン系のアーティストだと認識しているのではないか思うのですが、そのこと確かに彼の経歴を見て見ても1973年Herbert Hancock 率いるHeadhuntersのドラマーとしてFunkの幕開けを告げた名盤”Head Hunters”で名を上げて以来、その後は、Dave GrusinやLee Ritenour、フュージョン時代の渡辺貞夫(CALIFORNIA SHOWERなど )、そしてBob Jamesなどといった、フュージョン系の大物アーティストとの共演を多く残していることから、そう認識されるのも当然のこと。

しかし、この作品はそうしたMasonのフュージョン作品ではなく、あくまでアコースティックに徹したオーソドックスなピアノ・トリオ作品で、彼のドラム・プレイの素晴らしさを十二分に堪能出来るものなのです。

そのうえ、この作品、収録された全12曲がMason以外それぞれ違った顔ぶれで、なんとピアニストなど収録曲の数と同じ12人。

つまり、ピアニスト1人1曲ということなのですが、そこに参集したアーティストの顔ぶれを、あらためて見てみると............、

それは、Hank Jones 、Cedar Walton 、Herbie Hancock、Chick Corea 、Kenny Barron 、Bob James、Dave Grusin 、Monty Alexander 、Mulgrew Miller 、Brad Mehldau 、Fred Hersch、 John Beasley の12人。

合わせてベーシストの方も見てみると
Ron Carter 、Charlie Haden、 Eddie Gomez 、George Mraz 、Charnett Moffett 、Dave Carpenter 、Larry Grenadier 、Mike Valerio の8人と、こちらも当代きっての名プレヤーの名が並んでいます。

よくまあ、1曲の収録のために、これだけの大物が集まったものだと驚きながら、興味を惹かれるのはそれぞれのアーティストの個性の違いがどのように発揮され、それにMasonがどんなプレーで応じているのかということ。

そう思いながら、私自身、これまでこの作品をしっかりと聴きこんでいなかったなあと思い、今回は腰を据えて聴いてみたところ、さすが名手たち、それぞれの持ち味を発揮した好プレイを繰り広げ、その演奏をMasonのドラムが包み込み、さらに奥深さを際立たさせている。

これまで聴いてきたピアノ・トリオとは一味違ったその出来栄えに、これまで思いもしなかったMasonの音楽家としての優れた資質を見つけることが出来たように感じたのです。


さて、ここで1曲。
今回聴いてみて、もっとも強く印象に残ったのは、フュージョン系のピアニストのプレイの美しさだったのですが、まずはそのフュージョン系のピアニストの演奏から聴いていただくことにしたいと思います。

曲は、”Bob James の演奏で、”Smoke Gets In Your Eyes(煙が目にしみる)”です。







Come on、Let’s Listen!!


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50年代と60年代を結んだピアニスト、その若き晩年を聴く:Wynton Kelly・Full View [音源発掘]

前回は、秋の夜長を楽しむにふさわしい作品としてWes Montgomeryの作品を取り上げ語らしていただきましたが、今回も引き続き、秋の夜長を楽しむにふさわしい作品のお話。

その作品のアーティストは、ピアニストのWynton Kelly。

実は、Wes Montgomeryというと私の場合、どうしても、 Kellyとの共演による名盤”Full House"や”Smokin at the Half Note”脳裏に浮かんで離れず、無性にKellyのピアノが聴きたくなってしまう性癖があることから、今回もKellyのピアノ・トリオ作品を選ぶことに相成ってしまった次第。

というのもその性癖、そもそも私がジャズに興味を持ち始めた頃、偶然FM放送で聴いたKellyの演奏が気に入ってしまったことがきっかけで、以来Kellyを私のジャズのリサーチ・ポイントの中心に定めてしまったことがその大元。

特に当時は、彼の名の記載がある作品を見つけると、有無問わず買いあさり聴くなどということを繰り返していたのですが、そんなことを繰り返しながらも、1965年以降の彼の晩年ともういうべき時期の作品手にすることを避け続けていたのです。

その因は、その若き時代に読んだ、とある評論家先生の「60年代中期、Verveレコード時代以降のKellyの作品には、ほとんど見るべきものはない。」という評価の影響だったのですけど。
そのうえ、当時のジャズ仲間による同様の評価がその行動に輪をかけることになってしまい、長い間その時期のKellyの作品は、かたくなに拒み続けほとんど聴くことはないままとなってしまっていたのです。

ところが、その禁を破ることになったのが、これも偶然聴いた、テナーサックス奏者Clifford Jordanの1969年の”In The World”という作品にサイドマンとして参加していたKellyのプレイ。

それは、1971年4月39歳の若さで亡くなったKellyの最晩年のプレイを捉えたこの演奏、聴いてみると調律の狂ったピアノに悪戦苦闘しながらも生み出された彼のサウンドの中に、ブルーな曲調を的確に捉えながらも迫りくる危機の情念を宿らせ放出している空気の流れを感じ、たちまちのうちにその音世界に圧倒されることになってしまったからなのです。

そして、そのことからこれまで信じていたKellyの評価は誤りであって、彼の感性は晩年に至るまで衰えることはなく、それ以上に、さらに深い音楽表現をしうる奥技を身に着けるに至っていたことを知ることとなり、なにも疑わず信奉し続けて来た禁を破り、65年以降、晩年のKellyの作品を探し聴くことなったのです。

そうした回り道の末、漸く出会ったのがこの作品

Full View Wynton Kelly.jpg


1966年制作の”Full View"です。

さて、いつもならここでアーティストの略歴などについて触れるところですが、今回は、以前の記事で若干触れたこともあるので、とやかく言うのは止めにして、さっそく、その期待の音源に耳を傾けることといたしましょう。

曲は、”On A Clear Day (You Can See Forever)”です。



Come on、Let’s Listen!!


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来たる秋の夜長に、色を添える寛ぎのみゅーじっく!!:Wes Montgomery・”California Dreaming” [音源発掘]

観測史上 過去の最高気温記録更新、集中豪雨、そして毎日のように台風が生まれ、ひと月の間に9個もの台風が誕生、さらに7月には日本列島を北から南へ逆走するなどという、前代未聞の経路をたどった台風まであったという、異常な気象現象に翻弄され続けた今年の夏。

ひと月に8個という台風の発生数、1951年以来67年間の過去の統計を調べてみたところ、ひと月に8個以上の台風が発生したというのは、これまでに8回ほどしかないのだとか。

と、かく言いながらも、今夏の気象の異常さは、日本近海で誕生した台風が多かったことに加えその酷暑、日本列島は、温帯から亜熱帯の地域なってしまったのではと思えたほど。

とはいっても、季節は9月秋、朝夕には秋らしい空気が忍び寄ってくる風情が感じられようになった今、これからはお天気も安定し、穏やかにゆったり過ごせる日々が続けばいいと思っているのですけど..........。



そうした季節柄、今回のお話は、これからはそうした穏やかな毎日となることを願って、ひそかに忍び来る秋の風を楽しみながら、心に安らぎを与えゆったり寛いで楽しめるジャズ作品のお話。

そうした雰囲気を醸し出すにふさわしいかと選んだのが、

wes_montgomery_california_dreaming.jpg


この作品!!

日本でも”夢のカリフォルニア”という曲名で広く知られる、アメリカのフォークロック・グループThe Mamas & the Papasによる60年代ポップを代表する名曲の名をタイトルに掲げた、ギタリストWes Montgomeryの1966年の作品”California Dreaming”です。


半世紀も前の、「また随分古い作品ですね!」と感じる向きもあろうか存じますが、今でこそジャズといってもフュージョン、スムース・ジャズなどというジャンルがあって、好みよってその時々の雰囲気に合った音楽を探しチョイスし、聴きながら寛ぎの時間を楽しむことは当たり前のこととなってしまいましたけど。

しかし、この作品の出たこの時代は、まだフュージョン、スムース・ジャズなどというジャンルはなく、ジャズは1960年代の初めに出現したロックに、それまでの人気を奪われ、進むべき道を見失い混沌の中フリー・無調の世界へとその歩みを始めた頃。
それは、聴く者にとって本来あるべき音楽の”楽”の字が”学”の変わってしまったかのもののように甚だ難解で、そうした状況も中でジャズはますます大衆の支持を失って行くと結果を招いてしまっていたというのです。

そうした時代に登場したのが、この作品。

この作品の発表の前年の1965年にの12月にリリースされ、その後大ヒットそのさ中にいち早くこのアルバムの表題曲ともなっている”California Dreaming”を取り上げ収録しているあたり、ジャズの作品と言いながらも、聴かなくても中身はかなりポップなサウンドであるとの印象を持たれるのではないかと思います。

事実本作、このアルバムが発表された1966年にはBillboard Jazzのアルバムチャートでは1位、 R&Bチャートでは4位を獲得していることからも、そのサウンドの親しみやすいポップ感がわかるのですが、当時の混沌したジャズ界にあってそうした作品制作を企んだのが、当時Verveレコードで敏腕を発揮していた名プロデューサーのCreed Taylorという人物。この人、ABCレコードのプロデューサーとして、1960年にJohn Coltraneや Gil Evans 、Oliver Nelson 、 Max Roach、 Sonny Rollins、 Art Blakey 等、後に多くのジャズ名匠たちの60年の軌跡を残すこととなる同社ジャズ専門レーベルのImpuleseレコードを設立者と知られる人で、この”California Dreaming”での成功以後は、1967年、VerveレコードからA&Mレコードに移籍、ここでWes Montgomeryと共に本作のコンセプトをさらに発展させた作品A Day In The Lifeを制作、後のクロス・オーバー、スムース・ジャズのパイオニアとして大きな功績を挙げた人物なのです。

さて、それではクロス・オーバー、スムース・ジャズの原点ともいう、この作品。
ここで、そのサウンド聴いてみることにいたしましょう。

曲は、もちろん!
”California Dreaming”です。





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50年代を席巻したピアニスト、その後の変遷を聴く [音源発掘]

ここところ、日頃の忙しさにかまけ、月1回の更新となってしまっていた当ブログ。
これままでは、遺憾!!、このまま放置すれば気力も失せ早晩消滅の憂き目となってしまうと、少々焦りを感じていたのですが。

しかし、月は8月、考えてみればはお盆の休みもあることだし、ならば、ここでひと踏ん張りしてと奮起して、ようやく当月2回目更新へと筆を執ることにした今回の記事。


紆余曲折を経て取り上げることにしたその話題は、いつもの音楽ネタではあるものの、ただの作品紹介ではなく、1950年代活躍したとあるジャズ・ピアニストの新旧作品を聴き比べその変遷をたどりながら、それぞれの時代のプレーを聴き比べてみようという趣向。

そうして選んだピアニストは、Red Garland。
それでは、早速Garland、その経歴とあわせその変遷を聴き比べてみることにいたしましょう。



Garlandというアーティストが、大きくジャズシーンに取り上げられるようになったのは、1950年代半ば、1940年代のビ・バップ衰退以後 ジャズの中心はアメリカ西海岸へと移ってしまっていた中、再びその覇権をが東海岸へと取り戻すべき、Art Blakey、Clifford Brown、Max Roach、Miles Davis等が新時代のジャズであるハード・バップを掲げ活動を開始した頃、Milesが自己の新しいQuintetのピアニストとして彼を起用しことに始まります。

そして、その後Garlandは、そのリズムセクションの一員としてPaul Chambers(b),Philly Joe Jones(ds)と共に活躍、このQuintetを時代の頂点へ導くに大いなる貢献を果たすことになるなのです。


また、その当時のこのトリオは、MilesのQuntetの人気と共に、ピアノ・トリオとしてだけでもかなりの人気を博していたようで、人々をしてオールアメリカンリズムセクションと呼ばしめたほどだったというのです。

しかし、そうした成功も2年余り続くと、今度は1957年以降Milesが、新しいジャズを求めてGil Evansとの共同作業を開始すると、それによりバンドの活動は低迷、ついに1958年3月のレコーディング最後にGarlandもMilesと袂を別ち独自の道を歩むことになるのです。

そして、迎えた1960年代、ジャズの世界もこれまでのハード・バップからモーダル・ジャズの時代となり、そこに加え新たに台頭してきたロックの影響により、それまでのジャズは衰退。50年代をけん引して来た多くのミュージシャンがその活路を求めヨーロッパに拠点を移す中、Garland自身はアメリカに残り活動を続けていたのですが、1962年、その彼も新時代の波には贖えず、とうとう引退への道を歩むことになってしまyったのです。


それから10年。
そのGariandが、復帰したのは1970年代半ばの事。
この時期のジャズは、Chick CoreaやWeather Reportなどの登場によってロックなどのエッセンスを吸収した新しい時代のアーティストによって再び隆盛を取り戻しつつあったのですが、それと共に50年代往年のピアニストたちも続々と復帰、Hank JoensやTommy Flanagan、Kenny Drewなどがいち早く作品を発表して大いなる脚光を浴びていたのです。

そして、50年代のピアノといえばやはりこのGarland、一体Galandはどうしているのだろうか思われようになった中、1975年、待望の彼の復帰作がやっとのことで世に出てきたのです。

それが、この作品!!

Auf Wiedersehen red garland.jpg


ピアニストのOscar Petersonを擁し、数々の彼の名作を世に送り出したドイツのジャズ・レーベルMPSより発表された”Auf Wiedersehen”です。

私もこの作品が発表された時は大いに期待したのですけど、まずはと思い自分で聴くより先に、日頃Red Gariand ”いのち” と自ら称すほどGariandファンの友人のところに行きその評価を求めたのですけど................


帰ってきた答えは...................

そのことをお話しする前に、この作品から、まずはDizzy Gillespieの名曲”A Night In Tunisia”をお聴きいただき、その答えを探っていただくことにいたしましょう。



と聴いていただいたところで、その言葉、それはGarlandの過去の演奏に起因していたということで、ここでもう一曲。

ならば引退前の演奏も聴き比べてみなければということで、次にお聴きいただくのは、Gariandの引退前の年である1961年制作の作品、”Bright And Breezy”から

Bright_&_Breezy.jpg


これまた、ジャズの有名なスタンダード・ナンバーの”On Green Dolphin Street”、この両者をお聴き比べいただき、さらにその答え探っていただくことにいたしましょう。







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70年代に蘇ったCharlie Parkerの心;渡辺 貞夫 with The Great Jazz Trio/Bird of Paradise [音源発掘]

例年に増して著しく早く明けた今年の梅雨。
そして、その梅雨が明けたと思えばいきなり夏全開の超暑い日が続いた思ったら、これまでの台風とは異なり日本列島を東から西へ逆走する台風12号の襲来。
そして、はたまた13号が!!!

体が慣れる間もなく容赦なく照りつける真夏の太陽に、もう辟易といった方も多いのではと思いますが。

今回は、その暑さに対抗してはたまた暑いジャズのお話。

前々回の記事「天才ドラマーを支えたピアニスト」で取り上げたドラムのTony Williamsについて、

1977年の渡辺貞夫と当時Tonyも在籍したHank Jonesのピアノ・トリオ・The Great Jazz Trioによる、全曲モダン・ジャズの父とも言われる”Charlie Parker” に因んだ楽曲を収録した演奏作品、 ”Bird Of Paradise”の収録時のこと、1945年生まれでParkerの全盛期にまだ幼かったTonyは、Parker の曲を全く知らなかったのにも拘らず、Tonyのとにかく1回聴かせてくれという要望に応え演奏し聴かせたところ、一発でその曲を覚えてしまい、次の演奏で完璧なドラム・プレイで収録を熟してしまった。 


という彼の伝説の一齣をご紹介させていただきましが、実は、このことを書き始めた途端にその昔よく親しみ聴いた、かの作品を聴きたくなり、そこでさっそくアルバムをGetに走り、久々に聴きなおしてみたところ、当時は、気づくことの出来なかった新たな強いインパクトを受けてしまったのです。

そして聴くほどに、次の記事で取り上げるのは、この作品をおいて他にはにないと思うようになってしまったことから今回は、その作品を取り上げ語ることにいたしました。

その作品のジャケットがこちら!!

渡辺貞夫 bird of paradise.jpg


そもそもこの作品、私が初めて聴いたのは、この作品がリリースされる2年ほど前の1977年初夏のこと。
当時、毎週FM東京で放送されていた、渡辺 貞夫が都度来日した海外アーティストを迎えての共演や、一つのテーマに基づき取り上げた楽曲を自己のカルテットで演奏収録し聴かせていた番組、”渡辺 貞夫マイ・ディア・ライフ” でだったのですけど、この時期の渡辺 貞夫というと、この作品の収録直前、Lee Ritenourや、Dave Grusinとの初共演よるフュージョン作品”MY DEAR LIFE”を収録を終え 貞夫フュージョン時代の扉を開いたばかりの頃で、私自身、ナベサダによるオーソドックスなジャスの新作は、しばらくの間 耳にすることは出来ないのではと思っていた頃なのです。

そうした時に、”Charlie Parker” に因んだ楽曲ばかりを演奏、それをFMで放送するという朗報。
しかも、その共演者は、この作品の前の年に発表され、大好評を博した作品 ”I'm Old Fashioned” で共演したThe Great Jazz Trioだと知り、これは絶対に聴き逃すことは出来ない、それに加えこの演奏、即座にレコード化されリリースされることはないだろうと考え、エア・チェックの準備を整えその放送開始を待つことにしたのです。


そうして向かえた放送当日、仕掛けておいたテープ・レコーダーの稼動を確かめて、即その放送に聴き入ると、番組進行DJによるこの日のセッションの簡単な紹介の後、聴こえて来たのは紛れもなくあの懐かしいビ・バップの空気に包まれた熱いジャズ・サウンド。
Parkerを師と仰ぐ渡辺 貞夫のアルトも、ビ・バップの時代よりジャズの世界に君臨するHank Jonesと、またこの時は、まだ若きRon Cater、Tony Williamsという、今こそ現代を代表する名手と呼ばれる二人のバックを得、その気高き師に迫りくる白熱のプレーを繰り広げていたのです。
けどまた、そうした演奏の間に間に放送では、いくつかのこのセッションのエピソードが紹介されていたのですが、実は、冒頭に御紹介したTony Williamsの伝説譚も、この番組の中で語られていたものの一つだったのです。

さて、そのTony Williamsのドラム、実は、こうした伝説譚を知りつつ、私自身、これまでこの作品を何度となく聴いて来たはずなのに、何故かその印象はあまり心に残っていなかったのです。


それから半世紀余り、今回聴き直してみてこの作品、何故かこれまでに知り得なかった強いインパクトを感じることとなった、その因となったのが、前々回の記事で語った、Tonyのドラム・プレイだったのです。

ビ・バップ時代のドラムから、さらに複雑化したリズム打ち鳴らす彼のドラム。それでいて、あのビ・バップ全盛時代世間を驚かされたMax Roachのメロディアスなドラム・プレイを凌ぐメロディアスな側面を有しつつ、よりに複合化したドラム・サウンドをもたらし入れていた。

そしてそうした彼のプレイが、古色の影が漂い始めた来たそれら楽曲群に、新しい装いを着せ新たに蘇らせる原動力となっていた。

と、そうしたことに気付かされことになったのです。

それでは、その白熱の演奏、いつものように、ここで1曲聴くことにいたしましょう。
曲は1943年 Gene de Paul,Don Rayeのペンのなるスタンダード・ナンバーで”Star Eyes”です。




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和みの空気を運ぶ、紫陽花の咲く街角 [閑話休題]

前回の記事から1ケ月、長い間お休みをしてしまいましたが........

実はこうなったのも、今年は4月から、災禍続きの私。

以前にもお話しをしましたが、4月に薬の副作用で胃腸障害を引き起こし1ケ月近く満足に食事を摂ることが出来なかくなったのを皮切りに、その回復の兆しが見えたところで、今度は齢90歳を越えた父が、インフルエンザを発症し入院。

高齢でのインフルエンザ発症、これは命取りになる見舞いに行かなければ思うも、2週間で6㎏も体重を減らしてしまった私は、著しい体力低下招来のまっただ中、、何をしてもすぐ疲れてしまう状態で、今生の別れとなるかもしれない事態を前にして、出掛けて行くとなどということもまならずという有様。

しかし、幸いにして父の病は回復しなんとか退院、私の方も、やっとのことで体力回復の兆しが見え始めていたことから、これで一件落着、これで父を見舞うことが出来ると安堵していたところに、今度は、ここ暫く症状が治まっていた30年来のお付き合いとなるアレルギー性皮膚炎の再発。

この病気、これまでなら売薬を飲めば治癒していたものが今回は全く効かず症状は悪化するばかりで、これは医者にかからねばと治らないと、はたまた病院通いをすることになってしまったのです。

そして、その病気も医者が処方してくれた薬のおかげで快方へ向かったのはいいですけど、負の連鎖はこれで収束に向かわず一難去ってまた一難。

今度は、さらに大きな、負の打撃の大きな一振りに見舞われてしまうことになってしまったのです。


それは、父の死


90歳を越えていた父、その年齢でのインフルエンザ発症といえばまず助からないと、私たちも覚悟したのですけど、見舞いに行き励ましを重ねたところ、どうにか元気を取り戻し、その回復の様子に医者も驚いていたことから一旦は安堵したのですが.........

やはりとインフルエンザとの闘いは、90歳という年齢にはかなり厳しいものであったようで、それから1週間後、その体力のすべて使いつくした末の出来事だったようなのです。








そうした鬱陶しさに加え忙しさの加わった毎日を過ごすことになってしまった今年の私の6月、目まぐるしく動き過ぎ行く時の中、その心と体は、憂い荒みがちになり疲れ果ててしまっていたのです。

そして、こんな調子では、またひとつ隠れた病が頭を出してくるのではと心配していたところ......

日々過ごす日常の街角で、その思いを救ってくれる予期せぬ救世主に出会うことになったのです。


ぞれは、忙しく実家と病院の間の平凡な街角を往復する日々、そこで見つけたこの季節ならではの和みの風景の一コマ。

この季節、当たり前のように街角に咲いている紫陽花の花の姿だったのでした。

DSC_2806w.JPG


これまで全く気付いていなかったのですが、この紫陽花、その和みの空気に惹かれて注意深くいつもの街を歩き見てみると、普段見慣れた街の風景のいたるところに季節の彩を醸し出し咲いていることを知ったのです。

ならば、その一つ一つを訪ね歩いてみれば、負の連鎖に痛みつけられた私の心もその憩いの空気で癒し潤して治すことが出来るかもしれないと思い、それらをつぶさに観察してみると、普通に知られる紫陽花とは異なった花をつけた紫陽花を多々見つけることになってしまったのです。

例えばこの紫陽花

DSC_2743km.JPG


良く見ていただくと、その前の写真の紫陽花とは一つ一つの花の形が違うことが、お分かりなるのではと思います。

おまけに、普通は、紫陽花の花色、酸性の土壌では青い花を、アルカリ性の土壌では赤い花をつけるといわれているのですけど、こちらはその双方が混合し咲いています。

そして、果たしてこの花の咲くここの土は酸性?アルカリ性?......................と、
この青と赤の花が混じり咲く様子に首をかしげながらさらに歩いていると、次に出会ったのは,

さらに驚きの、このガクアジサイの花 !!




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天才ドラマーを支えたピアニスト・Tony Williams;Young at Heart・with Mulgrew Miller [音源発掘]

前回の記事で、ピアノ・トリオの作品が聴きたくなり、いろいろ物色し聴いている由、お話をいたましたが、前回の記事でご紹介したDon Friedmanの作品を聴き、これまで自分自身が気付かなかった新たな発見を多々得たことから、すっかりピアノ・トリオの魅力に嵌ってしまった私。

そうしたことで、「柳の下にいつも泥鰌はいない」の例えの如くになってしまうかもしれないと思いつつも、今回も前回に引き続きピアノ・トリオの作品を聴き記事することで、また何か新しい発見が出来るのではと、またその作品を選び出しその感想を書いてみることにいたしました。



そこで今回選んだピアノ・トリオの作品は............

Young at Heart tonny willams.jpg


1960年代ジャズの中核をなし、その歴史にその名を大きく刻んだMiles Davis Quintetのドラマーとして、僅か17歳の若さで抜擢され、その重責を果たしつつドラムの新たな世界を切り拓いた天才ドラマーのTony Williamsの”Young at Heart”です。

あれ~~!!!!!

ピアノ・トリオの作品に嵌っていると言いながら、ピアニストのリーダー作品ではないのですか??!

という声もあろうかと思いますが、この作品、1997年に51歳の若さで他界したTony Williamsの事実上、最後のリーダー作品であると共に、彼の名を冠した唯一のピアノ・トリオによる作品なのです。


こうしたドラマーがリーダーとなっているピアノ・トリオ作品というと、ドラマーが前に出ようとし過ぎ、そのことが全体のバランスを損なう結果をもたらしてしまっているものが多々見られるのですが、この作品、1986年以来、演奏を共にし互いに気心の知れたピアニストのMulgrew Millerとのコラボで、ともすればバンド全体を食ってしまいがちなTonyのドラム も、共々の個性を損なわずにベストの状態を引き出すプレーに徹していて、それがピアノ・トリオとしての最良のサウンドを生み出しているあたり、ピアニストがリーダーとなっている他のピアノ・トリオ作品にはない聴きどころがある作品だと感じ、ここに取り上げることにしたのです。

そこで、相対するピアニストのMulgrew Millerのこと、その経歴を見てみると、Duke Ellingtonの息子Mercer Ellington の率いるオーケストラのピアニストとして招かれたの皮切りに ヴォーカルのBetty Carterの下で活動、その後1983年にArt Blakey & The Jazz Messengers に加入、当時のこのバンドのトランペッターのTerence Blanchard、 アルトサックスのDonald Harrison 等と共に、後にジャズの新時代を担うこととなる、この名門バンドの後期黄金時代を築くに大きく貢献した素晴らしい経歴を裏付けに持つアーティストなのです。

私が、彼の存在に注目したのも、そのArt Blakey & The Jazz Messengers の作品、1985年の”Art Blakey & The Jazz Messengers Live At Sweet Basil ”で、Terence BlanchardのDonald Harrison 等、当時新進気鋭の若手の溌剌としたプレーに対し、それに負けないキラッと光る個性を放つ新鮮なプレーに接してのことだったのです。


そうしたMiller、1986年からはTony Williams Quintetに参加、以後その関係はTony の亡くなるまで続くのですが、本題に入る前に、ここでTony とMillerの最後のコラボを捉えたこの作品から、今回もこの辺で1曲聴いてみることにしたいと思います。

曲は、Mulgrew Millerのペンになる”Farewell To Dogma ”です。







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影に隠れたパイオニア!老いて輝く燻銀のプレー・Don Friedman;Timeless [音源発掘]

今回は、またいつもの音楽話題。

最近ご無沙汰していたこともあってか、ピアノ・トリオの作品が聴きたくなり、その辺りを物色していろいろ聴いてみているのですけど、その中でもよく聴いているのが、50年代から60年代初頭に活躍をしていながらも一旦はシーンからも消えながらも、70年代半ば以後、再び復帰した名手たちの諸作品。

その代表的なピアニストとしては、Hank JoensやTommy Flanaganが有名なのですが、今回聴いてみて印象に残ったのは、その二人に遅れて再登場したピアニストで、60年代のより新しい時代のスタイルを纏ったピアニストのこの作品。

Don Friedman Timeless.jpg


Don Friedmanの”Timeless”を取上げ語ることにいたしました。

彼の作品としては、以前に1962年制作の、その後、彼の名を不朽のものとした名盤”Circle Waltz”について語らしていただきましたが、それを書いた後、60年代の半ば以降一旦は引退してしまったものの、10年の時を経て70年代半ばにカムバックした彼の演奏に接してみたくなり、探し聴くことが出来たのがこの作品。

この作品の制作は、2003年なのですが、これまで、ミレニアムの前後に制作発表されたジャズ全盛の50年代、60年代に活躍したアーティストの諸作品に接して来た私にとって、そのどれものにアーティスト自身の人生から得たであろう奥深い思慮の痕跡と年輪を重ねた円熟味を感じたことから、この年68歳を迎えたFriedmanのこの作品にも、そうした何かがあるのではと考え選び聴いてみることにしたものなのです。

さて、そのDon Friedmanのピアノ・スタイル、それは、通常現代ジャズ・ピアノのスタイル原点といわれているBill Evansのスタイルを踏襲していると言われることが多く、実際に聴いてみても両者は瓜二つとまでは言わないにせよ、さもありなんと思ってしまうほどの相似性を感じてしまうのですけど、Friedmanについていろい
ろ調べてみると、本人自身は、どうもそう思っていなかったどころか、自分こそ新時代のピアノ・スタイルの生みの親だと思っていた節があるというのです。

というのも、Bill Evansの代表作とされる”Portrait in Jazz”や”Waltz for Debby”でその好演に大きな役割を果たしたベーシストの Scott LaFaroや、LaFaroの死後、代わってBill Evansトリオのベースを努めたChuck Israelsの二人のべーシストは、Evansのトリオに参加する前にはFriedmanのトリオに在籍していたからで、Friedmanしてみれば、Evansのピアノ・トリオのそもそもの根源は自分自身だと考えていたのではないかというのです。

さて、こうしたFriedman草創期におけるベーシストへの強いこだわり、実は今回取り上げた”Timeless”でもそのこだわりには変わりはなく、起用されたベーシストは、80年代後半Chick Coreaのエレクトリック・バンドに参加、驚異のエレクトリック・ベース・テクニックで脚光を浴び、90年代に入るとアコースティックに回帰した
Chick Coreaの下で、彼もアコースティックに器を持ち替えエレクトリック同様の驚異のベースプレイでピアノ・トリオに新鮮な息吹を吹き込んだ名手John Patitucci 。

実は、私がこの作品に注目したのは、メンバーにこのPatitucciの名を見つけたからなのです。

1959年生まれの、このレコーディング時には44歳であったPatitucciと一回り以上の年の差のあるFriedmanとのコラボ。60年代ジャズ・ピアノの世界に新風を吹き込んだFriedmanと、フュージョンの洗礼を受けつつ現代のアコースティックなジャズ世界に新風をもたらしたPatitucciとの出会いが、どんなサウンドを生み出し聴かせてくれるのか!!

そんなことを思いながら、この作品に針を落としてみたのですが........。

といところで、その二人の織り成すサウンド、ここでご一緒に、まずは1曲聴いてみることにしたいと思います。

曲は、Bill Evansの演奏でも有名な”Emily”です。















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足早に駆け抜けた早春を彩った花々の残映 [仕事の合間に]

例年に増して気温の高い日々が続いた今年の4月。

ところによっては、まだ春が訪れたばかりというのに最高気温30℃と真夏さながらの陽気となった地域もあったりして。

おかげで、開花のかったソメイヨシノに続いて花を見せる花々も開花も例年に比べ随分早く、いつもは5月の連休明けにかけて咲く藤の花が、この時期、既に花は終わり棚の周りは一面緑の葉に覆われてしまっていたことに私もビックリ。
今年のソメイヨシノ開花の状況から、他の花の見頃は早くなるとある程度は予想し、カメラ片手に行く先々でその花々を楽しんで来た私でしたが、次第に予想を越える季節の深まりの進行の速さに、しまいには、日々急がねばとせわしなく追いまくらているような気分になってしまったほど。

とは言いながらも、後で落ち着いて撮りためた絵を見てみると、なんとか要所々は抑えられたような感じで一安心。
中でも今年は、当初予定になかった高崎に立ち寄り、春の高崎城址公園散策の機会を得ることが出来たのは大きな収穫でした。

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その高崎城というお城、秀吉の小田原攻め後、昨年のNHK大河ドラマでお馴染みとなったあの井伊直政が、主君徳川家康の江戸への国替えに伴い上野国12万石を拝領し、当初は戦国期、この地の中心として存在した上杉氏方の最前線の城として幾多の戦禍を撥ね退けた名城箕輪城にその拠点を置くも、その後家康の命により中山道と三国街道の分岐点となるこの交通の要綱に監視の拠点として築いたもの。
元々この地、箕輪城とは別に後北条氏に属した和田氏の居城故和田城あったところで北条氏滅亡後は廃城となっていた所に築城されたのが現在のこの城跡。

そして、現在高崎と呼ばれるこの地名も、直政がこの城に入城する際に、その直政よって命名にされたという井伊氏と所縁の深い地だというのです。

しかし、その井伊氏もこの城の完成を見ることなく、ほどなく井伊といえば彦根のある近江国に移封となり、その後は目まぐるしく入れ替わり入封した徳川譜代の大名らの手によって城郭が整えられたのが、今、その痕跡を僅かに残すこの高崎城址なのです。

さて、この城址公園となっている高崎城、その城の構造物や建築物は、明治期以降そのほとんどが移築また取り壊しとなってしまったため、現在残る創建時の遺構は上記写真の乾櫓、そして土塁などと多くはないのですが、散策してみると城の面影が残る風情の周辺に高崎市庁舎や文化施設が建っていて、それがこの城跡と程よく調和し往時を気風を伝える空気となって身に注いでくるような気にさせてくれているのです。

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そして、そうした気分に浸りながら園内を歩き乾櫓の周りに来てみると、そこで出会ったのがこの風変りな建物???

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大きなコントラバスのようにも見えるのですけど、これは一体???
と思って、辺りをを見回すと乾櫓の対面にある文化施設と思しき建物の方に目をやると、目に飛び込んで来たのがこの看板。

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そこには、”群馬音楽センター”とあります。

「ああ、それならば!!」とこのモニュメントようなものの存在に納得をしつつ、しからば何のためにこうしたものがここに設置されたのだろうかと、ガラス越しにその扉の内を覗いてみると、そこにその答えがありました。




実はこれ、公衆電話ボックス!!なのです。

携帯電話が普及した今、まずお世話になることはなくなりましたが、こんな公衆電話なら、中に入ってちょっと使ってみようかとのに気にもなりますよね。



さて、長々と回り道をしてしまいましたが、タイトルの”足早に駆け抜けた早春を彩った花々の残映”。の花たちの様子のこと。
ここまで、上の高崎城址公園の写真を見ていただいても、ほぼどこにも花の気配らしきものはないようにも見えますよね。

確かにこの場所、花が群れなし咲いている場所ではないのですけれど、ところどころに花を咲かす樹木が立っていて、それが新緑と城址周辺の時空の交差した佇まいとほどよく調和、華々しさこそないものの落ち着いた瑞々しい命を感じさせるる空間を作り上げていたのです。

おりしも、ソメイヨシノが咲き終えたこの時期、幾種もの八重桜や山桜が満開で、それが清楚で安らぎある美をもたらしつ、清々しい春の雰囲気を醸す場を生んでいたのです。

それでは、清々しい春の雰囲気を醸すその様子、今回は4月中私が歩いた町々で出会った春の花々の映像とあわせ、こんなPVにいたしましたので、ここで、ご覧いただきその空気、少しでも味わっていただければと思います。



このPVの最後に登場した藤の花、これを撮影した2日後に見た時には、花はかなり散ってしまっていて、ここでもあらためて今年の春の深まりの進行の速さ、つくづく思い知らされてしまいました。


花々の様子をご覧いただいたところで、この高崎城址公園、今回歩いてみて可憐な花々と共にもうひとつ深く印象に残ったのが、こちらの彫像。

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一見、どこの街角にあるような像にも見えるのですけど...........、

これは長崎の平和記念像の作者として知られる日本を代表する彫刻家 北村西望の”将軍の孫”という作品。

長崎の平和記念像の他、彼の作品として有名な作品としては、山口県萩の”山縣有朋像”や岐阜県岐阜羽島駅前の”大野伴睦先生御夫妻之像”、JR熊谷駅前の”熊谷之次郎直實像”などがあるのですが、そのどれもとっても、かなりの大型でかつ厳ついイメージの作品が多い中、この”将軍の孫”(西望の長男,治禧(はるよし)氏5歳時の姿が、モデルとなっているのだそうなのです。)の像は、それに比べかなり小ぶりで、他の大型作品には感じられない西望の父親としての優しく・暖かさに満ちた愛情がその小さな体から滲み出ているようにすら感じられます。

特に若い頃、美術品搬送のアルバイトで東京武蔵野市の井之頭自然文化園内にある西望の園内の熱帯植物温室と見まがうばかりの巨大なアトリエ(井の頭自然文化園 彫刻園となっているとのこと)を訪れたことのある私にとっては、その時見たアトリエの高見に立ち気難しげに思索する西望の姿と相まって、この少年の像から湧き出るそこはかとない愛らしさが、私が感じた西望のものだとはにわかに信じられず、そこに大きな衝撃を受けてしまうことになってしまったのです。


そうしたことを考えながら、像の下に書かれたこの像の説明書きを読んでみると、この像、現在は井之頭自然文化園、調布の神代植物園、箱根の彫刻の森美術館、八王子駅入口など各地にあるのだとかで、その幾つかは私も以前訪れ見ているはずなのですが、それが完全に記憶の外になっていたことに気付かされたのです。

それまで何も感じることのなかったにも変わらず、ここで受けた強いインパクトは!!?

それは、この城址公園の雰囲気と春の空気が、この像に子供らしい無邪気さと命の活力を与えくれたことによるものなのか。

道端にポツンと唐突に据えられいるかのように見えたこの高崎の”将軍の孫”の像、しかし、それは高崎という街の歴史を蓄えた自然の力を得て光彩を放さしめていた、そこに、この地に暮らす人々のさりげなさの中に潜む豊かな感性の断片を見たように思えたのです。

あたためてこの町の奥行きの深さを感じ、短い時間でしたがいろいろな思いに巡り合わせてくれたこの地でのひと時に感謝しつつ、良い思い出を携え帰路につくことにしたのでした。



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大都会に春を告げる靖国のソメイヨシノ [仕事の合間に]

真冬と初夏の間を彷徨った今年の早春。

3月初めの頃は、おりしも訪れた冬逆戻りの様相から、桜の開花もいつになることかと考えていたところに、突然の初夏の如くの陽気の到来。
そのせいで、固く閉じていた蕾もにわかにその結びを緩めることになったのか、あれよあれよという間に桜開花宣言近しのニュースが巷を賑わすようなっていたように思うのです。
そして、東京では3月17日に開花発表、続いて早24日午前には満開宣言の発表、平年より7日早い開花に合わせ今度はさらに平年より10日、1953年以来3番目に早い満開との、矢継ぎ早に報じられる桜の動向の変化に、昨年まで朝夕桜並木の下を日々その移り変わりを楽しみながら職場に通っていた私は、今は他の職場に移りここ歩くこともなくなってしまっていたら、このまま過ごせば、今年は辺り一面に咲き誇る桜の風景を見ることもなく終わってしまうのではとの焦燥感を抱いてしまっていたのです。



とは言っても開花宣言はまだ出ていないし、ちょっと今の開花状況だけでも見ておこうと思い、帰宅時に日々利用する最寄の駅周辺を歩いてみたところ、そこで出会ったのが全身に花を身につけ咲き誇る駅前広場に立つこの桜の木。

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それも、なんと満開の様子!

それにしても、今の駅舎と、この駅前の広場が出来てから間もなく20年が経つというのに、日々この駅を利用しながら、今までこうした風景があることに気付かなかった私。
確かにこの場所、家の方向とは逆の出口も場所であり、ここを通る機会も少なかった場所とはいえ、20年もの間ここに桜の木があることを知らずにいたとは、自分のそのうかつさに情けない思いを抱きながらその花の前へと足を運ぶことにしたのです。

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しかし、この満開の桜、東京より3日ほど開花宣言の遅かった千葉県で、東京の満開宣言がまだでもあるにも関わらず、こうした満開の桜の木があるのは何故と思い、さらに足を延ばして周辺の桜の開花状況を見てみると、そちらの方はどの木も3分咲き程度の様子。

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もしかすると、駅前のあの桜はソメイヨシノと別に種類の桜........................[exclamation&question]



すると考えられるのは、彼岸の頃に花を咲かせるという、日本の桜の古来種でソメイヨシノお母さんであるエド・ヒガン!!
ソメイヨシノが オオシマザクラ(父方)とエド・ヒガン(母方)の交配種であることから、ちょっと見ではソメイヨシノだと思ってしまうのですが、よく見てみると花の根元にエド・ヒガン特有の赤く丸いがくの形が見て取れます。
これで、一足早い花の盛りの謎も氷解。

それにしてもわずか20年前に出来た広場にソメイヨシノではなく古来種のエドヒガンとは、思いも寄らない身近な街の小さな発見に今年の桜との縁にの行方に、幸先を見たような気がになって来ます。


そして翌日出社をすると、早速その効が現れたのか、前に在籍していた外堀公園桜並木の横の職場からの仕事応援のための来訪依頼の電話があったのです。。

いやこれはラッキーとばかりに二つ返事で承諾し、打ち合わせの後に靖国神社まで足を延ばし、桜の饗宴に身を浸してこようと出掛けることにしたのです。

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かくしてその当日...........[exclamation][exclamation]








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