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2016年印象に残った作品 その3 [音源発掘]

正月休みも終わり、2017年も早10日を過ぎようとしている今、新しい年も本格的稼働を開始をしたところ。

となれば当ブログの方も、いつまでも正月気分で惰眠を貪っていることも出来ないなという訳で、遅ればせながら私の方もようやく活動を開始としたところ。

その新年最初の記事は、昨年末、最後の記事で予告した2016年印象に残った作品その3のジャズ編。

昨年は、いくつかの作品は持っているものの、それまでどうも肌合いが合わずあまり聴いてこなかった、50年代に現れたアーティストの作品を中心に聴き直してみようということで始め、Zoot Sims、Lee Morgan、Charles Mingusなどを聴き、あらためてその良さを確認しつつ、かなり嵌ってしまう結果となっていたのですが、それらの作品については、また別の機会に取り上げることとして、今回は、現在も活躍を続けているアーティストの昨年お気に入りとなった作品から、そのいくつかを選んでみることにいたしました。


その最初の作品はこちら

Collective Portrait.jpg


トランぺット奏者 Eddie Hendersonの2014年の作品”Collective Portrait”です。
1971年に、当時最先端のクロス・オーバー路線をひた走るHerbie Hancockのグループにて、レコード・デビューしたHenderson、70年代はエレクトリック化したMiles Davisばりの演奏で一名をはせた彼も、今や76歳。

彼が現れた当初、私は、Clifford Brownのスタイルを継承しようとするトランぺッターが多い中、Miles のスタイルを継承する希少なトランぺッターとして興味覚え、いくつかの作品を聴いてみたのですが、最初に聴いた時は悪くはないと思うものの、繰り返し聴くとそのうち飽きを覚えてしまうそのサウンドにコマーシャリズムの悪臭すら感じるようになり、以後、彼の作品は聴かなくなってしまい、おりしも、Henderson自身も本来の精神科医としての職務に専念するためシーンから遠ざかってしまったため、もう彼を聴くことはないなと思っていたのです。

ところが、90年代になって現在のトランペッターの演奏によるジャズ史上に名を残した伝説のトランぺッター達の名演奏集ともいう企画作品に出会い、その演奏者としてNicholas PaytonやLew Solofといった、この時期名をなしていた名トランペッターに混じってHendersonの名を発見したことで再び彼のトランペットを聴いてみる気になったのです。

しかし、PaytonやSolofは、どんな演奏するのか、そのイメージが湧くのですが、フュージョン畑での演奏しか知らなかったHenderson。

果たして先の二人に見劣りすることはないのか。

そんな、杞憂を抱きながら彼の演奏にプレヤーの釦を下したのですが、聴こえてきたのは、フュージョン時代とは異なった、しっとりと場の風景を歌い上げている哀愁のを感じるトランペットの音色。

あのArt Farmerに優るとも劣らない叙情性を持ちながら、核のしかっりしたサウンド。
聞けば、この時期、医者の家業を引退し、ミュージシャンの道に専念することにしたのだそう。

そうした彼の意欲も手伝い、その後、彼の作品が発表されるとそれをGetし続け、その味わいを楽しんで来たのですが、この作品、さすが70歳の老境を越えてのそのプレイ、持ち味のトーンにも翳り射し、作品の印象を傷つけてしまっているのではとの不安が走りながらも、今のEddie Hendersonにも接し、その年齢をどう克服しているのかを確かめてみようという気持ちから聴いてみることにしたものなのです。

それでは、老境に入った、Eddie Hendersonのサウンド、早速、耳にしていただこうかと思います。


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2016年印象に残った作品 その2 [音源発掘]

まもなく年末年始のお休みが来る、さあ、ラスト・スパートだと気合を入れ直したところで、それまでのハード・スケジュールが祟ったのか新年を待たずに過労でダウン。

数日休息をとり、なんとか元気を回復することが出来たのですが、今年も残す所もう僅か。
再度仕切り直しのラスト・スパートで昨日何とか今年最後の仕事終えることが出来たのですが、当ブログの方もラスト・スパートで臨み締め括りををしなければという気持ちから、今回の記事は前回に引き続き、”2016年印象に残った作品” その第2回。
前回は、クラシック作品をテーマにしましたが、今回は元気を取り戻したところで、行くぞの気合のロック編。

今年はロックの作品、昨年に引き続き、現代のプログレシッブ・ロックやデスメタルを探求しようと、Porcupine TreeやOpeth、Alcest あたりから聴き始めたのですけど、それらの作品、けして悪くはないのですが、どこか本来の自分の嗜好とは合わないところがあるのか、体調によって聴きたくなくなることもしばし、そんなことから、その後は、どんなサウンドを探求の道筋がわからなくなくなり、探索の迷路に迷い込むことになってしまったのです。

そうした2016年、しかし、それから悪足掻きよろしくいろいろもがいてみた結果、終盤にはそれなりの成果が上がるようなって来て、1年を振り返ってみれば思いの他の収穫を得たうえ、来年の進めべき方向までも見えるようになるという結果まで生んでしまったという感じ。

とにかく、それまであまり聴いてこなかったジャンルにも踏み込んで、いろいろな音楽体験が出来た年となったというところ。


さて、その1年間に聴いたロック作品、そうしたことからそのスタイルは様々なのですけど、その中で、まず印象に残った作品は、やはりオールド・ファンの私にとって、長きに渡り第一線で活躍しつつも失なわれていなかったその輝きから、大きな元気をもらったこの作品。

Blue & Lonesome.jpg


このジャケット、見れば誰の作品かもうお分かりですよね。

今年12月2日にリリースされた、The Rolling Stonesの前作”A Bigger Bang”以来11年ぶりの新作”Blue & Lonesome”です。

実は、この作品の発表を知った時、60年代初頭からロック界に君臨している Rolling Stones、考えてみれば彼らの年齢は70歳半ばとなっているはず、果たして往時のようなプレーが期待できるのかと一抹の不安があったのですが........。

しかし、厳しいショーマン・シップ感を持ち、これまでそれに徹し続けてきた彼らのこと、いくら年老いたとしても、それまでの栄光を汚すような物は世に出さないはず、聞けば今年3月に行われたキューバでのライブではその健在ぶりをアピールしたばかり。

さらには、その作品の内容、彼らのルーツであり、彼らがさも得意とするブルースやR&Bの楽曲を収録したものだということを知るに至り、幼き日、The Rolling Stonesのサウンドで洋楽を聴き始めた私は、これは絶対に聴かねばなるぬと早速その作品を入手することにしたのでした。

さて、そのThe Rolling Stonesの集大成ともいうべきそのサウンド、まずは、この曲で、今回のお話お始めることにしたいと思います。



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2016年印象に残った作品 その1 [音源発掘]

なんだかんだ言っているうちに、12月ももう半ば。
今年は、年明けから忙しく動きまわっていたせいか、それを実感できず、今もってそのことが信じられないでいた次第。

ところが、それまでの働きすぎが祟ったのか、常々溜まり続けた疲労が爆発して、ついにダウン。
そこで、数日間ゆっくりと何もせず休息をしながら周囲の様子をよく見てみると、空気はまさに師走。
そんなことで、時の流れを知るなどとは、全くもってショウモナイ話なのですが、まもなく2016年が終わろうとしているのは事実。

そうなれば、今年も当ブログ、やはり1年間聴いてきた音楽、その印象を決算しなければということで、今回は、毎年恒例となっている”印象に残った作品”、またそのいくつかを取り上げお話を進めて行こうと思います。

さて、その第1回は、クラシック作品から。
今年、私にとって大きな衝撃だったのは、野ものとも山のものともからなかったシンセサイザーという装置を世界に先駆け取り入れ、楽器としての生命を与えつ新たな音楽世界を切り拓いた、日本を代表する音楽家である富田勲さんの逝去。

その第1作目の”月の光 Clair De Lune”発表以来、彼の音楽に接して来た私は、近年は、源氏物語や宮沢賢治の文学作品を題材にしたその音空間に惹かれつつ、命尽きるまで探究の手を緩めることのないであろう富田さんの生みだす次なる音世界を楽しみして来たのですけど........!!

その期待通り、その彼が次なるステップに進み、その完成を間近に控えたこの出来事。
それは、その日も富田初のバレエを組み込んだその曲の発表打ち合わせ途上だったという、突然の彼の死。

「曲を完成させたすぐ後は、こんなキツイこともうしたくないと思うのだけど、またしばらくしたらまた始めてしまうのでしょうね。」 

これは、前作、バーチャル・シンガー初音ミクとオーケストラとの共演で話題となった”イーハトーヴ交響曲”を発表した直後、富田さんの語っていた言葉ですが、その言葉通り再び創作の世界に返り咲き、日々精力的に活動をしていた富田さん。

その終焉は、そうした言葉を語った、かにも富田さんらしい最後だと思いつつ、私は、彼の音楽、その聴き軌跡をたどり聴いているうちに思い当たったのが、90年代に彼の手掛けた作品”源氏物語幻想交響絵巻”のクラシック・オーケストラの演奏の中に和楽器を取り混ぜ、日本的な雅の世界を創出した絶妙なアレンジ術。

日本の伝統的音楽を完全に自家薬籠のものとした彼のこと、もしかすると、和楽器をフューチャーしたシンセザーとの共演作品があるのではと、探し見つけたのがこの作品。

藤原道山 x 冨田勲 響 -kyo-.jpg


日本の代表的尺八奏者、藤原道山とのコラボによる作品、”響 -kyo-”。

藤原道山と言えば、尺八をもってジャズにチャンレンジし、ピアニストの菊池雅章、ベーシストのGary Peacock等との共演よって、日本の伝統とジャズのインプロビゼーションの世界を見事に融合させた名盤”銀界(http://hmoyaji.blog.so-net.ne.jp/2009-04-15)”を生み出した、人間国宝 故 山本邦山のお弟子さん。

これはかなり期待が出来そうと、さそっく手に入れ聴いてみることにしたのがこの作品なのです。

さてそのサウンド、一体どんなをものなのか????
まずは、一聴いたしましょう。





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今年もまた紅葉の里へ!! [仕事の合間に]

前回の記事以降、忙しくあちらこちらを飛び回る日々が続いている私、前回の松本に引き続き、次に向かったのは、甲府。
前回の信州の旅では、うまい具合に紅葉全開の風景を楽しむことができたのですが、それから3日後、前回通りががかりに見た様子から、次に訪れる時は見頃となっていることを確信した、松本より標高が200m低いこの甲州でも、またその満開風景を楽しむことができるのではと考え出発したのですが、

そして、笹子トンネルを抜けたところで、1時間半ほどの時間の余裕が出来たので、いつもの釈迦堂PAで小休止、そこから甲府盆地を囲む山々の方へと目をやると、

DSCN2844km.JPG


曇り空なれど、水平線近くには朝日の緋に染まる雲がたなびき見えています。
これなら雨が降ることはない、昼になれば、久々に秋の青空が姿を見せるのではと安堵して、反対車線のバス停付近に眼をやると........

DSCN2846m.JPG


バス停を取り囲むように立つ、綺麗な秋色の衣装を着た木々たちの姿が目に入って来たのでした。

昨年もほぼ同じ時期にこの場所を訪れたのですけど、今年は昨年に比べ冷え込みの到来が早かったせいか、その装いの鮮やかさも、なお一層際立っているようにも感じられます。

これなら、この地でも秋の気分を十二分に満喫できる。
今回の旅も、その忙しさはいつもと変わらないけど、長逗留となる予定のこの地、その間に時間を見つけちょっと散策をしてみようと決め、今日の仕事場に向かうことにしたのです。


しかし、初日は案の定..........

次から次へと襲いかかってくる案件の波、とてもそんな余裕はありはしない。
ということで、その日は、早々に引き揚げ宿にて安眠を貪ることにしたのですが、おかげさまで翌朝は、早くに目が覚めたこともあって、ならばと宿のそばにある古墳の丘陵へと散歩に出掛けることにしたのです。

そして出会ったのが、

DSCN2866m.JPG


昨年にも増して、見事な秋の風景。

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銀杏の葉の染まり具合もこれまた十分です。

これならば、まだこの地での逗留生活も始まったばかり。
ならば、必ず仕事の合間もできるはずと、その時を楽しみにして待つことその翌々日。


ポッカリとかなりの時間が空き、そこで、いざ向かったのは、小さな古びたお寺のお堂があるこんな場所でした。

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DSCN2942m.JPG




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気付いてみれば1か月が過ぎてました。 [閑話休題]

突然の家族の入院
無事退院できた思いきや、今度は会社の方、突如舞い込んできた予定外の大仕事に、全員、いつも2~3倍程度の仕事を熟さなければならないほど大忙し。

おかげで、ゆっくりと時間をとることもできないまま、気付いてみれば1か月以上もブログの更新が途絶えてしまうことになってしまいました。

しかし、忙しい日々はまだまだ続くし、このまま過ごせばばいつ更新できるかわからない、この辺で近況報告も兼ね、なにかしなければということで、今回は忙しい日々訪れた場所で見た秋の風景、そうしたお話で久々の更新をすることにしたいと思います。


そこで、まず最初の風景は、

IMG_1335wm.JPG


山梨県中央市から望む夕焼けに染まる八ヶ岳。

今年の秋は、あまりの忙しさに、ちょっと仕事の合間にとその土地の風景や風土を楽しむ余裕も失っていたのですが、この日は、まもなく仕事も一段落というところで、西の方角を望んでみたところ、夜の明かりがともり始めた裾野の街並みのバックに、夕日に染まった八ヶ岳の山容が目に入り、その姿が、いつもに増して美しかったことから、思わずシャッターを押し収めてしまったもの。

いつも見慣れた風景でも、夕暮れ時となるとまた違った趣があること、このことで改めて気付かされることになりました。
そして、それ以後は、日中は忙しくて仕事に没頭せざる負えないのなら、その日の終わり仕事が一段落した時に、その地の夕暮れ時の風景を眺めながら、明日の鋭気を養うことにしたのです。


そうして、次に出会った夕暮れ時癒しの風景は、

DSCN2704wm.JPG


東京は江東区から望む夕暮れ時の東京湾。

大井町方面を映したものですが、この方角、空気の澄んだ朝方は、どこか冷たい大都市のバックに、遥か彼方に丹沢連山がこんな風に望める場所なのです。

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それにしても、夕暮れ時の海の上に広がる空、その広さがさらに際立って見えるものですね。

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さて、次に向かったのは長野県の松本市。
こちらは季節柄、紅葉を期待して出かけたのですけど、今回は仕事先に着けばそれを楽しむ時間もなさそうだしということで、この日は、いつもより時間を繰り上げて出発したのですが。

その甲斐あってか、出会ったのはこの風景。

DSCN2795wm.JPG


なるほど早起きは三文の得なんて。

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甲府から諏訪湖へと標高が上がって行くうちに、木々の色が次第に秋色に色濃く染まって行く様子を楽しみながら目的地へと、新たな元気を得ながら向かうことが出来ました。

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そして、数日松本に滞在、帰りは何とか日没の時刻までに諏訪湖へとたどり着くことが出来たので、立ち寄ってみると、

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赤く染まった木々の下に広がる湖面。
いつも観光地でありながながら、湖周辺の風景は今一つパットしないと感じる諏訪湖も、この季節は一見の価値があるのではとういう感じでした。

しかし、この秋の絶景も束の間。
ここでちょっと小休止をしていると、あっという間に夜の帳が降りて来て、この湖の印象を塗り替えて行きます。

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夕焼けと、その下に点々と見える街の灯に囲まれた黒ずんだ湖面。

古代縄文の神を宿すこの諏訪の地、あたりを包み込んで行く夜の帳は、この山間の湖に、その神が跋扈する神秘的な空気を醸し出しているようにも思えます。、



まだまだ続く、目一杯仕事のスケジュール。

いつもの音楽記事は、なかなか書けそうにもないけど、秋の夕暮れ時のなにかもの寂しく感傷的な空気。
今度は、どんな空気と巡り合えるのか、その楽しみをバネにして、前向きにこの局面を乗り切って行こうと思っています。

そしてまた、その巡り合いで得た様々な空気、また記事にできればと思っています。

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秋の空気に映えるピアノの音;kenny Drew・Impressions,Expressions [音源発掘]

10月になりましたね。

今年の秋到来は、雨降り続きで鬱陶しい日が続く毎日で、心の内まで曇りがちにとなってしまっている方も多いのではと思いますが、そうはいえ、夜になるとどこからともなく聞こえてくる虫の音にホット一息、そこに確かな秋の訪れを感じられるようになった今日この頃。

その秋という季節、”芸術の秋”とは昔の人はよく言ったもので、何故か日常当たり前のように聴いている音楽も、一際その冴えが耳の中に響き渡り、その風味が増して聴こえてくるもの。

私もこの秋はログ友さんの影響か、ここのところ尺八の音が妙に恋しくなってしまい、この季節の風の上を静かに飛翔する藤原道山の尺八の演奏を聴きながら、日本の秋の詩情を体全体に感じ味わう機会が多くなっているのですが、それに加えてよく聴いているのが、今回ご紹介する秋の旅情を掻き立てる、この2作品。

kenny drew・impressions.jpg


kenny Drewの欧州3部作と言われる作品の中の、1988年制作の第1作目の作品、”impressions(邦題;パリ北駅着、印象)”と

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1990年制作の第3作目の作品、”Expressions(邦題;旅の終わりに)”。


旅の空の下、淡い哀愁の漂う女性の姿が印象的なジャケットを持つこれらの作品、共に今年7月に亡くなった日本人名ジャズ・プロデュサーの木全信氏の手によるもの。

このkenny DrewをはじめArt Blakey、Benny Golson、Chet Baker、European Jazz Trioなど、日本では最新の演奏を紹介されることの少なかった数々の名演奏家の現在を、「寛げるジャズ」「気楽に触れ合えるジャズ」そのうえで「アルバムのどこかに、聴く人の心に触れる緊張感をのこせれば・・・」という心情の下、多くの作品を制作してきた木全氏、中でもkenny Drewの今を捉えた作品群は、当時母国アメリカからヨーロッパに渡り、日本では忘れられかけていたこの名ピアニストの存在を広く世に知らしめ、大きな反響を呼んでいたことが思い出されます。

そして、そうした木全氏プロデュースのDrew作品の中でも今回選んだこの2作品は、1993年に64歳で亡くなったkenny Drew、その最晩年の演奏を捉えたもので、生涯の相棒となったベース奏者のNiels-Henning Ørsted Pedersen との互いにすべてを知りつくした二人の円熟の境地が生む緊密なサウンドが堪能できる、Drewの晩年の傑作と言われているものなのです。


それでは、円熟の境地が綴る、秋の空気をより一層引き立てるその音楽、前口上はこのくらいにして、この辺で1曲、お聴きいただくことにいたしましょう。










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若き日の......... 熱きあのプレイをもう一度!!!:Santana Live!!! '69 本日の作品;vol.133 [デジタル化格闘記]

早、9月も半ばを過ぎ、秋の色も日々濃くなって行く今日この頃。

しかし、今年の9月、8月の終わりからの日本近海での台風の大量発生で、荒れ模様の日々。
中には10号のように北に向かわず南に向かい停滞、一旦は勢力が衰えたものの、南の海で再発達、さらに勢力を増してUターン、観測史上初の東北地方上陸などという前代未聞の動きをする奴まで現れたりして。

おかげさまで、外での仕事をすることの多い私、嵐が来たのでは敵わない、四六時中、天気予報と向かい合い、予定調整作業に大わらわの大忙しさの毎日で、記事をUpする間も取れなくなってしまう始末。

とかなんとか言っても、そのバタバタもようやく峠を越え、この連休は、やっとのことでの一休み。

老体には堪える神経をすり減らすこと連続で、疲れ切ってしまった体もこの3連休でようやく回復したところ。

そこで、今日は3週間以上を更新が滞ってしまっていた我がブログ、やっとのことで筆をとることにいたしました。


今回のテーマは、そのドタバタ日々、なんとも気まぐれな天気模様にイライラを募らせながらも、前向きに進もうよとその景気づけに聴いていた、この音楽から思いたった、そんなサウンドをご紹介することにしたいと思います。



まず、お聴きいただいたのは、今年4月に発表された、ラテン・ロックの元祖、Santanaの最新作”SANTANA Ⅳ”より、”Anywhere You Want To Go”です。

santana Ⅳ.jpg


ところで、1969年レコード・デビューしたSantana、その新作のタイトルが4番目のアルバムを示す”SANTANA Ⅳ”とは、ちょっと不思議だと思いませんか。

事実Santana、これまで23枚の作品を発表していて、本作が通算24枚目の作品。

24枚目だから前の20をとってⅣなんでしょ、なんていう向きもありやにしれませんが、答えはそんな短絡的なものではなく、実はこの作品、Santana 1971年の3枚目の作品”Santana III” 時に在籍した初期のメンバーによる45年振りの再会作品で、そのことからⅣと名付けられた作品なのです。

その参加メンバーは、わずか17歳の時”Santana III”でデビュー、御大のCarlos Santanaと白熱のギター・バトルを繰り広げ聴かせてくれた、現JourneyのリーダーであるNeal Schonをはじめ、Schonと共にJourneyを立ち上げ、その後は、Ringo Starr のバンドへの参加で知られるキーボードのGregg Rolie、そして日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、現在もプレヤー、コンポーザーとして、ジャズ・フュージョン系シーンでの活動で知られるドラムのMichael Shrieve、Santanaをラテン・ロックとして印象付け、現在もそのヴィヴィッドなプレイで注目され続けるパーカションのMichael Carabelloなど、初期Santanaファンには、その彼らの生み出すサウンド、その名を聞いただけで期待が大きく膨らんでしまう人達なのです。

そして、さらなるⅣの意味。

「再会以外にもまだ何かあるの?」と思われるしれませんが、そこには、”Santana III”以後に起きたメンバーの大幅なチェンジ、そこにもう一つのこの名付けの因があるように思うのです。

それは、メンバー間の音楽を巡っての確執。

この、”Santana III”のレコーディング時期、それと前後してリーダーのCarlos Santanaは、かねてより彼が敬愛、影響を受けてきたJimi Hendrix、その生前に彼とプレーしたアーティストであるドラマーでヴォーカリストのBuddy MilesやギタリストのJohn McLaughlin等とレコーディングを行っているのですが、その中でMcLaughlinから、60年代にジャズに大きな変革をもたらした、John Coltraneの存在を教えられ、その後のその影響か、それまでの彼の音楽とは異なったサウンドに音楽そのものが大きく変化しているのです。

事実、、”Santana III”の後に発表された4作目の作品”Caravanserai”は、それまでの叙情的かつ解放感に満ちた情熱的なサウンドから、内省的幻想感を感じるジャズ・フュージョン的要素の強いサウンドに大きく変化しており、さらには、メンバー・クレジットに新旧メンバーの名前が見えることから、この、”Caravanserai”のレコーディング途中に、Carlos と各メンバーとの音楽路線における確執は頂点に達し、バンドは空中分解してしまった様子が読み取れるように思うのです。

90年頃になってCarlosも、インタビューに答えて「なんであの時は、もっと皆に優しく接することができなかったのだろう。」と述懐の弁を語っていましたが ようやくそうした思いが各メンバーにも伝わり45年振りのレコーディングなった、このⅣには、彼等にとってそうした思い入れが実現したという重い意味があるように思えるのです。


さて、新作の話が先攻してしまいましたが、本日取り上げようと思っている作品は、この新作ではなく.......

こちらの作品!!

SANTANA Jacket.jpg


Santanaがレコード・デビューした年の、貴重なLive音源収めた”SANTANA-LIVE”。
”SANTANA Ⅳ”を聴いていたら、デビューしたばかりのSantanaが聴きたくなり、そう言えば音質はかなり悪いのですが、その初期の音源を収めたアナログ盤があったこと思いだし、早速、久々のリマスター・デジタル化作業を行ったものが今回紹介するその音源。

正規に発表されたアルバムではなく、今は手に入れるのは難しくなっているもののようなのですけど、正規のアルバムには収録されていない曲が収録されているその作品から、貴重な音源をお聴きいただくことにいたしました。

それでは、そのLiveの開演、50年の時空を越えて、そのステージに出かけてみることにいたしましょう。



[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][ダッシュ(走り出すさま)]













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世界にボサノバを羽ばたかせた名曲;Garota de Ipanema [名曲名演の散歩道]

オリンピックも終わり、終ってみれば日本選手団、メダル獲得数は史上最多の41個の大奮闘。
開会早々の体操男子の団体、金メダル、そして前回は金メダル獲得の叶わなかった、そしてメダル獲得組から消えてしまったシンクロなどもメダル取得組に返り咲き、競歩で初のメダルなど随所随所での日本勢の大健闘が見られた大会でした。

一昔前、東京オリンピック、そ子供ながられを見た私にとって、子供心に感じていた日本選手団の間に漂っていた、勝たねばならぬの悲壮感、それと裏腹に、世界の大舞台で堂々と競い合い、自らの力を出し絞り奮闘していた今の世の日本選手たち、今回はその姿を見ながら、その若い力に、まだまだ日本も捨てたもんじゃない、こうした連中が生まれ出ているではないかと、日本の未来に大きな希望を託す事が出来ました。

さて、そのオリンピックの開催地であったブラジル・リオデジャネイロ、オリンピックの大きな波に呑まれ忘れてしまっていたのですが、考えてみればこの地、音楽の世界では、あのAntônio Carlos Jobimを生み、ボサノバが生み育んだ場所。

そこで、今回久々の名曲は、そのブラジルにちなんで、そのブラジルを代表するアーティストAntônio Carlos Jobim(アントニオ・カーロス・ジョビン)の曲から、世界にボサノバを広める起源ともなったあの名曲を取り上げ、その小道を散歩することにしてみました。

ということでまずはそのお題の名曲、その演奏からお聴きいただくことにいたしましょう。



もうお分かりですね。
曲は、あの有名な、JobimとVinícius da Moraesのペンによるボサノバの名曲”、イパネマの娘(原題:Garota de Ipanema、英題:The Girl from Ipanema)ですよね。

この映像はAstrud GilbertoがバックにStan Getzのカルテットを従えて歌っている大変貴重なもの。
興味深いのは、ちっらと登場するヴィブラフォン奏者の映像。


なにあろうこの方!!、現代のヴィブラフォン奏者の大御所となっている、Gary Burtonの駆け出し時代の姿なのです。


さて、普段何気なしに聴いていたこの”イパネマの娘”、このリオ五輪を機に思い当たっていろいろ調べてみると、結構いろいろなエピソードがあって、これがまた面白い。

そうしたことで、今回はそうしたエピソードを交えながら、あの”Yesterday”に次いで多くのカバー・ヴァージョンを生んだと言われるその演奏に触れて行くことにしたいと思います。


その伝説のエピソード、Wikiよれば、まず見えてくるのが、この歌の誕生譚。

所は、当時、この曲の作曲・作詞コンビのジョビンとモライスをはじめ多くのボサノバのアーティストがたむろし酒を飲むことが多かったという、リオデジャネイロのイパネマ海岸近くにあったバー「ヴェローゾ」でのお話。

このバーに、母親のタバコを買いにしばしば訪れていた一人の美少女。

その彼女にをビールを飲みながら注目していたのが、この作曲・作詞家コンビ、実は共に大変なプレイボーイだったそうなのですが、そうしたことから、二人は、その彼女の“腰の揺れ”を日課として眺め、そのセクシー娘からインスピレーションを得、作ってしまったのがこの”イパネマの娘”だというのです。

その少女の名は、エロイーザ(本名:エロイーザ・エネイダ・メネーゼス・パエズ・ピント、Heloísa Eneida Menezes Paes Pinto (のちに結婚改正をしたため、現在は、エロイーザ・ピニェイロ、Heloísa Pinheiroとして知られているのだそうですが。 )。

当時そのバー近所に住んでいたという彼女、この時の年齢は10代後半、170cmの長身でスタイルが良く、界隈では有名な美少女であったというのですが。

と、ここまで聞くと名曲のインスピレーションを生みだした美少女、となるとこれはさぞかしの女性のはず、ジョビンとモライス、二人のスケベおじさんではなくともその御姿、是非とも拝見したくなってしまいまよね。

そこで、その彼女の写真を探してみたところ、それらしき写真が見つかりました。

それがこの写真!!!

エロイーザ・ピニェイロ 1.jpg


なるほど、何とも言えない健康美が漂う溌剌した美しさ、
これなら彼らが歌にしてしたくなっていまうのも至極当然のことと、出来ることなれば彼女のお姿、私も一度、直にお拝見してみたくなりました。

しかし、1945年生まれと(一説には1939年生まれ説もあるのですが)言われている彼女、となれば『イパネマの娘』が作られた1962年には17歳ということになりますが、現在もご健在とのことで、女性の年を詮索するものでではありませんけど,となれば今は??歳。


果して、世界魅了したあの歌のモデルの今のお姿を拝するというのはいかがなものか?????......

とも思ったのですが、Wikiにもあったそのお姿、溌剌さ希薄になったものの、どこか年輪を経た風格気品がある、このお姿これ本当なの??

という訳で、別のお姿も見てみなけばと、もの好きにも、さらに探してみたところ.............


ありました!!!!。

2012年、この曲が生まれて50年時の、お姿.が..........!!!!










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フリー・ジャズの旗手からバラードの達人へ;Pharoah Sanders・Welcome To Love [音源発掘]

長期の天気予報では、猛暑の日が続くと言われた今年の夏、その始めは暑い日としのぎやすい日が入り混じってやって来るという気候変化の激しい日々が続いたと思ったら、8月に入り突然様変わりの猛暑の日々の襲来。

前半の寒暖差の激しい日々で一時体調を崩してしまった私、何とか回復したものの今度はこの暑さ、病み上がりの老体の身には少々堪えている昨今なのですが.....。

とか何とか言っても、まだまだ家でじっと養生できるような隠居の身分でもない私。

そこで、朝はこの日の活力の源注入のため、メタルを聴きながら出勤、仕事を終えた退社の時刻には、一日の心と体の疲れ癒すため、潤いのあるジャズに浸りながら帰路に着くことが日課にしているのですが、その中で身に心に大きな癒しを貰っているのが、この作品。

welcome to love pharoah.jpg


テナー・サックス奏者 Pharoah Sandersの1990年の作品”Welcome To Love”。

全曲バラード曲で構成されたこの作品、その1曲1曲がピュアでナチュラル感に溢れていることから、心を現実の世界から癒しの世界に導き浄化してくれるように思え、最近よく聴いているもの、ということで今回はこの”Welcome To Love”を取り上げご紹介することにしたいと思います。

しかし、演奏者のPharoah Sandersというアーティスト、名盤紹介書などで取り扱われてことも稀であり、CDショップを訪れても、彼の作品に出会うことは極めて稀であるため、この名前に馴染みがないという方も多いのではと思います。

そのPharoah Sanders、1965年フリー・ジャズの道を歩み始めた、巨匠 John Coltraneのコンボに参加、Coltraneの存命中は、Coltraneが父でSandersがその子供と称され、そして1967年彼の死後は、その後継者として注目されたほどのアーティストなのです。

しかしながらその存在、70年代になってフリー・ジャズが衰退、新しいジャズのスタイルとしてフュージョンが台頭してくると、彼の名をマスコミで目にすることは少なくなり、そこに1965年までColtraneのカルテットのピアニストとして在籍したMcCoy Tynerが”Sahara”をはじめとした意欲的な作品を発表すると、後継者としての座までもが彼の元からMcCoyの元へと、その評価が移ってしまったことで、その影までもが薄くなってしまったようなのです。

そして、それと同時に、レコード・ショップにて彼の作品を見ることも稀となってしまったのですが、事実、当時私も、友人に聴かせてもらった彼の1969年の代表作”Karma”を購入しようと、今のようにネット通販のない時代、レコード店を一つ一つ歩き回り探したのですけど、とうとう見つけることが出来ず、やっとのことで見つけことが出来たのは、それから15年後のことだったという体験があります。

もっともこの”Karma”を探した原因、それは、Pharoahを聴きたかったわけでなく、当時SANTANAに参加していたLeon Thomasのヴォーカルを気に入りそれを聴きたかったためであり、Pharoahのサックスについては、ボソボソと鳴るか、ただひたすら咆哮するばかりで、なんやら得体も知れない味気の片鱗もないものようにしか思えず、その時は、全く評価してはいなかったのです。


ところが、それから5年後のこと、とある日に雑誌のレビューで知った”Welcome To Love”というこの作品、収録曲を見ればバラード曲が並び、その評価の方もかなり高い由。

Pharoahとほぼ同時期に登場し、Coltraneの影響をダイレクトに受けたフリー・ジャズの演奏で、名を馳せていた同じくテナー・サックス奏者のArchie Sheppの70年代後半ステージを見たことのあった私は、Sheppがフリーから転じ、スピリチュアルなスタイルへと変化、その演奏に好感を持っていたことから、さらにSheppより以上にColtraneと身近な場所で共に過ごし、かつ啓蒙を受けたPharoahのこと、もしかすると、Shepp以上の良質な変化を遂げているかもしれないと考え、早速この作品を手に入れ聴くことにしたのです。

果たしてその結果は、
それではその演奏、この辺で、皆さんにもお聴きいただくことにいたしましょう。









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和製ポップスのパイオニア 逝く [音源発掘]

最近続く、私の幼少期から少年時代にかけて、その音楽嗜好に大きな影響を与えた日本のテレビ放送草創期、その時代に登場し活躍した人々の相次ぐ訃報。

5月には、世界の富田こと富田勲さんが亡くなり、私も記事に書いたばかりだというのに、今度は永六輔さん、大橋巨泉さんと...........[右斜め下]
自分がそれなりの年齢となったのだから、それが世の常だとは思いながら、これだけ続くと少しばかり気が滅入ってくるのも事実。

と書くと、永六輔さんは作詞家、大橋巨泉さんは司会者として活躍した人で、あなたの音楽嗜好とどう関係があるのといわれそうですけど..........。

その影響の一つは、”上を向いて歩こう”や”こんにちは赤ちゃん”、”遠くへ行きたい”の作詞者として有名な永六輔さん、この六輔さんと当時コンビを組み、これら曲の作曲をしたのは中村八大さんという元ジャズ・ピアニストの方なのですが、ある日、なんの番組だったか覚えていないですけど、TVで八大さんが”こんにちは赤ちゃん”をピアノで演奏しているを見たことから、ジャズのピアノが気に入ってしまったこと、そのことが後に私がジャズに親しむようになった大元のように思われることがあるのです。

そして大橋巨泉さん、この方はそもそもジャズ評論家だった方で、私も、この人の話の影響でElla FitzgeraldやSarah Vaughanなどのジャズ女性ヴォーカリストの存在を知り聴くようになったのですが、それより以前の
1960年代中頃、TVにて大橋巨泉さんの総合司会で放映されていた、洋楽ポップスのヒット・チャートを紹介していた番組、”ビート・ポップス”が、それまで音楽にさほど興味なかった私に、多くの海外のアーティストとの触れ合いの場を提供し、洋楽の世界に興味を持つきっかけを与えたくれたということがあるのです。

その”ビート・ポップス”という番組、それは今でいう、”ベスト・ヒット・USA”のようなものなのですが、この番組で私は、The Beatlesは基よりThe Rolling Stones、Jimi Hendrix、Creamといった、現在もその偉業を称賛され続けるアーティストに出会うことが出来、六輔さんの活動も合わせ、そのお二人が、私のその後の音楽嗜好の形成に大きなく影響を及ぼしたと思えるのです。




そして、もう一人、永六輔さんの訃報と同じ日に報じられたこの人の訃報。

伊藤エミとユミ 双子の姉妹による女性デュエットのザ・ピーナッツ 。

ザ ピーナツ.jpg


そのピーナッツ姉妹の妹さんの方の伊藤ユミさんの訃報。
お姉さんのエミさんは4年前に71歳で既に亡くなっているのですが、このユミさんが逝ってしまったことで、TV画面越しにも、何か混沌した流れの中で、満ち溢れる熱い思いが見えた時代のスターが消えていった、既に時代の流れは大きく変わってしまったのだと、そのことを深く痛感してしまうのです。

そして、あらためて考えさせられてしまったのは、日本における和製ポップスの源を育んで行った彼女らの功績の大きさ、そこで今回は、そのピーナッツの歌を中心に、私が子供の頃に接した日本のポップ・ミュージック草創期を旅旅してみたいと思います。










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