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2016年印象に残った作品 その1 [音源発掘]

なんだかんだ言っているうちに、12月ももう半ば。
今年は、年明けから忙しく動きまわっていたせいか、それを実感できず、今もってそのことが信じられないでいた次第。

ところが、それまでの働きすぎが祟ったのか、常々溜まり続けた疲労が爆発して、ついにダウン。
そこで、数日間ゆっくりと何もせず休息をしながら周囲の様子をよく見てみると、空気はまさに師走。
そんなことで、時の流れを知るなどとは、全くもってショウモナイ話なのですが、まもなく2016年が終わろうとしているのは事実。

そうなれば、今年も当ブログ、やはり1年間聴いてきた音楽、その印象を決算しなければということで、今回は、毎年恒例となっている”印象に残った作品”、またそのいくつかを取り上げお話を進めて行こうと思います。

さて、その第1回は、クラシック作品から。
今年、私にとって大きな衝撃だったのは、野ものとも山のものともからなかったシンセサイザーという装置を世界に先駆け取り入れ、楽器としての生命を与えつ新たな音楽世界を切り拓いた、日本を代表する音楽家である富田勲さんの逝去。

その第1作目の”月の光 Clair De Lune”発表以来、彼の音楽に接して来た私は、近年は、源氏物語や宮沢賢治の文学作品を題材にしたその音空間に惹かれつつ、命尽きるまで探究の手を緩めることのないであろう富田さんの生みだす次なる音世界を楽しみして来たのですけど........!!

その期待通り、その彼が次なるステップに進み、その完成を間近に控えたこの出来事。
それは、その日も富田初のバレエを組み込んだその曲の発表打ち合わせ途上だったという、突然の彼の死。

「曲を完成させたすぐ後は、こんなキツイこともうしたくないと思うのだけど、またしばらくしたらまた始めてしまうのでしょうね。」 

これは、前作、バーチャル・シンガー初音ミクとオーケストラとの共演で話題となった”イーハトーヴ交響曲”を発表した直後、富田さんの語っていた言葉ですが、その言葉通り再び創作の世界に返り咲き、日々精力的に活動をしていた富田さん。

その終焉は、そうした言葉を語った、かにも富田さんらしい最後だと思いつつ、私は、彼の音楽、その聴き軌跡をたどり聴いているうちに思い当たったのが、90年代に彼の手掛けた作品”源氏物語幻想交響絵巻”のクラシック・オーケストラの演奏の中に和楽器を取り混ぜ、日本的な雅の世界を創出した絶妙なアレンジ術。

日本の伝統的音楽を完全に自家薬籠のものとした彼のこと、もしかすると、和楽器をフューチャーしたシンセザーとの共演作品があるのではと、探し見つけたのがこの作品。

藤原道山 x 冨田勲 響 -kyo-.jpg


日本の代表的尺八奏者、藤原道山とのコラボによる作品、”響 -kyo-”。

藤原道山と言えば、尺八をもってジャズにチャンレンジし、ピアニストの菊池雅章、ベーシストのGary Peacock等との共演よって、日本の伝統とジャズのインプロビゼーションの世界を見事に融合させた名盤”銀界(http://hmoyaji.blog.so-net.ne.jp/2009-04-15)”を生み出した、人間国宝 故 山本邦山のお弟子さん。

これはかなり期待が出来そうと、さそっく手に入れ聴いてみることにしたのがこの作品なのです。

さてそのサウンド、一体どんなをものなのか????
まずは、一聴いたしましょう。





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秋の空気に映えるピアノの音;kenny Drew・Impressions,Expressions [音源発掘]

10月になりましたね。

今年の秋到来は、雨降り続きで鬱陶しい日が続く毎日で、心の内まで曇りがちにとなってしまっている方も多いのではと思いますが、そうはいえ、夜になるとどこからともなく聞こえてくる虫の音にホット一息、そこに確かな秋の訪れを感じられるようになった今日この頃。

その秋という季節、”芸術の秋”とは昔の人はよく言ったもので、何故か日常当たり前のように聴いている音楽も、一際その冴えが耳の中に響き渡り、その風味が増して聴こえてくるもの。

私もこの秋はログ友さんの影響か、ここのところ尺八の音が妙に恋しくなってしまい、この季節の風の上を静かに飛翔する藤原道山の尺八の演奏を聴きながら、日本の秋の詩情を体全体に感じ味わう機会が多くなっているのですが、それに加えてよく聴いているのが、今回ご紹介する秋の旅情を掻き立てる、この2作品。

kenny drew・impressions.jpg


kenny Drewの欧州3部作と言われる作品の中の、1988年制作の第1作目の作品、”impressions(邦題;パリ北駅着、印象)”と

kenny drew・Expressions.jpg


1990年制作の第3作目の作品、”Expressions(邦題;旅の終わりに)”。


旅の空の下、淡い哀愁の漂う女性の姿が印象的なジャケットを持つこれらの作品、共に今年7月に亡くなった日本人名ジャズ・プロデュサーの木全信氏の手によるもの。

このkenny DrewをはじめArt Blakey、Benny Golson、Chet Baker、European Jazz Trioなど、日本では最新の演奏を紹介されることの少なかった数々の名演奏家の現在を、「寛げるジャズ」「気楽に触れ合えるジャズ」そのうえで「アルバムのどこかに、聴く人の心に触れる緊張感をのこせれば・・・」という心情の下、多くの作品を制作してきた木全氏、中でもkenny Drewの今を捉えた作品群は、当時母国アメリカからヨーロッパに渡り、日本では忘れられかけていたこの名ピアニストの存在を広く世に知らしめ、大きな反響を呼んでいたことが思い出されます。

そして、そうした木全氏プロデュースのDrew作品の中でも今回選んだこの2作品は、1993年に64歳で亡くなったkenny Drew、その最晩年の演奏を捉えたもので、生涯の相棒となったベース奏者のNiels-Henning Ørsted Pedersen との互いにすべてを知りつくした二人の円熟の境地が生む緊密なサウンドが堪能できる、Drewの晩年の傑作と言われているものなのです。


それでは、円熟の境地が綴る、秋の空気をより一層引き立てるその音楽、前口上はこのくらいにして、この辺で1曲、お聴きいただくことにいたしましょう。










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フリー・ジャズの旗手からバラードの達人へ;Pharoah Sanders・Welcome To Love [音源発掘]

長期の天気予報では、猛暑の日が続くと言われた今年の夏、その始めは暑い日としのぎやすい日が入り混じってやって来るという気候変化の激しい日々が続いたと思ったら、8月に入り突然様変わりの猛暑の日々の襲来。

前半の寒暖差の激しい日々で一時体調を崩してしまった私、何とか回復したものの今度はこの暑さ、病み上がりの老体の身には少々堪えている昨今なのですが.....。

とか何とか言っても、まだまだ家でじっと養生できるような隠居の身分でもない私。

そこで、朝はこの日の活力の源注入のため、メタルを聴きながら出勤、仕事を終えた退社の時刻には、一日の心と体の疲れ癒すため、潤いのあるジャズに浸りながら帰路に着くことが日課にしているのですが、その中で身に心に大きな癒しを貰っているのが、この作品。

welcome to love pharoah.jpg


テナー・サックス奏者 Pharoah Sandersの1990年の作品”Welcome To Love”。

全曲バラード曲で構成されたこの作品、その1曲1曲がピュアでナチュラル感に溢れていることから、心を現実の世界から癒しの世界に導き浄化してくれるように思え、最近よく聴いているもの、ということで今回はこの”Welcome To Love”を取り上げご紹介することにしたいと思います。

しかし、演奏者のPharoah Sandersというアーティスト、名盤紹介書などで取り扱われてことも稀であり、CDショップを訪れても、彼の作品に出会うことは極めて稀であるため、この名前に馴染みがないという方も多いのではと思います。

そのPharoah Sanders、1965年フリー・ジャズの道を歩み始めた、巨匠 John Coltraneのコンボに参加、Coltraneの存命中は、Coltraneが父でSandersがその子供と称され、そして1967年彼の死後は、その後継者として注目されたほどのアーティストなのです。

しかしながらその存在、70年代になってフリー・ジャズが衰退、新しいジャズのスタイルとしてフュージョンが台頭してくると、彼の名をマスコミで目にすることは少なくなり、そこに1965年までColtraneのカルテットのピアニストとして在籍したMcCoy Tynerが”Sahara”をはじめとした意欲的な作品を発表すると、後継者としての座までもが彼の元からMcCoyの元へと、その評価が移ってしまったことで、その影までもが薄くなってしまったようなのです。

そして、それと同時に、レコード・ショップにて彼の作品を見ることも稀となってしまったのですが、事実、当時私も、友人に聴かせてもらった彼の1969年の代表作”Karma”を購入しようと、今のようにネット通販のない時代、レコード店を一つ一つ歩き回り探したのですけど、とうとう見つけることが出来ず、やっとのことで見つけことが出来たのは、それから15年後のことだったという体験があります。

もっともこの”Karma”を探した原因、それは、Pharoahを聴きたかったわけでなく、当時SANTANAに参加していたLeon Thomasのヴォーカルを気に入りそれを聴きたかったためであり、Pharoahのサックスについては、ボソボソと鳴るか、ただひたすら咆哮するばかりで、なんやら得体も知れない味気の片鱗もないものようにしか思えず、その時は、全く評価してはいなかったのです。


ところが、それから5年後のこと、とある日に雑誌のレビューで知った”Welcome To Love”というこの作品、収録曲を見ればバラード曲が並び、その評価の方もかなり高い由。

Pharoahとほぼ同時期に登場し、Coltraneの影響をダイレクトに受けたフリー・ジャズの演奏で、名を馳せていた同じくテナー・サックス奏者のArchie Sheppの70年代後半ステージを見たことのあった私は、Sheppがフリーから転じ、スピリチュアルなスタイルへと変化、その演奏に好感を持っていたことから、さらにSheppより以上にColtraneと身近な場所で共に過ごし、かつ啓蒙を受けたPharoahのこと、もしかすると、Shepp以上の良質な変化を遂げているかもしれないと考え、早速この作品を手に入れ聴くことにしたのです。

果たしてその結果は、
それではその演奏、この辺で、皆さんにもお聴きいただくことにいたしましょう。









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和製ポップスのパイオニア 逝く [音源発掘]

最近続く、私の幼少期から少年時代にかけて、その音楽嗜好に大きな影響を与えた日本のテレビ放送草創期、その時代に登場し活躍した人々の相次ぐ訃報。

5月には、世界の富田こと富田勲さんが亡くなり、私も記事に書いたばかりだというのに、今度は永六輔さん、大橋巨泉さんと...........[右斜め下]
自分がそれなりの年齢となったのだから、それが世の常だとは思いながら、これだけ続くと少しばかり気が滅入ってくるのも事実。

と書くと、永六輔さんは作詞家、大橋巨泉さんは司会者として活躍した人で、あなたの音楽嗜好とどう関係があるのといわれそうですけど..........。

その影響の一つは、”上を向いて歩こう”や”こんにちは赤ちゃん”、”遠くへ行きたい”の作詞者として有名な永六輔さん、この六輔さんと当時コンビを組み、これら曲の作曲をしたのは中村八大さんという元ジャズ・ピアニストの方なのですが、ある日、なんの番組だったか覚えていないですけど、TVで八大さんが”こんにちは赤ちゃん”をピアノで演奏しているを見たことから、ジャズのピアノが気に入ってしまったこと、そのことが後に私がジャズに親しむようになった大元のように思われることがあるのです。

そして大橋巨泉さん、この方はそもそもジャズ評論家だった方で、私も、この人の話の影響でElla FitzgeraldやSarah Vaughanなどのジャズ女性ヴォーカリストの存在を知り聴くようになったのですが、それより以前の
1960年代中頃、TVにて大橋巨泉さんの総合司会で放映されていた、洋楽ポップスのヒット・チャートを紹介していた番組、”ビート・ポップス”が、それまで音楽にさほど興味なかった私に、多くの海外のアーティストとの触れ合いの場を提供し、洋楽の世界に興味を持つきっかけを与えたくれたということがあるのです。

その”ビート・ポップス”という番組、それは今でいう、”ベスト・ヒット・USA”のようなものなのですが、この番組で私は、The Beatlesは基よりThe Rolling Stones、Jimi Hendrix、Creamといった、現在もその偉業を称賛され続けるアーティストに出会うことが出来、六輔さんの活動も合わせ、そのお二人が、私のその後の音楽嗜好の形成に大きなく影響を及ぼしたと思えるのです。




そして、もう一人、永六輔さんの訃報と同じ日に報じられたこの人の訃報。

伊藤エミとユミ 双子の姉妹による女性デュエットのザ・ピーナッツ 。

ザ ピーナツ.jpg


そのピーナッツ姉妹の妹さんの方の伊藤ユミさんの訃報。
お姉さんのエミさんは4年前に71歳で既に亡くなっているのですが、このユミさんが逝ってしまったことで、TV画面越しにも、何か混沌した流れの中で、満ち溢れる熱い思いが見えた時代のスターが消えていった、既に時代の流れは大きく変わってしまったのだと、そのことを深く痛感してしまうのです。

そして、あらためて考えさせられてしまったのは、日本における和製ポップスの源を育んで行った彼女らの功績の大きさ、そこで今回は、そのピーナッツの歌を中心に、私が子供の頃に接した日本のポップ・ミュージック草創期を旅旅してみたいと思います。










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ドラム・ロールの音も高らかに;Live at Sweet Basil: Art Blakey and the Jazz Messengers [音源発掘]

さて、今回の記事は再びいつもに戻って、音楽のお話。

前回の記事でも最後のところで、元気が戻って来たところで、ここのところパワーをもらっているシンフォニッック・メタルのサウンドで締めくくりましたが、今回取り上げたのは、メタルでもらったパワーを年相応の乗りにして開花させてくれているジャズ作品。

それが、この音楽!!



曲は、今やジャズのスタンダード・ナンバーとなってしまった名曲、Art Blakey & The Jazz Messengersの”Moanin'”。

この曲発表前のBlakey、元々黒人たちが生み出した20世紀の音楽ジャズ、ところが、1950年代初めには、ウェスト・コートの白人たちの手によるクール・ジャズにその主導権をとられてしまっていたのを、1954年にHorace SilverやClifford Brownと共に旗揚げをして、イースト・コート・ジャズの幕開けを切り開き一躍、世の脚光を浴びるのですが、その後、盟友 Silverと袂を分かってしまたっことから、Silverは着実にその人気を伸ばしていったのに対し、Blakeyは鳴かず飛ばず状態に陥ってしまっていたのです。


そうした中、彼が再起をかけ、新メンバーで立ち上げたThe Jazz Messengersで演奏収録したのがこの曲。

当時世に出るや、ジャズの枠を超えた空前のヒット曲となり、日本では蕎麦屋の出前までもが、出前のそばを肩に乗せて自転車に乗り、口笛でこの曲を歌い走っていたというくらいの現象が起きるほどになっていたのだとか。

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と言っても 今の方には、自転車に乗った蕎麦屋の出前と言われてもピーンとこない方が多いと思いましたので、その姿を見ていただこうと探したのがこの写真。

どうです!! まさに職人芸の世界ですよね。
このスタイルで、”Moanin'”のメロディを口笛で吹きながら走るなんて、実に粋だと思いませんか。

しかし、今これをやったなら、自転車危険運転と見なされで警察屋さんに捕まってしまうのでしょうけど。
なんとも、せちがらい世の中になってしまったものです。


話は横にそれてしまったようですけど、再び”Moanin'”!!......

そうしたジャズにしては空前の大ヒットとなったこの曲、それによってBlakeyは、当時のジャズ・シーンにおいてファンキー・ジャズのパイオニアとして再び大きな脚光を浴びるきっかけを掴むことになり、彼のThe Jazz Messengersは、その後のジャズの歴史に大きな足跡を残して行くことになったです。


さて、この”Moanin'”、初お目見えはあの名盤の誉れ高い、Blue Note 盤の同名タイトル盤の演奏なのですけど、今、ここでご聴いていただいた ”Moanin'”は、また別格の曰れのあるもの。

聴いてお分かりだと思いますが、音楽と共にその音楽に酔いしれ騒ぐ聴衆の声も聞こえてくることでお分かりだと思いますが、ライブ録音であるこの演奏、1958年、フランスはパリの Club Saint-German での様子を捉えたもので、実はこの演奏に限ってのみ、曲のタイトルは”Moanin' With Hazel ”とクレジットされている演奏なのです。


となると、追加されたWith Hazel というは、一体何なのか?
それは、女流ピアニストでシンガーのHazel Scott のこと。

と知ると、Withとあるので、ここに彼女がピアニストして参加共演しているのでは、と思われるかもしれませんが、そうではなく、彼女は単なる観客としてここに居合わせていただけ、それがどうして、”With Hazel”と冠されることになったのかと、次々疑問が湧いてくるのではないかと思います。

そこで、この演奏をよく聴いていただくと、演奏のバックからテンション高く叫び声を上げている女性の声が聞こえてくるのが分かるかと思います。

実は、この声の主が、Hazel Scott 。

音楽に陶酔し客席から奇声を上げ続けるHazel 、バンドの演奏の方も、その熱波を浴びてますます燃え上がり過熱して行く様子が聴き取れます。
そしてそのHazel、最後には興奮の頂点にまで上り詰め、感極まって”Oh Lord have merry!"(おお、主よあわれみを!)と叫び声を上げるのですが、その様子がこの録音に見事にキャッチされ、そこからこのWith Hazel のタイトルがつくことになったのだとか。
それにしても、この曲の作曲者Bobby Timmonsのピアノは圧巻。 

まさしくジャズの醍醐味を堪能させてくれる極めつけの”Moanin'”。
バンドの演奏の熱気が観客に伝わり、その乗りの陶酔感が、さらにバンドを刺激し予期不能のサウンドを呼びよせている。

この演奏で、またジャズの面白さ少しでも知っていいただけたらと思います。


さて、ここまで書いて、今回取り上げる作品はというと.................#%%

長々と、 Club Saint-German の”Moanin'”のことを書いたので、そのライブの模様を収めた”Art Blakey: At Club Saint-German”とくるのではと思われるかもしれませんが、あにはからんや。

今回取り上げるのは、この作品。

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1985年3月24日 ニューヨークにあるジャズ・クラブ”Sweet Basil”でのライブを収めた”Live at Sweet Basil: Art Blakey and the Jazz Messengers” 。

私自身、Jazz Messengersは60年代初頭まで全盛期だ思い、長い間その後の彼らの演奏を聴こうとしなかったのですが、80年代に入り出現した私のお気に入りとなったアーティストの多くが、Jazz Messengers出身者であったことを知り、聴いたのがこの作品。

最近、また聴き直してみたところ、50年代60年代のサウンドとはまた異なったフレッシュさを感じさせてくれるこの作品に惚れ直し、ここで取り上げることにしたのです。

と言うところで、Blakey以外は、すべて新しい顔ぶれによるJazz Messengersの演奏で、名曲”Moanin'”、
まずはその聴き比べから始めることにいたしましょう。





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巨人への道をまっしぐら!!:John Coltrane・Soul Trane [音源発掘]

なにかと、鬱陶しさが気になる今日この頃、先月、急な発病で小学生以来の入院となってしまった私、病状はたいしたこともなく5日間の病院暮らしで済み、病変は取り除き、容態は回復したものの、短いとはいえ病院のベット暮らしで体力の方がかなり落ちてしまったよう.
これまでのように動くとすぐ疲れてしまう状態がしばらく続いていたのですが、先日、退院2週間後の検診受けたところ、病状はほぼ回復のこと。

しかしながら、これからの季節は、何と言っても体力が勝負。

完治宣言を受けたとは言え、まだ体力が完全に戻っていないことから、しばらくはあせえらずじっくり腰を据え体力作りに励まねばと考えたところで、今回の記事で取り上げるアーティストは.........!!

50年代半ばに音楽シーンの表舞台に登場し、67年に亡くなるまでの僅か12年間の間に、新時代のジャズを築き上げ、多くのアーティストを魅了し追随さししめたこの偉大なるミュージシャン。

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そう、今やジャズを語るに欠かすことできないジャズ世界の大巨人、今回は、そのサックス・プレヤーであるJohn Coltraneの作品を取り上げようと思います。

そこで、選んだ作品は........、

普通Coltraneというと、60年代 Impulseレーベルに残されたモード・ジャズの世界創造に邁進した頃の諸作品が話題になることが多いのですが、今回取り上げたのは、それ以前、斬新な奏法を模索しながらも、まだ50年代バップの衣装を身に着けたPrestigeレーベルのColtrane。

1958年制作の”Soul Trane"を選ぶことにしました。

soultrane john coltrane.jpg


さて、この作品を選んだのは、1940年代半ばより活動をするも、全く無名の存在だったColtraneが、1955年、Sonny Rollinsの後釜として抜擢、Miles Davis Quintetへの参加によって、彼の名は知られるようになった一方、当時の彼の力量は、Rollinsに到底及ばないものだったことから、「あんな、テナー奏者、早く辞めさせろ!!」との罵声を浴びながらも研鑽を積み、MilesがGil Evansとの活動のため、このQuintetの解散をする直前までには、見違えるほどの成長を遂げ次世代を担うアーティストとしての片鱗を覗かしていた。

そして、さらにはその翌年の1957年、Thelonious MonkのSeptetに参加、そこで、Monkの指導により、その後の彼のスタイル、歩み決定づける、楽器の奏法や音楽に対する、多くの啓示をここで得ることになった、そうした後の世に偉大なる足跡を残したア-ティストの黎明期の息吹を聴きたいと思ったからなのです。

偉大なる二人のアーティストから多くの教示受け迎えた翌1958年 ソロとして活動を始めたColtraneは、、かってのMiles Quintetでの盟友でピアニストのRed Garlandの斡旋でPrestigeレコードと契約、リーダー作品の制作を開始することになるのですけど、ここ挙げたこの作品もそうした巨匠の黎明期の息吹が感じられる1枚。

凡庸なアーティストでしかなかったColtraneが、Miles、Monkという偉大なるジャズの両巨頭から、極めて実践的かつ厳しい教示を受け、自らも研鑽を積み重ね彼独自のスタイルと音楽手法を築き上げていった、そうした意味で、このPrestigeレーベルからのリーダー諸作品は、Davis、Monk、二人の巨頭の手によって見出された天賦の才を、留まることない努力の継続よって開花させつつ、自らの始発点を築き、バップ・ジャズの様式の中に次の時代のサウンドを暗示を提示したようにも考えられ、その作品群にあって、中でもこの”Soul Trane"は、興味深い作品の一つだと思うのです。



と前置きが長くなりましたが、偉大なる巨人の音楽探究の出発点で生まれたサウンド、、この辺で一曲聴いてみることにいたしましょう。





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日本の叡智が切り拓いたシンセサイザーの未来 [音源発掘]

今回の記事は、まずこの音楽から..........!!



ご存じですよね、NHKの長寿番組”きょうの料理”のテーマ曲。

いきなり、”シンセサイザーの未来”というタイトルなのに、のっけに何でこの曲が登場したのかと思われるかもしれませんが、ちょと画面の右上を見てください。


”富田勲”とあるでしょ。


そう、この曲、先日亡くなった世界の富田で名高い、作曲家 富田勲さんの録音処女作となった楽曲なのです。


その作曲のいきさつ、2013年に富田さんが出演したラジオ番組のインタビューよれば、

それは今を遡ること60年ほど前の1957年こと。
明日から、番組収録開始という日の前日、NHKのこわい部長さんの「テーマ曲を入れろ!!」という鶴の一声から、急遽、作曲家を探したところ、たまたまNHKの建物の一室に居た富田勲氏に声がかかり、当時内幸町にあったNHK放送局の屋上のプレハブ小屋で一気に書き上げたのが、この曲だったのだというのです。

そして、さらに面白いのが今やマリンバの定番曲となっているこの曲にその楽器が使われた経緯、作曲家が見つかったところで、曲よりも先に、とにかく明日の収録までには音源を確保しなければならないということで、館内を探し回ったところ、これもまた、たまたま居たのがマリンバ奏者だったからなのだとか。

まな板の上で食材を切る音を模したパーカションにはウッド・ブロックを使用、これも当時まだ貧しかった日本、食材どれもが皆堅かったことから思いついたものなのだとか、しかし、これが料理番組のテーマ曲として絶妙の効果を上げているのです。
なにはともあれ、60年の長きに渡り日本国中で愛聴され、料理番組といえばこの曲のメロディが脳裏をよぎる、その親しみ深い曲が、こんなドタバタ騒ぎの中で出来たとは実に驚きです。



そうした逸話が残る富田勲、ご存じのとおり世界的なシンセサイザー・ミュージック・クリエターとして知られているアーティストですが、その始まりは1974年に発表したフランスの印象派の作曲家ドビュッシーのピアノ曲を素材にした作品の”月の光”。
私も発表直後、友人に紹介されこの作品を聴いたのですが、その頃、シンセサイザーと言えば、海のものか山のものかもわからず、ジャズ・ピアニストのCarla Bleyやロックの分野ではEK&PのKeith Emersonあたりが、新たな音源として使用し始めたばかりの時代。

ところが、富田は、元々水彩画的な視覚要素が強かったこのピアノ曲を、この頃やっとハーモニーを発することが出来るようになったばかりのシンセサイザーを使い演奏することで、さらに立体的臨場感と体感的質感を付加さししめ、異次元のサウンドに仕立て変えていた、そのことにいたく驚かされたものでした。

事実、当時のその衝撃は私ばかりではなく、その年に日本人として初めてグラミー賞にノミネートされたことでもわかるように世界を驚かすほどのもので、それまで国内では、NHK大河ドラマ、ジャングル大帝、リボンの騎士等のテーマ曲の作曲家として知られていた富田を一挙に世界の富田へとその頂点に登りつめさせてしまったのでした。

そしてその後は、その期待の波に乗りムソルグスキーのピアノ曲の”展覧会の絵”や、ストラヴィンスキーのバレエ組曲”火の鳥”、ホルストの組曲”惑星”などを題材にしたシンセサイザー作品を次々と発表、着実にシンセサイザー音楽のパイオニアとしての地位を固めて行くことになるのですが、今回取り上げる作品は、それらの作品の一つの集大成とも思えるライブ作品。

1984年、オーストリア都市リンツを走るドナウ河の壮大な水面を舞台にした演奏を収めた”MIND OF THE UNIVERSE"を取り上げようと思います。

Mind Of The Universe.jpg


そのスケールの大きさ、それは川幅300mもあるドナウ河の両岸四方にPAが仕掛けられ、その中央の川面にはそれぞれのパートのソリストが登場し演奏、さらにその空中には円盤までもが登場し立体的音空間を生み出していた、三次元空間をフルに活用した前人未到空前絶後の大舞台。

私は、この演奏を当時、TVで視聴し、そのスケールの大きさと精緻に組み立てられた演奏プログラムで綴られた富田の世界、その進歩に再び驚かされたたのですが、その当時の映像がありましたので、この辺で、その空前絶後の演奏会の模様、まずはご覧いただきたいと思います。











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スーパー・スターへの扉を開け!!;Elton John・僕の歌は君の歌 [音源発掘]

ここのところ選び来ている作品、これまでの記事を見ていただければお分かりかと思いますが、かなり古い作品ばかり。
今年1~3月は、仕事の方は昨年年末にかけてかなりハッスルしてあらかた片づけてしまったことから、ゆとりのある日常に戻れるはずだったのですが、いざ蓋を開けてみるとあにはからんや。
突然、そこに襲い舞い込んで来た仕事の嵐の波。

手に入れた新作、そのサウンドをゆっくりと味わおうかと思っていた矢先の不意打ち、心のゆとりもなくなり、音楽に集中することも出来なくなってしまっって。

そこで、気楽に接することが出来る音楽をということで、若い時に聴き親しんでいた作品を聴いてみることにしたのですが、久しぶり耳にしてみると、リラックスした雰囲気に浸りながら活力が湧いてくるような気分が得られ、時にはこれまで気付かなかった隠し味をみつけたりと、そんなことからその試みにすっかり嵌まってしまったのです

そのこと、今年に入ってからの記事を見ていただいてもお分かりかと思いますが、今回もその若い時に聴いた作品からの1枚、60年代の終わり登場し、瞬く間にスーパースターの地位に上り詰めてしまった、このアーティストのこの作品のお話をしたいと思います。
そして選んだのが、

Elton John (album).jpg


Elton John 、スーパー・スターへの飛躍の原点ともいうべき2作目の作品、1970年発表の”Elton John (邦題;僕の歌は君の歌)”です。

日本では、英国でのリリース8か月遅れることの1971年にリリースされたこの作品、現代のようにまだ情報が高度化されていなかった時代、Eltonがまだ無名の新人であったことを考えれば、それはいたしかたないことだった思うのですが、その無名の新人を一躍世界に名を知らしめたのが、この作品に収めれていた、今でもElton自身コンサートでは必ず歌うというこの曲。


”Your Song(邦題;.僕の歌は君の歌)”。


この不朽の名曲を歌うEltonの1970年のLive映像を見つけましたので、今回はその映像から初めることにしょうと思います。




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往年の名曲に新たな息吹を・TOTO;Through The Looking Glass [音源発掘]

寒い日が続いたと思えば、突如暖かい日が訪れたり、これは例年より早い季節の変わり目の三寒四温の到来かと思いきや、早、梅の花開花の便り届く今日この頃。

これも暖冬であるという、今年なればこその季節模様ということなのか。

そこで、今回の作品はこの少し早い春の訪れの萌芽に触れて、かなり個性的なジャズ・アーティストの作品を取り上げた前回とは裏腹に、気分爽快なカバー曲集を取り上げ聴いてみることにしてみました。

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それが、これ!!
AORの中心的存在として70年代後半より活躍してきたTOTO、その彼らの2002年発表の11作目となる作品 ”Through The Looking Glass”です。

この作品、彼らの正式作品ではあるものの、面白いのはその曲目。
全曲が60年代から70年代の楽曲のカバー集なのです。

しかし、そこは有能なスタジオ・ミュージシャンとして多くの経験を積んできたTOTOのこと、その選曲は、ロックの楽曲だけに留まらず、レゲエ・ソウル・ジャズなど幅広いジャンルに及んでいて、それらの名曲が、彼らの百戦錬磨の腕前によって、どう料理されているのかに接することが出来るのが、この作品最大の聴きどころ。

とは言っても、「所詮カバー曲集じゃないか、彼らの腕前なら難なくこなして当たり前だ!!」という向きもあろうかと思いますが、そう言わず、何はともあれご一聴あれというところ!!

名曲の味をしっかりと伝えながら自己の個性も発揮している、TOTOならでの面白さがあるのがこの作品。

とうところで、まずは1曲。

1967年にあの伝説のスーパー・グループが世に送り出した、ロックのあの名曲から聴き始めることにいたしましょう。









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2015年印象に残った作品 その3 [音源発掘]

今年も残りわずかと押し迫り、おそらくこれが今年最後の記事。

前回、前々回に引き続き2回に渡り記事をUpして来た”2015年印象に残った作品”、これまでジャズ編、ロック編と書いてきましたが、今回は、その最後に残ったクラシック編。

去年はクラシックから書き始めたのですけど、今回は最後に残してしまった訳、実は、今年このジャンルは、女性ソプラノ歌手中を心に聴いていたこともあり、その中に印象に残る作品があったのですけど、それらの作品、既に記事(その記事はこちら→にしてしまったことから、いざ記事を書こうとしたところ、取り上げる作品が思い浮かばなくなってしまっていたからなのです。

そんなことで、ジャズ・ロックの作品を先行したのですが、それらの記事を書きながら、ふと思い出したのが、今年の初めよく聴いていた、2014年にリリースされたこの作品。




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1966カルテットの”Abbey Road Sonata".
Abbey Road といえば、言わずと知れたBeatlesの大傑作作品、それをクラシックの4楽章にからなる室内楽曲 ソナタにアレンジし演奏したものがこの作品なのです。

元々、完成度の非常に高かったBeatlesの”Abbey Road ”という作品、その完成度の高さ故か、これまでそのほぼ全曲をカバーした作品はなかったように思うのですけど、それをクラシックのソナタ形式に編曲し、カバーするなど一見無謀のようにも思えてくるこの挑戦。

しかし、Beatlesの来日の年をこのカルテットの名前に冠し、デビュー作と4作目の作品ででBeatlesを演奏集を制作し高い評価を得た実績を持つ彼女らのこと、これは一聴に値するのではと手に入れ聴いてみることにしたのです。

そしてその感想は、やはり、これは是非聴いていただきたい。!!

それでは、”Abbey Road ”の”You Never Give Me Your Money”に始まる終盤部分、短い曲をつなぎ合わせながらも、隙なく精緻に組み立てられいた緊張と安らぎの世界、それに対する彼女らの仕上がりはいかなるものか、早速その現場に出掛けてみることにいたしましょう。














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