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世界にボサノバを羽ばたかせた名曲;Garota de Ipanema [名曲名演の散歩道]

オリンピックも終わり、終ってみれば日本選手団、メダル獲得数は史上最多の41個の大奮闘。
開会早々の体操男子の団体、金メダル、そして前回は金メダル獲得の叶わなかった、そしてメダル獲得組から消えてしまったシンクロなどもメダル取得組に返り咲き、競歩で初のメダルなど随所随所での日本勢の大健闘が見られた大会でした。

一昔前、東京オリンピック、そ子供ながられを見た私にとって、子供心に感じていた日本選手団の間に漂っていた、勝たねばならぬの悲壮感、それと裏腹に、世界の大舞台で堂々と競い合い、自らの力を出し絞り奮闘していた今の世の日本選手たち、今回はその姿を見ながら、その若い力に、まだまだ日本も捨てたもんじゃない、こうした連中が生まれ出ているではないかと、日本の未来に大きな希望を託す事が出来ました。

さて、そのオリンピックの開催地であったブラジル・リオデジャネイロ、オリンピックの大きな波に呑まれ忘れてしまっていたのですが、考えてみればこの地、音楽の世界では、あのAntônio Carlos Jobimを生み、ボサノバが生み育んだ場所。

そこで、今回久々の名曲は、そのブラジルにちなんで、そのブラジルを代表するアーティストAntônio Carlos Jobim(アントニオ・カーロス・ジョビン)の曲から、世界にボサノバを広める起源ともなったあの名曲を取り上げ、その小道を散歩することにしてみました。

ということでまずはそのお題の名曲、その演奏からお聴きいただくことにいたしましょう。



もうお分かりですね。
曲は、あの有名な、JobimとVinícius da Moraesのペンによるボサノバの名曲”、イパネマの娘(原題:Garota de Ipanema、英題:The Girl from Ipanema)ですよね。

この映像はAstrud GilbertoがバックにStan Getzのカルテットを従えて歌っている大変貴重なもの。
興味深いのは、ちっらと登場するヴィブラフォン奏者の映像。


なにあろうこの方!!、現代のヴィブラフォン奏者の大御所となっている、Gary Burtonの駆け出し時代の姿なのです。


さて、普段何気なしに聴いていたこの”イパネマの娘”、このリオ五輪を機に思い当たっていろいろ調べてみると、結構いろいろなエピソードがあって、これがまた面白い。

そうしたことで、今回はそうしたエピソードを交えながら、あの”Yesterday”に次いで多くのカバー・ヴァージョンを生んだと言われるその演奏に触れて行くことにしたいと思います。


その伝説のエピソード、Wikiよれば、まず見えてくるのが、この歌の誕生譚。

所は、当時、この曲の作曲・作詞コンビのジョビンとモライスをはじめ多くのボサノバのアーティストがたむろし酒を飲むことが多かったという、リオデジャネイロのイパネマ海岸近くにあったバー「ヴェローゾ」でのお話。

このバーに、母親のタバコを買いにしばしば訪れていた一人の美少女。

その彼女にをビールを飲みながら注目していたのが、この作曲・作詞家コンビ、実は共に大変なプレイボーイだったそうなのですが、そうしたことから、二人は、その彼女の“腰の揺れ”を日課として眺め、そのセクシー娘からインスピレーションを得、作ってしまったのがこの”イパネマの娘”だというのです。

その少女の名は、エロイーザ(本名:エロイーザ・エネイダ・メネーゼス・パエズ・ピント、Heloísa Eneida Menezes Paes Pinto (のちに結婚改正をしたため、現在は、エロイーザ・ピニェイロ、Heloísa Pinheiroとして知られているのだそうですが。 )。

当時そのバー近所に住んでいたという彼女、この時の年齢は10代後半、170cmの長身でスタイルが良く、界隈では有名な美少女であったというのですが。

と、ここまで聞くと名曲のインスピレーションを生みだした美少女、となるとこれはさぞかしの女性のはず、ジョビンとモライス、二人のスケベおじさんではなくともその御姿、是非とも拝見したくなってしまいまよね。

そこで、その彼女の写真を探してみたところ、それらしき写真が見つかりました。

それがこの写真!!!

エロイーザ・ピニェイロ 1.jpg


なるほど、何とも言えない健康美が漂う溌剌した美しさ、
これなら彼らが歌にしてしたくなっていまうのも至極当然のことと、出来ることなれば彼女のお姿、私も一度、直にお拝見してみたくなりました。

しかし、1945年生まれと(一説には1939年生まれ説もあるのですが)言われている彼女、となれば『イパネマの娘』が作られた1962年には17歳ということになりますが、現在もご健在とのことで、女性の年を詮索するものでではありませんけど,となれば今は??歳。


果して、世界魅了したあの歌のモデルの今のお姿を拝するというのはいかがなものか?????......

とも思ったのですが、Wikiにもあったそのお姿、溌剌さ希薄になったものの、どこか年輪を経た風格気品がある、このお姿これ本当なの??

という訳で、別のお姿も見てみなけばと、もの好きにも、さらに探してみたところ.............


ありました!!!!。

2012年、この曲が生まれて50年時の、お姿.が..........!!!!










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虹を渡った少女が今に残した名曲;Over the Rainbow(虹の彼方に) [名曲名演の散歩道]

今年は曜日の関係で例年より長い連休となった方も多いのではないかと思いますが、松の内(地方によっては15日まで松の内というところもあるようですが。)も明け、仕事も本番。
この長い休みで、いつもの日常を取り戻すのにご苦労された方も多いのではなかったと思います。

そうしたところで、私のブログもここでいよいよ本番、この辺で、いつもの音楽記事にお話しを戻したいと思います。

さて、その今年最初の音楽記事は、名曲名演の散歩道。

昨年は、2月の関東地方を中心に主として太平洋側地域を襲った豪雪に始まり、7月から8月にかけて襲来した台風によってもたらされた西日本における集中豪雨、そして9月の御嶽山爆発、11月長野県北部地震 と、めまぐるしく襲い来る天変地異に翻弄され続けた日本。

そうした昨年に対し今年は、穏やかで,世情も夢を感じさせる年になって欲しいと思うのですが、今回の曲は、そうした願いこめて選んだ曲。

それは、あるミュージカル映画の中で、主人公によって歌われた劇中歌

そのミュージカルとは、

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この写真を見れば、もうお分かりですよね。
1939年に公開された名画、”オズの魔法使原題;(The Wonderful Wizard of Oz)”。
初期のテクニカル・カラーの名作としても知られるこの映画、中でも有名なのがこのJudy Garland扮する映画の中の主人公、竜巻の襲われ魔法の国オズへ運ばれてしまった少女ドロシーが歌った”Over the Rainbow(邦題;虹の彼方に)”。

まずは、劇中そのドロシーが歌う、この歌をお聴きいただき、お話を始めることにしたいと思います。



1930年代より多くのミュージカル作品を手掛け、アメリカ音楽史上名高い作曲家とされるHarold Arlenと、作詞家 Yip Harburgの手によるこの曲、2001年には全米レコード協会等の主催の「20世紀の名曲」の選定投票にて1位に輝いた名曲なのですが、よく調べてみると、この曲が劇中で使われ公開に至るには、かなりの紆余曲折があったのだとか。

それは、お聴きなって分かると思いますが、この曲がカンサス育ちの14歳の田舎娘が歌う歌としては、大人び過ぎているということ。

まず、作曲者のハロルド・アーレンがイップ・ハーバーグに作詞を依頼したところ、それを理由に一旦は断られたものの、その曲を聴いたアメリカを代表する作曲家のジョージ・ガーシュウィンの兄で、当時アメリカ音楽界の重鎮となっていた作詞家のアイラ・ガーシュウィンの説得によってようやく引き受けを承諾、何とかその関門はクリアしたと思いきや、今度は、その後撮影を終えたところで撮影所の幹部から同様のクレームが付き、あわやお蔵入り寸前にまでなったとか、受難連続という状態だったというのです。

その危難に異議を唱えたのが、この映画のプロデューサーのアーサー・フリード。
そのフリートは撮影所幹部にこの曲は外せないことを主張、この彼の働きによって一旦葬りされようとした首は繋がり、ようやく映画のワンシーンとして登場ことなったというのです。

だがお話はこれで終わらない。

主役のジュディー・ガーランド、元は肥満気味の少女だったため、レコード会社よりダイエットのため13歳の時より、覚醒剤を常用するようになり、この映画の撮影時もかなりハイ状態で臨んでいたのだとか。

とまあ、調べれば調べるほどいろいろな曰くが聞こえてくるこの曲ですが、この大人びた雰囲気を持ったこの曲を歌う、この映画撮影時には16.7歳の少女であったはずのガーランドによる歌唱は素晴らしく、そのことが、曲自体の良さもさることながら、後年この歌が多くの人に愛され名曲となっていった大きな礎の一つになったと考えられるようにも思えるのです。


さて、この”虹の彼方”に、その後どんなカバーがあるかと調べてみると、これが凄い。
驚いたことに、次から次へと、その時代を代表するアーティストのヴァージョンが出てくるのです。
その中でも、まず最初に聴くのは、この歌を最初に歌った当時16.7歳だったジュディー・ガーランドと同様、現代の16歳の少女が歌ったその歌唱、手始めにその歌声からこの名曲を聴いて行くことにいたしましょう。







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月に降り立った永遠のスタンダード;Fly Me To The Moon [名曲名演の散歩道]

名曲名演の散歩道、前回は”Bésame mucho”を取り上げ、その演奏のいくつかを聴いて行きましたが、日頃何気なく接しているこれらの名曲、いろいろ調べ聴いてみるとまたいつもと違った味わいを感じられるもの。

ということで、今回もそうした名曲、その来歴を一度立ち止まって調べ、その演奏に接してみることにしたいと思います。

そこで今回の名曲はこちら。
皆さんお馴染みのこの演奏から始めることにいたしましょう。

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曲は、”Fly Me To The Moon”。
この演奏は、ご存じアニメ”新世紀エヴァンゲリオン”のエンディング・テーマですよね。

この曲、この演奏で馴染みとなった方も多いかと思いますが、原曲は1954年に発表された古いスタンダード・ナンバーなのです。

ということで、今回もその来歴を調べてみると。

原の曲は、現在親しまれているボサノバのリズムによるものではなく、3拍子のワルツで歌われていたというのです。
そしておまけに、曲のタイトルも”Fly Me To The Moon”ではなくIn Other Words"(言い換えると)”という素っ気なささえ感じるものっだったのだとか。

3拍子の”Fly Me To The Moon”とは、ちょっと時代がかった感じがしてきますけど、まずは1954年に吹き込まれたKaye Ballardによる原曲から、聴き始めて行くことにいたしましょう。


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淡い恋へのあこがれが生んだ情熱の歌; Bésame mucho [名曲名演の散歩道]

出張続きの毎日。
これだけ変化の激しい日々を過ごしていると、さすがいつも元気な私も休みの日はぐったり。

そんな中、ゆっくりと休息を取りながら、なんとはなしに聴いていた音楽、そこで妙に心を引かれよく聴くようになってしまったのが、幼少の頃、母が好きでおりにつけよく聴かされていたこの曲。



ラテン音楽のグループのTrío los Panchos(トリオ・ロス・パンチョス)による”Bésame mucho”

ということで、久々の名曲名演の散歩道、今回はこの”べサメ・ムーチョ”を取り上げて、その名演奏いくつかを聴いて行くことにしたいと思います。

”べサメ・ムーチョ”、この曲が日本でヒットしたのは、私のかすかな記憶によれば1959年頃、確かトリオ・ロス・パンチョスの来日によって絶頂期を迎えたように思うのですが、哀愁を含んだ熱い情熱を感じさせるそのメロディから、その後、多くのラテン曲が巷で聴かれるようになり、幼いながらにもそれらラテンのメロディに慣れ親しんでしまっていたことが思い出されます。

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そうした思い出のある”べサメ・ムーチョ”、いろいろな演奏家の演奏を聴きながら気付いたのは、長い間親しんできた曲なのに、その曲の事を何も知らない。

そこで、Wikiを開き調べてみると、なんと驚きの事実が。

それは、この曲を作曲したのは、メキシコの16歳の少女だったということ。
というのも、この”べサメ・ムーチョ”という曲のタイトル、訳せば”私にたくさんキスをして”という意味で、そこからその作曲者は恋に手練れたイケメン男性とばかりだと勝手に想像していたからなのです。

そして、さらに驚きはその歌詞の意味。
長くなりますが、ここに引用すると

Bésame, bésame mucho,                
私にキスをして、たくさんキスをして
Como si fuera esta noche la última vez       
今夜が最後かもしれないから
Bésame, bésame mucho,                
私にキスをして、たくさんキスをして
Que tengo miedo perderte, perderte después.
あなたを失うのが怖い、この後あなたを失うのが怖い

Quiero tenerte muy cerca,
あなたを抱きしめたい
Mirarme en tus ojos, verte junto a mí.
あなたの目を見て、私の隣にいるあなたを
Piensa que tal vez mañana
私はたぶん明日あなたと別れ
Yo ya estaré lejos, muy lejos de tí.
とても遠い遠いところへ行かなければならないから

Bésame, bésame mucho,
私にキスをして、たくさんキスをして
Como si fuera esta noche la última vez.
今夜が最後かもしれないから
Bésame, bésame mucho,
私にキスをして、たくさんキスをして
Que tengo miedo perderte, perderte después
あなたを失うのが怖い、この後あなたを失うのが怖い

いかがです、この過激ともいうべき情熱に満ちたこの歌詞、とてもキスの味も知らなかった16歳の少女の手によるものと思えませんよね。

その少女の名は、コンスエロ・ベラスケス(Consuelo Velázquez)。
少女がこの曲を書いたのは1940年のことなのですが、いろいろ辿ってみるとこの曲が世界に知られるようになったのは1950年代半ば以降のことのようなのです。
それは、50年代初頭のジャズの巨人Dizzy Gillespieによって開花したラテンジャズの隆盛、そしてそれに続くラテン・ミュージシャンのアメリカ進出との関係があるようで、この”べサメ・ムーチョ”もこの時期に一挙に世界に広がり、多くのミュージシャンによって演奏されるようになっていたのです。

それではその演奏、まずは皆さんご存知のこんな人達による”べサメ・ムーチョ”から、聴いて行くことにいたしましょう。






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ジャズが育てたミュージカルの名曲 [名曲名演の散歩道]

今回のテーマは、だいぶ久しぶりとなってしまっていた名曲名演の散歩道。
前回書いたのは、いつのことだったかと、思い調べてみると、それはなんと昨年の5/25のこと。
気にはしていたものの、他に書くこともあるしもう少し後にしようと考え後回しをしているうちに、気付いてみれば10か月余りも放置という結果になってしまったのです。
そこで今回のテーマは、名曲名演の散歩道、そろそろ記事をupしなければなということで、筆を進めることにしたいと思います。


今回のお話は、元は有名なミュージカル・ナンバーであって、今やジャズのスタンダード・ナンバーとなってしまったという名曲のお話。

ミュージカルの曲というと、ベースにジャズ的要素がある曲が多く、ジャズの素材として演奏しやすいこともあって、多くのジャズ・アーティストによっていろいろな曲が取り上げ演奏されているのでが、今回選んだ曲は、数多くあるミュージカル曲の中でも、とあるジャズの巨匠がその音楽歴の大きなターニング・ポイントで、この曲を初めて取り上げ、その後、多くのアーティストによって演奏されようになった、ジャズの歴史の上でも重要な意味を持ったもの。

聴けば誰もがアッという有名なこの曲、曲名は後にして、まずはその原曲から聴いて行くことにしてみましょう。



今やミュージカルのバイブルとなった、”サウンド オブ ミュージック”からの1曲、リチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマースタイン2世作詞の”My Favorite Things (邦題:私のお気に入り)”ですね。

ミュージカルの中では、トラップ家に家庭教師としてやって来たマリア、ある晩仕事を終えベットに入ると突然雷鳴と共に激しい雨が降り出し、しばらくすると雷の音に怯えた子供たちがマリア先生の部屋にやって来た場面で歌われたこの曲。

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悲しい時や怖くなった時には、自分のお気に入りのことを思い浮かべなさいと、子供たちに歌い励ますマリア、やがて子供達の顔に笑みが戻ってくる、そんなシーンがこの歌から思い出されます

ひどいいたずらで先生を翻弄していた子供達、これを機に先生と子供達の絆は強くなって行く、そうした物語の展開上重要な場所で歌われたこの曲、そうしたことで映画のこのシーン、ご記憶の方も多いのではないかと思います。


そのサウンド オブ ミュージック、その初演は1959年のブロードウェイ公演のこと。
その後、リバイバル公演を重ね、1965年にはJulie Andrewsの主演で映画化されるに至ります。

現在もミュージカル映画の古典として高い評価を受け続けているこの映画、私もこの映画が日本で封切られて間もない頃に初めて見たのですが、当時は”Edelweiss”や”The Sound of Music”といった楽曲の方に目が行ってしまい、この”My Favorite Things”はシーンは心に残っているものの、音楽の方は、その歌われたタイトルとは裏腹に、長い間、お気に入りとはならなかったのです。

その私が”My Favorite Things”という曲の魅力を知ったのは、映画を見てから数年後、実は冒頭に書いたジャズの巨匠、その彼の演奏を聴き、また違った方向からそのサウンドに触れてからのことだったのです。

ということで、そのジャズ史上重要な演奏、一体どんなものか、早速、聴いていただくことにいたしましょう。

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和洋折衷の調べ事始め [名曲名演の散歩道]

今年の5月連休、今年はゆっくりと休もうと、自分で仕事の予定を連休以後としたことから、ここのところ目の回るような忙しさ。

覚悟はしていたことですけど、忙しい時に限ってまた新たな仕事が入って来てそれに輪をかけるという始末。
会社的には喜ばしいことなのかもしれませんがで、老いた身にはちょっときついという感じ。

おかげで記事をUpするテンポも遅れがちになってしまっていますが、仕事があるというのは張合いもある、ということで今回も気合を入れ直して、筆を進ることにしたいと思います。

さて今回のお話は、名曲名演の散歩道。
ここのところ、音源発掘では日本のプログレシッブ・ロックを取り上げて来たこともあり、今回の名曲も日本の曲を取り上げお話を進めて行くことにしたいと思います。


曲は、日本の西洋音楽黎明期に登場し、今も多くの日本人に親しまれる名曲を残した日本の代表的な作曲家の作品。


と言えば、もうおわかりでしょう。


そう、その作曲家とは瀧廉太郎。

明治末期に登場し、日本に西洋音楽の礎を築いた作曲家、小学校時代の音楽の授業で、この名前を聞いたという思い出をお持ちの方も多いのではないかと思います。

その廉太郎と言えば、思い当たるのは、やはり多くの方が音楽授業で習っただろうこの歌、”荒城の月”を思い出すのではと思います。

そこで今日の散歩道 その行き先は、”荒城の月”。
一見古き哀愁を感じてしまうこの曲、ところが歩いてみると意外なことに、ロックやジャズのアーティストにも取り上げられているのです。


ということで、今日はその”荒城の月”、そうした意外な相性の小道に足を運び入れたいと思います。

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この”荒城の月”が誕生したのは、今から112年前の明治34年(1901年)のこと。

この生い立ちをさらに調べてみると、この曲が作られたのは懸賞があったから??

というのは、西欧化政策をを進めていた当時の日本、音楽の世界でも当初は、唱歌として西欧の曲に翻訳詩をつけて歌っていたのだそうですが、どうもそれはかなり馴染みにくいものであったようで、しだいに日本人の手によるオリジナルの唱歌を望む声が高まっていったのだとか。
そしてその結果行われたのが、この唱歌の懸賞募集で、その懸賞に応募し見事旧制中学校の唱歌として採用されたのが、この廉太郎の”荒城の月”だったという訳なのです。

それにしても日本人の手による西欧音楽の出発点が、懸賞曲だったとは、明治という国の存亡をかけた西欧化に掛ける人々の息遣いが聞こえて来そうな話ではないかと思います。


こうして当初は、無伴奏の歌曲として登場したこの歌、その後、名声が高まるにつれ、廉太郎の作曲したもの他に別ヴァージョン生まれることになるのです。

の発端は、23歳という若さでこの世を去った廉太郎の死の14年後、山田耕作がピアノ・パートをつけるにあたり、原曲のロ短調からニ短調に移調、さらにはメロディまで改変を加えてしまったことに始まります。

そのメロディの改変とは、歌詞の”花の宴”のえの部分、原曲では#がついていたのに、山田版では#をとってしまったこと。

#があるとハンガリー民謡のように聴こえてしまい海外で演奏するには、、この方が日本の歌という印象が強くなるということなのだそうですが、日頃よく知っていると思っていたこの曲も。調べてみれば実にいろいろな遍歴あというもの。

これも、多くの人に愛されてきたこの曲の持つ魅力のせいなのかもしれませんね。


さて、前置きが長くなってしまいましたが、この辺で1曲。
現代のアーティストによる、”荒城の月”、ここでそのいくつかを聴いてみることにしたいと思います。

最初の演奏は、このアーティストが来日の後、NHKでこの、”荒城の月”と瀧廉太郎の生涯にまつわるドキュメント番組が放映されたことがあったのですが、このドキュメントの冒頭に使われた演奏から始めたいと思います。







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Jazz[黒ハート]で聴くBeatles Vocal 編 [名曲名演の散歩道]

今回のお話も、Jazz[黒ハート]で聴くBeatles

実はこのお話、前回で一旦終えるつもりだったのですけど、いつもに比べアクセスが多い、これはさすがBeatles、と感心しつつ、ちょっと悪乗りという感もしたのですが、ならば、おまけにもう一つ行ってみようかということで再びBeatles、続けて筆をとってみることにしてみました。


そこで今回のテーマは、と考えてみれば前回までご紹介した演奏はすべて器楽による演奏ばかり、だけど、Beatlesと言えば歌詞がある、となれば、次はやはり歌ものを取り上げるべきでは。

ということで、今回のJazz[黒ハート]で聴くBeatles は、ジャズ・ヴォ-カル編。

ただ、ヴォーカルと言っても、そこは自分独自のサウンドを重んじるJazzのこと、みな一筋縄ではいかない何かがある。
ビートルズの曲を素材にしながら、自分の個性を込めて高らかに歌い上げ、また違ったビートルズのサウンド世界を生み出しているのです。

今日は、そんなジャズ・ヴォーカルの魅力を、聴き親しんだビートルズの名曲で楽しんでもらえればと思います。

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それでは最初の曲。
ビートルズの曲、ジャズの世界では、1960年代の半ばにはジャズ・ヴォーカリストによって取り上げられ歌われているのですが、中でも有名なのが、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家と言われるこの人の歌唱。

まずは、その曲から始めてみることにいたしましょう。





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Jazz[黒ハート]で聴くBeatles Part;2 [名曲名演の散歩道]

名曲名演の散歩道、Jazzで聴くBeatles 、前回は"Revolver"までの楽曲の中から3曲を選んでお話をいたしましたが、今回はいよいよ”Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”以降の楽曲。

ある意味、現代のポピュラー・ミュージックの元ともなる多くの試みが行われたSGT以降の作品、そのどれもが、サウンド的に多彩かつ複雑で変化に富むものとなって来ていて、一見ジャズには向かないようにも思えるのですが、近年、ビートルズをスタンダードとして育った、若いジャズ・ミュージシャンによるジャズ界の世代交代のせいか、意外な曲がジャズで取り上げられ演奏されるようになって来たように思えます。

そんな訳で、今回は新旧アーティストの演奏を織り交ぜながら、まずは1967年の、ビートルズというバンドの範疇を越えロック史上、然も重要な歴史的名盤と言われている、SGTの楽曲の中から曲を選びお話を始めたいと思います。

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そのSGTの曲が、ジャズの世界で最初にレコーディングされたのは、驚いたことに非常に早く、このアルバムが発表されてからまだ1週間もたたない6月6日,7日のこと。

ギタリストのWes Montgomeryの演奏による”A Day in the Life ”ででした。
(記事はこちら→http://hmoyaji.blog.so-net.ne.jp/2010-09-05

この変化に富んだこの曲をジャズで演奏するのは、かなり至難の業のように思われるのですが、ドン・セベスキーのウエスのダイナミックなギタープレーを浮き彫りにする巧妙なアレンジによって、ビートルズのこの曲にまたジャズのスリリングな一面を付加し、イージーリンスリング・ジャズという新しい分野を開拓したのがこの作品でした。

そこで、最初の曲は、この”A Day in the Life ”から。
ジャズのアーティストではないのですが、著名なギタリストのあの人も、この曲に挑んでいた。
私のお気に入りの”A Day in the Life ”となっている、その演奏からお聴きいただこうと思います。




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Jazzで聴くBeatles Part;1 [名曲名演の散歩道]

名曲名演の散歩道、今日の行先は、Beatlesの小道。

ビートルズが登場した時、まだ腕白少年だった私も、どこかで聴いたShe Love's Youのメロディを覚えてしまい意味もわからないのままに、シー ラブズ イェーイェーイェと歌いながら遊んでいた、思えばそれが私にとっての彼らとの出会いだったのですが。

以来耳にタコができるくらい接してきた彼らの曲、しかし、何度聴いてもその瑞々しさは色褪せることなく、40年以上たった今も多くのアーティストによって演奏され続け、また新しいファンを獲得している。

誰が言ったの定かではないのですが、当時彼らは20世紀のモーツアルトになると評したその言葉が、まさしくその予言通りになった、音楽史上に残したその大きな功績は不変もののように思っています。


さて、そのビートルズの名曲、これまで多くのがカバーがあるのですが、今回は、少し変わったところでジャズのミュージシャンによるビートルズ、その演奏の中からいくつかを選び、そのサウンドの世界を散歩することことにしたいと思います。

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そこで、今回取り上げるビートルズの曲は、となるわけなのですが、ジャズの場合、多くのアーティストによって取り上げられている特定の曲があるわけでもなく、どうも各アーティスト、自分の好みの曲を素材として使い、独自のイマジネーションをもって演奏しているかのようで、その選曲も人によってまちまち。

それは、ビートルズの曲のコード進行がジャズの核である即興演奏をするには、演奏しづらい面があるためのようにも思えるのですが、逆にそのことが演奏者それぞれの曲の解釈の仕方の違いを生み、演奏者の個性が強く現れたサウンドとなっているという点、ジャズならではビートルズを味わえるように思えるのです。

ということで、今回は曲を1曲に絞ることはせず、各アーティストの選んだビートルズ、それぞれ個性的なその演奏を楽しんでもらおうかと思います。



まず最初の演奏は、ビートルズの最初の主演映画『A Hard Day's Night』(邦題;ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)からその主題曲”A Hard Day's Night”から始めることにいたします。



Ramsey Lewis Trioによる演奏。
この方、以前に記事でご紹介しましたが(記事はこちら→http://hmoyaji.blog.so-net.ne.jp/2011-04-29)、60年代半ばに台頭してきたロック、そのビードを巧みに取り入れた名曲”The In Crowd."で、一世を風靡した、ジャズ・ロック、フュージョンの元祖ともいうべきピアニストなのです。

この”A Hard Day's Night”の演奏も、1964年のこの曲のヒットから僅か2年後の1966年のライブ。
観客の大合唱と一体となった、実に楽しい演奏だと思います。
思わず歌詞が口元からこぼれてくる、ビートルズの親しみやすく知らず知らずのうちにその旋律を覚えてしまう、そうした彼らのサウンドの特徴が良くわかる演奏ではないかと思います。

そうそう、この後このPV、他の曲へと演奏が続きますが、3曲目もビートルズの有名な曲が演奏されています。
どんな曲が出てくるか、興味がある方はこの後も続けて聴いてみてください。


なんとも楽しい”A Hard Day's Night”の演奏で始めることにしましたが、続いての曲は。
今度も、ビートルズ主演映画のサントラ盤となったアルバムからの曲。

1965年発表のアルバム『Help!』(邦題;4人はアイドル)から、ビートルズと言えばこの曲という彼らの代表曲。
その曲を、現在日本を代表するジャズ・ミュージシャンのあの人が演奏しています。

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時の流れを越え現代に花開いた名曲 [名曲名演の散歩道]

前回は、400年の時を越え、愛された続けた名曲”Greensleeves”のお話をいたしましたが、今回もその古き時代に生まれ、現代に花開いた名曲のお話。

さて、それはどんな曲か。
おそらくこの曲を聴けば、多くの方が「この曲そんな古い曲だったの。」と思われるかもしれません。
それほどまでに、とあるアーティストの曲として親しまれているその曲、前置きはこの辺にして早速聴いてみることにいたしましょう。



サイモン&ガーファンクルの”Scarborough Fair”、これもまず知らぬ人はいないという名曲中の名曲ですよね。

ダスティン・ホフマン主演の1967年公開の映画『卒業』の挿入歌として使われ、世界中に知られることとなったこの曲、私も少年時代、当時話題を呼んでいたこの映画を見たことが、この曲との最初の出会いだったことが思い出されます。

以来、私もずいぶん長い間サイモン&ガーファンクルのオリジナルとばかり思っていたのですが、実はこの曲、元はイングランドの古い民謡。

その曲の成立は、16世紀ごろまで遡るといわれているのです。

この曲、その題名にある、Scarboroughとは、イングランド北部にある北海沿岸の都市、スカーバラのこと。

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このスカーバラ、中世は交易都市として栄えた都市で、ここでは毎年8月15日には各地から多くの商人が集まり45日間に渡り市が催され、大いな賑わっていた所なのだそうなのです。

そのスカーバラの市が、この曲のタイトル”Scarborough Fair”。


この曲、吟遊詩人の手によって今日まで歌い継がれてきたものと言われているのですが、その形が確立したのは19世紀のこと。
S&Gの歌っている、”Scarborough Fair”もその時代のものベースにしているのだとか。


その19世紀ヴァージョン、そこで歌われている詩の意味は、なかなか分かりにくいものなのですけど、どうやら恋人に捨てれた男が、出来ないことを成し遂げた時、彼女は自分の元に戻って来てくれると、歌っているものようなのです、

詩の中で何度も繰り返し歌われる"parsley, sage, rosemary and thyme"というハーブの名前は、それぞれ温和さ、忍耐、愛、勇気を象徴するもののようで、幾多の困難を乗り越えるための呪文の役割を果たしているようにも聞こえてきます。

そうしたことから、映画『卒業』の中でもこの曲、主人公が彼の元を去って行った恋人、その恋人が結婚することを知り、その式場に彼女を取り戻すべく市場の中を駆け抜けて行くというクライマックス・シーンのバックで使われていたという私の記憶からすると、映画のこのクライマックス場面で、この曲が使われた意味も十分納得できるような気がしてきます。


これはあくまで私流のこの曲の解釈ですが、この曲がこの映画に高い演出効果をもたらし、また曲自体も多くの人の心の中に強く残るものとなったのは、そうしたこの歌の持つ力が、この映画の中で十分に発揮されたからなのだと言えるように思うのです。

今回この歌について調べてみて、あらためてこの曲の持つ意味の奥の深さに気付かされたように思います。


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さて、そうした奥の深さを知ったところでこの名曲、多くのアーティストよるカバーをされていますが、この辺でその多くのカバーの中から、ちょっと面白いなと思った演奏、そのサウンドの小道を散歩することにしてみたいと思います。

そこで最初の演奏は..................。









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