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火砕流に呑まれた古代の王国 [仕事の合間に]

今年に入ってから、例年になく仕事で足を運ぶことが多くなった上州路(群馬県)。

私にとって、地元の人もなかなか知らない歴史や隠れた見どころを知ってしまった甲信州路とは異なり、こちらはまだまだ未開拓の地。
こちらの方も、それまで行くたびにそれまで知らなかった新たな発見があって、はたまた仕事とは言いながらも旅を楽しむこととなっていたのですが、何度か訪れているうちふと思いあたったのが...........。


群馬県という所、一般的に尾瀬や日光白根山など美しい自然や草津、伊香保などの温泉地で有名な所なのですが、いささか地味でありますが古墳時代の古代遺跡の数とその内容においても全国有数の地だということ。

特に、人や動物、家などを模った形象埴輪では、国宝の「挂甲武人埴輪」や重要文化財となっている「」腰かける巫女埴輪」などの出土地としてその質においても見るべきものが多い所。

埴輪 挂甲武人 国宝.jpg


埴輪 腰かける巫女 国宝.jpg


となれば、仕事とは言えせっかくその地に足を運ぶのだからと、その好機を捉えて日本の古代の痕跡を探し歩いてみることに決めたのです。

そして、仕事の打ち合わせを終え帰路に着こうとしたとある日の午後。
渋川付近を車で走っていると路傍に見えてきたのが中筋遺跡の案内板。

やはり、この辺りは遺跡が多いのだな、ならば立ち寄ってみようと躊躇することなくその案内板に従い進むことにしたのです。

そして到着したのが、

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一見、住宅地の中に復元竪穴式住居だけがある平凡な遺跡のように見えますが..........。

まあせっかく来たのだからと、遺跡の中に入って行くと、足元に地中からしっかりとその原形を留めた土器群が顔を覗かせています。

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普通の復元遺跡では、発掘された土器を,わざわざ見学者に見せるよう半地中に埋めてある遺跡の復元形態は見たことがないし、これは一体どういうことだろう、何か意図あってのことかと思い、近くにあった案内板を見てみると。

この遺跡、今から1500年ほど前の榛名山の大爆発による火砕流に呑み込まれ、突如この世から消えてしまった集落の遺構だというのです。

つまりこれは、長きに渡り人に知られることなく地中に眠り続けた古代の集落だということ。
地上に顔を覗かす土器群が残されていた意味もこれで氷解。

それにしても、その復元された遺跡のリアル感、、元々発掘された時の保存状態の良さが想像されます。

これならば復元竪穴式住居の方も何かあるはず、竪穴式住居と言うと、中央に備えつけられた火を絶やすことない囲炉裏を囲み、そこで煮炊きし生活していた古代人の姿を連想しつつ、中に入ってみると。

DSCN3218m.JPG


そこにあったのは、壁際にしっかりと据えられた竈が。
竈の上の穴に土器を置き食作りをして煮炊きの場と居住空間の仕分けを図っていた、そこには現代のような華やかな豊かさはないけれど、どこからともなく、神々の脅威にさらされながらもその恩恵を受け豊かに暮らしていたであろう古墳時代の人々の息吹が聞えてくるような、そうした雰囲気が漂っていました。

中筋遺跡_4.jpg


そして、1500年前の榛名山の大噴火で埋もれた遺跡、その後、この中筋遺跡からさほど離れていない場所から、さらなる大発見があったというのです!!!!!!!














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花々に包まれた甲斐源氏発祥の郷 [仕事の合間に]

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少し前のことになりますが、今年4月の終わりから5月に甲州路へ度々足を運ばなければならなこととなり、かなり忙しい日々を過ごしていたのですけど、そうした日々、わずかの時間手が空いた時にあたりを見回してみたところ新たな発見が!!

前回は、3月終わりの寒の戻りのおかげで、例年なら花時期が終わっているはずの桃の花園を訪れかろうじて最後の花を咲かすその様子瞬間を紹介させていただきましたが、今回は出会った花々は、

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まずは、はなみずきの花。

いつも仕事で訪れる甲府市から中央市にかけての一帯は、街路樹にはなみずきが植えられている場所があって、かねがね見頃に行けば、その可憐な花々の美しさを満喫できる場所だなと思っていたのですが、これまでなかなかその機会に恵まれず出会えないでいたのす。

しかし、今年は!!

やっとのことでその時期を捉えることができたのです。


白いはなみずきもこの通り。

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そして、さらに、この季節の甲州路の楽しみは、こちら!!

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ちょっと、変わったアヤメの花。
普通アヤメと言うと、紫か稀に白い花をつけるがふつうなのですけど、こちらの花は???

紫の花に混じって黄色や肌色の花が咲いているという、なんとも不思議な光景。

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この写真、中央道下り線の境川PAの売店裏の5月の連休明けの光景なのですけど、皆さんも、この時期この場所を通ることがあったならば、そこに立ち寄って覗いてみるのもいいかもしれませんよ。

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さて今回の旅、甲斐路に咲く春の花々の宴も楽しみ一つだったのですが、今回は、昨年秋に訪れた壇ノ浦の戦いの時、遠弓の秘儀で相手を倒し源氏の勝利に大きな功績を残した浅利与一こと浅利義遠、その所縁の地である大福寺に義遠の墓所があることを知り、その地を再度訪れてみることにしたのです。

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その結果......

前回の記事でお話をした通り、この浅利義遠と言う人物は、平安時代末期に現れた武田信玄に通じる甲斐武田氏の祖である武田信義の弟なのですが、この墓参をしたことがきっかけとなってしまったのか、源平の世に活躍した甲斐源氏一党の歴史の痕跡の世界へとまた一歩足を踏み入れてしまうことになってしまったのです。



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桃源郷に咲く純白の桃の花 [仕事の合間に]

毎年、桜が散ったその時期に訪れることなる桃の花園、今年もまた訪れることになったのですが。

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しかし、いつもの年は4月の半ばに訪れるのですけど、今年は、仕事の日程がうまくはまらず20日過ぎの訪問となってしまったことから、もうその花の見頃は過ぎってしまった諦めていたのです。

とは言っても、現地到着してみると、せっかく来たのだからちょっと覗いてみようと丘の上にへと登ってみたところ......。


なんと桃の花々が、今年も私の来るのを待っていてくれたかのように、最後の一咲を見せていてくれました。

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その場所は、中央道下り線 釈迦堂PA裏の丘の上にある釈迦堂遺跡博物館周辺の地。

例年は花見で多くの人で賑わうこの場所も、本来であればその見頃をとっくに過ぎってしまっている時期なので、訪れる人の影もまばらで、ゆっくりと花見をするには最高の状況。
これはラッキーと喜びながら早速、いつもの通り博物館駐車場に隣接するフェンス越しに美しい桃の花が咲き乱れている桃農園の中に入って行くと、

「おはようございます。」と言う人の声。
こちらも「おはようございます。」と挨拶をして、その声の方を見ると、そこにいたのはこの農園の女将さん。

これまでは、この桃園を訪れる人々の応対で忙しくされていたこともあって、女将さんとはお話をしたことはなかったのですが、今回は人影もまばらであったため声をかけていただけたことから、初めてお話をすることが出来ました。

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そこで、今年は花の開花が遅かったのではと聞いてみると、3月末の寒の戻りのおかげで開花が遅れ、おかげでこの時期まで花がもったとのこと。
しかし、ここを訪れる人は、ほとんどの方が例年ならはもう花が散しまう時期だということをご存じなので、今はもうここに上がってくる人、少なくなってしまいまいましたねとのお話。

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そこで私も、「この花時期には毎年、出張の途中、ここに立ち寄り訪れているのだけど、今年は都合が合わずもう花はダメかと思い来てみたら、この情景、良かったです。ゆっくりと見させてください。」というと、是非奥の花も見て行ってくださいとのこと。

ということで、お言葉に甘え、農園の奥へ足を進めてみると、そこのあったのは!!!!



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今年もまた紅葉の里へ!! [仕事の合間に]

前回の記事以降、忙しくあちらこちらを飛び回る日々が続いている私、前回の松本に引き続き、次に向かったのは、甲府。
前回の信州の旅では、うまい具合に紅葉全開の風景を楽しむことができたのですが、それから3日後、前回通りががかりに見た様子から、次に訪れる時は見頃となっていることを確信した、松本より標高が200m低いこの甲州でも、またその満開風景を楽しむことができるのではと考え出発したのですが、

そして、笹子トンネルを抜けたところで、1時間半ほどの時間の余裕が出来たので、いつもの釈迦堂PAで小休止、そこから甲府盆地を囲む山々の方へと目をやると、

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曇り空なれど、水平線近くには朝日の緋に染まる雲がたなびき見えています。
これなら雨が降ることはない、昼になれば、久々に秋の青空が姿を見せるのではと安堵して、反対車線のバス停付近に眼をやると........

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バス停を取り囲むように立つ、綺麗な秋色の衣装を着た木々たちの姿が目に入って来たのでした。

昨年もほぼ同じ時期にこの場所を訪れたのですけど、今年は昨年に比べ冷え込みの到来が早かったせいか、その装いの鮮やかさも、なお一層際立っているようにも感じられます。

これなら、この地でも秋の気分を十二分に満喫できる。
今回の旅も、その忙しさはいつもと変わらないけど、長逗留となる予定のこの地、その間に時間を見つけちょっと散策をしてみようと決め、今日の仕事場に向かうことにしたのです。


しかし、初日は案の定..........

次から次へと襲いかかってくる案件の波、とてもそんな余裕はありはしない。
ということで、その日は、早々に引き揚げ宿にて安眠を貪ることにしたのですが、おかげさまで翌朝は、早くに目が覚めたこともあって、ならばと宿のそばにある古墳の丘陵へと散歩に出掛けることにしたのです。

そして出会ったのが、

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昨年にも増して、見事な秋の風景。

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銀杏の葉の染まり具合もこれまた十分です。

これならば、まだこの地での逗留生活も始まったばかり。
ならば、必ず仕事の合間もできるはずと、その時を楽しみにして待つことその翌々日。


ポッカリとかなりの時間が空き、そこで、いざ向かったのは、小さな古びたお寺のお堂があるこんな場所でした。

.
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再び旅の毎日へ -This Is My Way- [仕事の合間に]

先月、突然襲われた急の病によっての入院

退院以来、体力の落込みに戸惑いながら過ごしてきましたが、ここのところやっとのことでその体力も回復、おまけに病気のおかげで2kgほど体重も減ったこともあって、以前より身のこなしも幾分軽くなったよう。

おりしもその全快の時期と合わせやって来たのが、入院以前の計画していた出張のスケジュール。
今回は、それぞれ別の時期の仕事として計画をしていたのですけど、どこでどう間違ったのか、気付いてみれば1週間余り連続して茨城県内を転々と走り回り仕事をする結果となってしまったのです。

その手始めに訪れたのが千葉県と茨城県の間を流れる利根川、その下流に広がるこの穀倉地帯。

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ここは稲敷の田園地帯。
植え付けられたばかりの稲の苗を育む水田が、どこまでも果てしなく地平線の彼方まで広がっています。
そして、その遥か向こうには.........

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茨城県のシンボル、筑波山がその姿を覗かせています。

なにも遮るもののないその風景、空が広さ一段と強く感じられます。
そして、その空を見上げ眺めていると.....

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大空をゆったりと登り上がって行く、国際線の旅客機が....
これは、この場所から30㎞ほど先にある成田国際空港より離陸したばかりの飛行機。

この辺りは成田への離着陸の航空路。
以前私は、羽田の離着陸の航空路の下で仕事をしていたことがあるのですが、しかし、こちらは国際線、よく見てみると、その機体の色彩も色とりどり。

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広大な日本の原風景ともいえる田園地帯、それと世界の町を結ぶ旅客機の群れ、その自然と人工物のコントラストが何とも面白く感じられました。

そして仕事先の場内を歩いてみると、

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不思議な色合いの朝顔が咲いています。

いや~、季節は、もう夏なんですね。



さて、稲敷を後にして、次に向かったのは、いつも行っている土浦のある工場施設。
時間もあるので高速には乗らず、国道をトコトコと行くことにしたのですが、途中道路横の案内板を見ると、右折、霞ヶ浦湖畔との文字。

そういえば、土浦、何度も行っているのに霞ヶ浦の湖畔に行ったことは一度もない。
ならな、ちょっと回り道をしてみるかということで、出会ったのがこの風景。

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湖面の先に聳え立つ筑波山。
この山、これまでいろいろな角度で見てきましたが、このシチュエーションで眺めたのは今回が初めて。
利根川、霞ヶ浦のな水源を背景にした茨城の豊かな恵みの大地、その恵みの大地の中に忽然とそびえる筑波山の姿が、妙に神々しく思えてきます。

そんな湖畔の風景を眺めながら土浦に向かって車を進めて行くと次に見えてきたのは、この先予科練平和記念館 との案内看板。

そういえば、ここは先の大戦の時、純粋に国を思い、大空にその命を散らして行った多くの若鷲を育てた予科練があった場所。

今は、予科練てなに?、という人も多いかと思いますが、正確には、海軍飛行予科練習部という名の通り飛行機操縦の練習所だった所なのですけど、練習といってもただ空を飛べれば良いというものではなく、そこで学ばれたのは、戦闘のための飛行技術。

大正時代に勃発した第一次世界大戦の時、その戦略的重要性が確認された航空機、昭和5年、それを操縦する技術を持つ兵員を育てるため設立されたのが予科練こと、この海軍飛行予科練習部だったのです。
その予科練、当初は、横須賀の追浜に設立されたのですが、その後手狭になったため、昭和14年、日本国内で航空機をいち早く実践配備した霞ヶ浦海軍航空隊のあるこの地に移されて来たのが、この霞ヶ浦の予科練なのです。

その予科練平和記念館前に到着。

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車を駐車場へ進め辺りを見回すと、まずに目に飛び込んできたのが、

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テントハウスの中に収められた、白い戦闘機の機体。
さそっく、車を降りその機体の方に足を進めテントの中に目を移してみると。

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その機体は、零式艦上戦闘機、いわゆる零戦。
零戦といえば緑色の機体を思い浮かべる方が多いかと思いますけど、かねてより地元の方から、予科練平和記念館には白い零戦があると聞いていた私は、もしかするとその機体、第二次世界大戦初期に華々しい戦果を残した、白い塗色のものもあったとわれる二一型ではないかと思って、案内板を見てみると、推察の通り、その機体は二一型。

日本国内に展示されている零戦は、大戦中期に登場した緑色に塗られた五二型が多いように思うのですが、初期の二一型とは.........!!

よくまあそんな初期の機体、復元できる個体があったものだと、さらに案内板を読み進むと、実物大の復元模型とある。
なんだ模型かっ!! と思うもよく考えてみると、大戦中、五二型には古参熟練パイロット、二一型には未熟練パイロットを乗せた零戦で出撃、空戦となったところ、戦果を挙げたのは未熟練パイロットを乗せた二一型零戦で。逆に未帰還であったのは古参パイロット乗せた五二型零戦ばかりであったということが実際にあったという事実。

それは、速力、兵装、機体強度の優っていた五二型より、零戦の本来の強みである空戦時における機体運動性能は、二一型の方が遥かに優っていたということ。

そう考えると、戦いの中、大空に散って行った多くの若鷲たち、その多くの搭乗員を育てたこの予科練で彼らの魂を鎮魂するためには、やはり五二型ではなく二一型でなければならず、たとえ模型であってもその機体をここに収めなければならなかったのではと思えて来るのでした。


そして、この園内には実物大模型がもう一つ。
それは、人間にはあるまじき発想から戦争末期作られた非情の兵器。

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人間魚雷 回天!

先端に1.5tの爆薬を装填し時速55㎞のスピードで敵艦に迫り一発必中を期した有人の潜航艇、一度出撃したら二度と生還できない究極の非人道的兵器。

開戦前までは必死の兵器には消極的だった当時の海軍を、ここまでの狂気に駆り立てたのは一体何だったたのか。

いずれせよ、この回天を見ていると、当時の日本軍人の、戦局打開の号令の元に、なにも憚ることなく命を道具のように扱い散らさせしめることを強いた鬼畜のごとく行いに、悪寒が走るのを覚えながらも、純粋な気持ちで国ためと死地に臨んでいった若き兵士たちのことを思うと、怒りと悲しみが入混じった複雑な思いが胸にこみ上て来てしまうのです。

さて、そんな気持ちに襲われながら、回天の先に足を進めると、そこは陸上自衛隊武器学校。
この奥に、予科練出身者の遺品を保存展示している”雄翔館”という建物があるというので、入口を警備している自衛隊の方に入場の旨を告げて中に入ることにしたのです。

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建物の前に立っている銅像は、山本五十六元帥の像。
この方、一般的には太平洋戦争開戦の時の連合艦隊の司令長官として、真珠湾攻撃の立案、実行したした人物として有名ですが、早い時期から航空機の戦略的重要性を提唱し、航空技術部長の時に日本の航空隊の整備を大いに即した人物としても名高い人なのです。

もし、この山本五十六がいなかったらあの零戦も誕生していなかったもしれない、そうしたことを考えると、この予科練の地に彼の銅像があること、それは至極当然のことなのだと感じてしまいます。

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そして、雄翔館の館内へ。
こちらは、以前私が鹿児島に住んでいた時、何度か訪れた知覧の特攻記念館と比べ幾分こじんまりとした作りではあるのですが、そこに収められた遺書、遺品の数々、それを見てゆくと、知覧を見た時と同様、表向きは勇ましくとも、その裏には大きな悲愴感が漂っていて、今の私たちに戦争の愚かさと平和の尊さ大切さを教えてくれていると、そうした思いがますます深くなって行くのを感じることなったのです。

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小一時間ほど園内を見て回り、そろそろ出発しなければ車に戻ることに。
ところが、走り出そうとしたした時、急に思い出したのが、若き日、この霞ヶ浦の予科練で訓練を受けていたと聞いていた亡き叔父のこと。

予定に全くなかったこの旅、どうやらその叔父が「ここまで来たのなら、俺の若き日を過ごした場所、立ち寄って行け。そして、戦死した仲間の霊を弔って来い。」と私をここまで引っ張って来た、信じられないことだけど長いこと忘れていた叔父の姿、それをこの場所で突然思い出すなんて、不思議なことではあるけれど、やはりこれは亡き叔父の導きだったように思うのです


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叔父の導きの旅で出会った、霞ヶ浦の風景。
ここは観光地ではないけれど、ちょっと目を凝らすと他の土地では見ることできない味わいがあったように思います。

This Is My Way、健康を取り戻したところで、スペインのシンフォニック・メタルの”Dark Moor"のこの曲を聴きながら、また次のチャレンジへの英気を養うことにしたいと思います。









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秋の風情を求めて Part3  深山の秋を写す山間の湖 [仕事の合間に]

1か月余り続いた甲信の旅、この間、甲信の地に延べ15日間滞在しながら仕事に明け暮れた日々も無事終わり、やっとのことでたどり着いたのんびりとした休日。

おかげで溜まっていた疲れもいささかほぐすことができたところ。

そこで、その旅で出会った秋の美しい彩、これまで2回に渡り記事をUpさせていただきましたが、疲れも癒されたと事で今回も、その最終回をUpすることにしたいと思います。

さて今回訪れたのは、山梨県や中央市、今月3度目の訪問なのですが、到着するやいつもの仕事場である高見所に登り、その傍らを走る身延線の電車を見ていると

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その電車の先に広がる山々の色付き

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3日前に来た時より、さらに、色濃さが増していることに気付かされたのです。

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幸いこの日は予定よりかなり早く仕事を終えることが出来、ホテルに入るには時間も早いという訳で、ならば、先ほど高見所で見た山々の秋の風情、その山の麓まで行って是非眺めてみたいと考え、身延線に沿って車を走らせてみることにしたのです。

そして来た山のふもと近く、まず目についたのがこの建物。

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ん~!! これ竜宮城??

しかし、ここは山の中。
何故、海の中の竜宮城が? と思ってよく見てみると、これは駅。

さらによく覗き込んでみると、市川大門駅との看板があり、その隣の入口の看板には市川大門下地区公民館とあります。

駅舎と公民館が併設された建物。
しかし、なんでこんな鄙びた場所に、人目を引く建物が??


後で知ったことなのですが、この駅、つい最近までは券売機のない無人駅だったそうで、1994年、町により建設された観光施設の開業後に、これと合わせ改築、以後特急列車も停車する駅となり、2013年には、町の受託により駅員が配置されるようになった、町興しを一翼を担った場所なのだそうなのです。

しかし、この駅舎を見た時点ではそんなことが背景にあるとはつゆ知らず、この風変わりな駅舎、これがあるならば、この付近にはなにか見所があるに違いと勝手に解釈し、案内板を頼りに町内探訪を始めることにしたのです。

そうして、見つけたのがこの風景..........






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秋の風情を求めて Part2  -甲州 紅葉三昧 秋の旅- [仕事の合間に]

10月の後半の信州への出張、前回の記事では、そこで出会った紅葉の様子をUpさせていただきましたが、それから4日後、今度の旅は甲州への出張。

実は、10月後半から11月の後半の1か月間は、大物の仕事数件を一度に熟してしまおうと計画をしたところ、4回も甲信地方を行ったり来たりの旅をしなければならないことになってしまい、その結果、月半分を甲信地方で過ごすはめとなってしまったのですが、今回の旅は、その出張の第2回目、3日間を甲州で過ごしてき来ました。


さて、旅の始まり、
まずは、その無事安全を祈って立ち寄らねばならいのは、富士山ということで。

前回の信州への出張の時は、甲府盆地の中にある韮崎付近からその様子を拝ませていただいたのですけども、今回の旅の行き先はその手前の中央市。
という訳で、今回は甲府盆地に入る手前にある初狩PAで富士を拝むことにしました。

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これが、その時の富士山。
ご覧のとおり、山頂付近には白いものが。

ここ数年、富士山の真っ白な衣装への衣替えは11月半ば以降だったはずなのに、今年は時期が少し早い到来、ならば甲府盆地から望む富士の姿もと期待したのですけど・・・・・・・・・・・・。



それが・・・・・・・・・・・。



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真黒い地肌を見せた富士山。
期待しただけにいささか、がっかり。
白装束の富士の山が見れるのは、やはり例年通りの11月の半ば、それまでお預けということなのでしょうかねェ~。


しかし、紅葉の方は、前週までが標高7~800m付近が見頃だったものが、標高400mのこの地まで下りてきている様子。

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これならばと、翌朝は仕事の前にいつも古墳の丘を訪れてみることにしたのです。

そして翌朝!!
その古墳の丘に足を踏み入ると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!



















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秋の風情を求めて [仕事の合間に]

出張に明け暮れたここのところの10日間。

今回はこの季節、甲信地方への旅ということもあり、仕事とは言え秋の風情を満喫できるのではと楽しみにして出発したのですが。

その初日、家を出て早々に出会ってしまったのが早朝の大渋滞。
この時間、いつもならこんなになることはないのにと周囲を見回してみると、

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前も後ろも自衛隊の車両ばかり。
どうやら、演習に向かう自衛隊の隊列に紛れ込んでしまったようです。

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その隊列、先頭の小型装甲車には、なんと、屋根に機関銃座まで備え付けられている。
住宅街で見るその姿は、何とも異様さを感じます。

そして、さらにその翌日に向かった松本でも、

塩尻北インターを出てみると、いつもはガラガラのはずの対向車線、インターに向かってこちらはさらにひどい大渋滞となっていたのです。

その原因は........

こちらも自衛隊車両の隊列。

しかし、こちらの方には、さらに迫力の車両が!!!!




DSCN0409m.JPG


大型装甲車!!

調べてみると、82式指揮通信車という国産の装甲車なのだとか。
こんなのが高速道路を走るの???

と思われるでしょうけど、最高時速は100kmとのこと。
それにしても、高速道路でこんなのに出くわしたら、ちょっとビビッてしまいますよね。


旅の始まりから、えらいものに遭遇してしまった今回の旅、これは吉なのか凶なのか。
果たして秋の風情に出会うことは出来るのか。

ならば、その吉凶を富士山に求めることにして、朝日を浴びる富士を拝める双葉SAに立ち寄ることにしたのです。

そして、その結果は!!








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甲州街道歴史探訪ブラ歩き [仕事の合間に]

2週間近く出張の旅の空の下、そこに、突然襲ってきた夏本番の暑さ。
そうした中、何とかこの長丁場を乗り切ることは出来たものの、その暑さに慣れ切っていない状態での炎天下の外歩きの毎日で、かなり強烈な草臥れモードに嵌まってしまい、おかげで筆をとる気にはなれず、記事の更新もすっかり滞ってしまうことになってしまいました。

そうは言いながら、やっとのことで訪れたお休み、一日ゆっくり休養できたことで体の方も何とか回復、気力も戻ってきたことから、ここで再び筆を執ることにしたいと思います。

さて今回は、この出張の際、仕事の合間に訪れた場所。
成り行き任せに歩きながらも良い思い出となった、そうした場所の話を書き留めておくことにしたいと思います。

まずは出張の前半、訪れたのは茨城県の土浦。
蓮根の№1の産地として知られる茨城県、特にこの土浦は豊かな水を湛えた霞ケ浦を背景に、この蓮根の栽培が盛んな場所で、この季節は蓮の花が咲き始める頃。

道路の両側に広がる蓮根畑に咲き乱れる蓮の花の情景を思い浮かべ出掛けたのですけど、着いてみると、たまに花の姿は見えるもののほとんどの畑に花はなく、本番はまだこれからの様子。

残念な気持ちで、昼休み、今回私の仕事場となった事業所の管理をしているYさんに「蓮の花、ちょっと早かったみたいですね。それにしても土浦という所、蓮根以外にはこれといったものがないですよね。」と話をすると、地元出身のYさんも「そうですね、確かにこれといったものおもいあたりませんねえ。」との返事。

しかし、Yさん、しばらく考えて何か思いついたのか、「そういえば一つ珍しいものがありますよ。」と言ってきたのです。

そこで、私がそれは何かと尋ねると、返ってきたのは想像だにしなかった産品の名前。

なんとそれは

ダチョウの肉料理 [exclamation][exclamation]

さらに、そのことを聞くと、土浦市に隣接する石岡市にある日本最大のダチョウ飼育数を誇る、ダチョウ王国石岡ファームがあるからなのだそうですが、その料理法、刺身から始まってステーキ、ハンバーグなど普通の肉と同じように料理され、その食感は鯨の肉と似たところがあるのだとか。

そし、そのダチョウ、Yさん一押しの奨めは、ダチョウの卵料理。
こちらは、鶏の卵のように手で簡単に割れないため、殻を鋸で切って料理するのだそうですが、卵が手に入ることが珍しくなかなか食べられない珍味ということで、機会あったら是非食べてみなさいとのこと。

ダチョウの卵焼き.jpg

 (大きな黄身の左上にある小さな黄身が鶏の卵の黄身です。)

結局、花より団子となってしまった土浦の旅、今回は機会を得ることは出来ませんでしたが、次回行く時は、きちっと時間を繰り合わせて、ダチョウの肉料理、一度食してみたいものだと思います。




さて、のっけから妙な珍味の話となってしまいましたが、出張の後半戦、次に出掛けることとなったは、毎度お馴染みの山梨県甲府。
今回は、昼までに現地に入れば良いということで、ゆっくりの出立を考えたのですが、この日は夏休み最初の連休初日の7月18日。

ゆっくりの出発では蜿蜒長蛇の大渋滞に嵌まること必定。
やはり渋滞を避けるために早く家を出なければということで、いつもの通り朝5時半に出発。
渋滞を抜ければ、時間はたっぷりある、大月ICあたりで高速を降り、後は一般道を走り、目についた名勝史跡を探し寄り道しながら行こうと、行き当たり場たりの旅に出掛けることにしたのですが。

そして高速道に入ると、やはり案の定、いつもと同じ時間帯なのに車の数はいささか大目、途中10㎞の渋滞に巻き込まれながらも、予定通り大月ICを出て一般道へ。

そこで、時間もあるし、さてどこへ寄り道しようかと考えたところ、ふと思い当たったのが学生時代、バイクで訪れて以来のあの橋のこと。
若き日に見たあの橋、今見るとどんなことが見えて来るのだろうかと思い、車を走らせてみることにしたのです。

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それが、この橋。
こうやって見ると、何の変哲もない木の橋ですけど。
横から見上げると。

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岩盤に構造材(刎ね木;はねぎ)を組み付け、その上に橋の本体をを乗せた力強ささえ感じるその姿が見えて来ます。

橋の名前は、”日本三奇橋”の一つとして知られる”甲斐の猿橋”。

その名の由来は、7世紀に渡来人の志羅呼が猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造ったという伝説から来ているのだとか。

相模川の水面から31mの高さに架けられた現在見ることのできるこの橋は、1984年に架け替え復元されたものなのですが、ご覧通り橋脚はなく、両岸から張出た刎ね木よって支えられた刎橋(はねばし)という形式の橋で、木造では唯一現存する珍しいものだそうなのです。


そして、橋の上から見た川面の様子、

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なかなかの絶景だと思いませんか。
眼下に見える鉄橋は、今や廃線となった単線時代の旧中央線の鉄橋です。

その光景、江戸の昔、五街道の一つ甲州街道の宿場町に架かる橋として、多くの人々が往来し賑わいを見せていたこの橋の上から見ていると、こんな深山幽谷の里にも、この地をを行き交った人々の歴史の息遣いが聞こえてくるような、そんなた気さえして来ます。

訪れた当日は、中央高速道が通行止めとなるほどの豪雨の降った日の翌日で、川の水嵩も一段と増し濁流となって轟々と大きな音を立て橋の下を水が流れていました。

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そうした、荒々しい川の雄叫び、そのおかげで今回は、以前訪れた時には感じられなかった、何度となく襲われただろう自然の猛威にも負けることなく、人々の往来を守り抜いてきた、この橋の崇高な姿を感じ味うことが出来ました。


と猿橋を見終え、車に戻り時刻を見るとまだ朝8時を過ぎたばかり。
1時間もあれば現地に着いてしまうことあり、あてもないままゆっくりと引き続き国道20号線を走って行くことに。

そして、笹子トンネルを出た所で目に入って来た”道の駅甲斐大和”、トンネルを抜ければここは塩山市。
塩山といえば、甲斐武田氏終焉の地、天目山のある所だと思い、なれば、ここに寄ればその場所がわかるかとも思い車を停め案内板を見てみると、大正解!!

甲斐武田氏終焉の地である景徳院まで1.1㎞の距離。

かねてから、一度訪れてみたいと考えていたこの場所、この近さなら寄らぬ手はないと早速車を進めることにしたのです。

そうして、着いたのがこちら。

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景徳院の入口。

景徳院、それは、戦国の世、織田信長の軍勢によって韮崎にあった新府城を追われた武田勝頼が、現在の大月にあった武田氏配下の武将小山田信茂の治める岩殿城へ落ち延びる途中、信茂の裏切りにあい、やむなく天目山に籠るべきその地を目指すも、織田の軍勢に追いつかれ一族・郎党50人と共に自害した場所に建てられた寺。

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この寺は、後に武田信玄を尊崇すること厚く、その事績引き継いだといわれる徳川家康によって、勝頼以下それ殉じた家臣の菩提を弔うために建てられたと言われているのですけど、境内には、武田勝頼の首を洗ったといわれる門前の清流をはじめ、

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勝頼公、北条夫人、嫡男信勝の自害の場と言われる生害石や

武田勝頼公生害石
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北条夫人生害石                                          
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嫡男信勝公生害石
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武田勝頼、夫人 信勝の墓などが残されているのです。

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さて、その境内に足を踏み入れてみると、平地では既に枯れてしまった紫陽花の花が、あたり一面に花を咲かしている様子が見えて来ます。

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そして、創建当時からの唯一の残る県指定有形文化財の建物の山門をくぐり、

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そこから勝頼公の墓へと続く参道にも、まるで亡き武田の人々の無念を慰めるかのように、紫陽花の花が幾重にも重なり咲いていました。

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そして、わずか15歳で散っていった武田信勝の生害石のそばには、

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死してもなお武田の栄光を誇示し続けようとする若武者の心意気を映し出すかのように、大きな百合の花が雄々しく花を咲かせていました。


物哀しさが漂う空間、なれど、どこからか兵どもの時の声が宿る武田菱のエネルギーが流れ溢れているかのような、この咲き乱れる花々の姿はそうしたことを感じさせてくれている、そこには、そんな思いにかられてしまう不思議な空気がありました。

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境内を出、入り口の門前に戻ってくると、そこに薄紅色に咲く可憐な百合が一輪。

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今この地を去ろうとする私を見送ってくれているかのように、ひっそりと咲いる様子が心に深く残りました。



その後の連日の暑さもめげず仕事の方も無事完了、ここでもらった武田菱のエネルギー、それが私を支えくれたのかものしれません。






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2015年!! これまで半年の旅の足跡を振り返ってみると [仕事の合間に]

6月になりましたね。

そこで、2015年も、もう半分が過ぎようとしているのか、年を取るごとに月日が過ぎて行くのが速くなるのは本当だなと、爺くさいことを考えながら、今年になってこれまでの旅を振り返ってみると。

今年は、正月早々出会ったこんな風景。

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そう、以前、本ブログにも記事を掲載しまたが、埼玉県は春日部から見えた関東平野を取り囲む火山の雄姿。(その記事はこちら→http://hmoyaji.blog.so-net.ne.jp/2015-02-08

真冬の快晴の日、その澄みきった空の下、遥か彼方に見えた日光連山。
そして榛名山、浅間山、富士山と、関東平野を囲む火山群を臨んだ絶好の眺望に出会うことが出来たのですが、それが今年の出張先の行く末を暗示したものだったのか、その後、その時に臨んだそれらの山々、これまで富士山、日光連山の他は、まず出張の機会のなかった山々の麓にまでも行く出張の誘いが次から次へと飛び込んで来ることになってしまっていたことに思い当たったのです。

それは、あの時、彼方に臨んだ山々の思し召しだったのか、
その奇妙な符合に不思議な因縁を感じながら、出掛け出会ったそれらの山々、まるで私の訪れを待っていてくれたのかようにどの日も快晴で、どの山もその雄々しく美しい姿を見せ私を迎えてくれていた。

そして私も、一時仕事で来ていることを忘れ、思わずシャッターを切ってしまっていたという思い出。

そこで今回は、そうした山の姿、以前にも記事(http://hmoyaji.blog.so-net.ne.jp/2015-02-15http://hmoyaji.blog.so-net.ne.jp/2015-04-30)でご紹介しましたが、やはり、ビデオ映像として作り残しておきたいと、作ってみたのがこのビデオ。
これを見ながら、忙しく駆け回っていたこの半年間の旅、ここでゆっくりと振り替えってみたいと思います。



それにして、これら山の麓で過ごした日々、一日その場所で山を見ていると、時間とともにその表情も変り、いろいろな顔を見せてくれていた、見飽きることとないその風景、仕事で行きながら最高の贅沢させてもらったという思い、そうした時間を与えてくれたそれらの山々に、心からの感謝の気持ちを伝えたいものだと思います。

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さて、こうした美しい山々の姿、それも最高のいい思い出だったのですけど、今回の旅、それぞれ訪れた場所で出会った花の美しさも印象深いものがありました。

というのも例年は、私の花への関心、梅を見てソメイヨシノ、桃の花を見たあたりで終わってしまっていたのですけど、今年は3月の初めに小田原に行き、偶然にも河津桜に出会ってしまった(http://hmoyaji.blog.so-net.ne.jp/2015-03-07)のがことがきっかけで、それ以降、行く先々でそこで咲く花の様子を注意深く見るようになってしまい、そのおかげで、それまで何度も訪れながらも気付かなかった多くの花々と出会うことがなっていたのです。

そこで、その春に咲く花々の饗宴、その思い出も楽しみたく、花々をモーツァルトのピアノの音に乗せ踊らせた、こんなビデオを作ってみました。



この映像用の写真を選びながら一つ一つ花の姿を見てみると、驚いたのはアップした菜の花の美しさ。
日頃、群生してして咲いているのを見ると、春の訪れを感じさせてくれる暖かさは感じるものの、美しさの点では他の花に劣るように感じていたのですが、これは思いのほかの収穫でした。

そして、映像の最後に出て来たこの花。

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これあやめのようなのですけど.......。

紫や白、黄色があるのは知っていたのですけど、奥に見える花の色。

肌色というか、そして手前にはオレンジ色の花もあります。
こんな色のあやめ?、私も初めて見たのですけど...........。

中央道境川PAでの風景、これにはちょっと驚かされました。

もし、興味がおありなら、来年この場所、一度覗いてみるのもいいのではと思います。



いろいろ、思い出が膨らんだ今年の私の春。

これからは、うっとおしい梅雨到来。
そして蒸し蒸しとした暑い日々がやって来ます。

それに負けぬよう十分体調を整えて、またその季節の風情、捜し歩くことにしたいと思います。








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