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世界にボサノバを羽ばたかせた名曲;Garota de Ipanema [名曲名演の散歩道]

オリンピックも終わり、終ってみれば日本選手団、メダル獲得数は史上最多の41個の大奮闘。
開会早々の体操男子の団体、金メダル、そして前回は金メダル獲得の叶わなかった、そしてメダル獲得組から消えてしまったシンクロなどもメダル取得組に返り咲き、競歩で初のメダルなど随所随所での日本勢の大健闘が見られた大会でした。

一昔前、東京オリンピック、そ子供ながられを見た私にとって、子供心に感じていた日本選手団の間に漂っていた、勝たねばならぬの悲壮感、それと裏腹に、世界の大舞台で堂々と競い合い、自らの力を出し絞り奮闘していた今の世の日本選手たち、今回はその姿を見ながら、その若い力に、まだまだ日本も捨てたもんじゃない、こうした連中が生まれ出ているではないかと、日本の未来に大きな希望を託す事が出来ました。

さて、そのオリンピックの開催地であったブラジル・リオデジャネイロ、オリンピックの大きな波に呑まれ忘れてしまっていたのですが、考えてみればこの地、音楽の世界では、あのAntônio Carlos Jobimを生み、ボサノバが生み育んだ場所。

そこで、今回久々の名曲は、そのブラジルにちなんで、そのブラジルを代表するアーティストAntônio Carlos Jobim(アントニオ・カーロス・ジョビン)の曲から、世界にボサノバを広める起源ともなったあの名曲を取り上げ、その小道を散歩することにしてみました。

ということでまずはそのお題の名曲、その演奏からお聴きいただくことにいたしましょう。



もうお分かりですね。
曲は、あの有名な、JobimとVinícius da Moraesのペンによるボサノバの名曲”、イパネマの娘(原題:Garota de Ipanema、英題:The Girl from Ipanema)ですよね。

この映像はAstrud GilbertoがバックにStan Getzのカルテットを従えて歌っている大変貴重なもの。
興味深いのは、ちっらと登場するヴィブラフォン奏者の映像。


なにあろうこの方!!、現代のヴィブラフォン奏者の大御所となっている、Gary Burtonの駆け出し時代の姿なのです。


さて、普段何気なしに聴いていたこの”イパネマの娘”、このリオ五輪を機に思い当たっていろいろ調べてみると、結構いろいろなエピソードがあって、これがまた面白い。

そうしたことで、今回はそうしたエピソードを交えながら、あの”Yesterday”に次いで多くのカバー・ヴァージョンを生んだと言われるその演奏に触れて行くことにしたいと思います。


その伝説のエピソード、Wikiよれば、まず見えてくるのが、この歌の誕生譚。

所は、当時、この曲の作曲・作詞コンビのジョビンとモライスをはじめ多くのボサノバのアーティストがたむろし酒を飲むことが多かったという、リオデジャネイロのイパネマ海岸近くにあったバー「ヴェローゾ」でのお話。

このバーに、母親のタバコを買いにしばしば訪れていた一人の美少女。

その彼女にをビールを飲みながら注目していたのが、この作曲・作詞家コンビ、実は共に大変なプレイボーイだったそうなのですが、そうしたことから、二人は、その彼女の“腰の揺れ”を日課として眺め、そのセクシー娘からインスピレーションを得、作ってしまったのがこの”イパネマの娘”だというのです。

その少女の名は、エロイーザ(本名:エロイーザ・エネイダ・メネーゼス・パエズ・ピント、Heloísa Eneida Menezes Paes Pinto (のちに結婚改正をしたため、現在は、エロイーザ・ピニェイロ、Heloísa Pinheiroとして知られているのだそうですが。 )。

当時そのバー近所に住んでいたという彼女、この時の年齢は10代後半、170cmの長身でスタイルが良く、界隈では有名な美少女であったというのですが。

と、ここまで聞くと名曲のインスピレーションを生みだした美少女、となるとこれはさぞかしの女性のはず、ジョビンとモライス、二人のスケベおじさんではなくともその御姿、是非とも拝見したくなってしまいまよね。

そこで、その彼女の写真を探してみたところ、それらしき写真が見つかりました。

それがこの写真!!!

エロイーザ・ピニェイロ 1.jpg


なるほど、何とも言えない健康美が漂う溌剌した美しさ、
これなら彼らが歌にしてしたくなっていまうのも至極当然のことと、出来ることなれば彼女のお姿、私も一度、直にお拝見してみたくなりました。

しかし、1945年生まれと(一説には1939年生まれ説もあるのですが)言われている彼女、となれば『イパネマの娘』が作られた1962年には17歳ということになりますが、現在もご健在とのことで、女性の年を詮索するものでではありませんけど,となれば今は??歳。


果して、世界魅了したあの歌のモデルの今のお姿を拝するというのはいかがなものか?????......

とも思ったのですが、Wikiにもあったそのお姿、溌剌さ希薄になったものの、どこか年輪を経た風格気品がある、このお姿これ本当なの??

という訳で、別のお姿も見てみなけばと、もの好きにも、さらに探してみたところ.............


ありました!!!!。

2012年、この曲が生まれて50年時の、お姿.が..........!!!!










Garota de Ipanema 2012.jpg
   

なんと、岸壁の母ならぬ、イパネマの母!


年齢を重ねたからとは言え、勝手にババの姿を思い浮かべるものじゃないと、お叱りの声もあるのではないか思いますけど.......

となればもう一枚[揺れるハート]



!cid_image003_jpg@01D1F32C.jpg



お嬢さんのみならずお孫さんの姿までもが!!!!!

母娘2代に渡り、イパネマの娘の美しさを伝承していた。

この曲の成り立ちのエピソードを題材に、この記事の筆を進めようと思っていたも、これには強烈な番狂わせを食らってしまいました。



筆者本人が、驚いてばかりではどうにもありませんが、気を取り直してもう一つのエピソード。
それは、この曲のアメリカ進出、そのレコーディング纏わる出来事から始まります。

そこで、その曰くつきのアメリカ・レコ-ディングの」演奏、まずはそれを聴いたところで2つ目お話、進めることにしたいと思います。



”イパネマ娘”の中でも、もっとも多くの人に知られているのはStan GetzとAstrud Gilbertoの英語版歌詞によるシングル盤の演奏なのですが、その本来の形がこの映像の”イパネマ娘”。

シングル盤は、この演奏の冒頭部にあった、Astrudの当時の夫君であるJoão Gilberto(ジョアン・ジルベルト)がポルトガル語で歌う演奏部分がカットしたものなのですが、このレコーディングにあたって、JoaoとAstrud 夫妻を中心にいくつかのハプニングというべき出来事があったというのです。

その一つ目は、ここで英語版歌詞を歌っているAstrud Gilberto起用。

このこと、かねてより私は、英語の話せない夫のJoão につきあってスタジオに来ていた(夫の通訳としてだったように記憶しているのですが。)Astrudが、たまたまそこで歌っていたところ、そのフィーリングの良さを気に入った当時のVeveレコードプロデュサーだったCreed Taylorが、その場で彼女の起用を決めレコーディングしてしまったと聞いていたのですが、Wikiによればその真相、

実際にはAstrud、全くの素人ではなくブラジルで若干の歌手活動の経験もあったそうで、この起用はAstrudが、 自身を売り込み、Taylorにその歌唱を評価したことから実現したものだったのだとか。

そしてもう一方のJoão はというと、

こちらは、Getzの横柄な態度やボサノヴァへの無理解、Taylorの商業主義優先の仕事の進め方に、憤慨し対立、レコーディングに参加していたAntônio Carlos Jobimことトム・ジョビンが両者の仲裁に奔走する始末となってしまったというのです。

しかし、このCreed Taylorという人、Verve以前はImpulesレコードを立上げ、そこにJohn Coltraneを獲得、この産声を上げた新興レーベルを瞬くまにジャズの名門レーベルとしてしまった、さらにVerveの後は、CTIレコードを創設、フュージョン等、ジャズのファン層の底辺の拡大を図り大きな成功を収めた、ジャズ屈指の辣腕プロデュサー。
そして、もう一方のGetzと言えば、61年に早くギタリストのCharlie Byrdと共にボサノバを取り入れた作品”Jazz Samba”を発表、彼のクールな音色を生かした独自のサンバ・スタイルを創り上げてきたアーティスト。

と思い当りよく考えてみるとそこに見えてくるのは、この録音当時、アメリカにサンバ・ブームが到来したことを察し、ボサノバによって、ジャズの大衆化とそれによるビジネス的成功を目論んだ、この二人を中心とした制作側アメリカ人の二人の思惑。

なれば、彼らが求めたのは、本来ボサノバの持つクールなリラックス感にジャズの洗練された都会的香りを加味したサウンドだったはず。

そう思い、このJoão のヴォーカルが入った演奏を聴いてみると、彼のヴォーカルとGetzの演奏との間にある違和感、純粋な形でボサノバを世界に広めようとするブラジル側と、これを使いアメリカナイズしてヒットを狙うアメリカ側の思惑のぶつかり合い、これがこの騒動の遠因ではないかということに気付かされたのです。



このレコーディングそして、間もなくしてJoaoとAstrud は離婚。その原因、その翌年、Astrud がGetzと再度レコーディングに臨み”Getz Au Go Go”の中で3曲に参加、その歌唱が聴けることから、この時のボサノバに対する考え方の違いが家庭までに及び破局を迎えたのではと思ったのですが..........


ところが、このAstrudとのレコーディングから半年後、Joãoはトム・ジョビンの仲介なしにGetz、Astrudと一緒に"Carnegie Hall",のステージに立っているのです。


一体なにが起きたのかわかりませんが、あの確執のレコーディングから1年、それが大きな成功を収めたことで、あらためてお互いのミュージシャンとしての資質を認め合った結果、この共演の実現となったのかもしれない、そんな風にも思うのです。

そうして、その確執があったればこそ、間違えばただのイージーリスンニングなりがちなボサノバ演奏に、静かな緊張をもたらすことになった、そのことが、この演奏が50年の長きに渡り愛され続けることになった大きな要因なのではと、思うに至ったのでした。


さて、この曲にまつわる逸話、少々長くなってしまいましたが、この辺で”Yesterday”についで多いと言われるこの曲カバー、多すぎてどれをチョイスすべきか迷ったのですけど、まずは、ジャズ・アーティストとしていち早くボサノバの魅力を見抜いてJobimとの親交を重ねつつ、彼の曲をレパートリー取り入れ演奏してきた、この人の”イパネマの娘”から聴き始めることにいたしましょう。



ジャズ・フルートの第一人者 Herbie Mannの演奏です。
おももち早めのテンポで演奏されるMannのイパネマ。
私は、このHerbie Mann、コマーシャル性の側面が強過ぎてどうも好きなれず、これまでほとんど聴くことはなかったのですけど、こうやって聴いてみると、音域の上下を巧みに操り表情豊かなソロを展開している、さすがジャズ・フルートの第一人者だと感じました。
ただ惜しむらくは、他のメンバーサポート陣のソロ、悪くはないのだがMannの熱演に対してちょっと平凡な感じて、イージーリスニング的な状況に陥りかけている点、それが少々残念に思えます。



さて、続いてのイパネマの娘、女性歌手が歌う場合は、英題の”The Girl from Ipanema”の”The Girl ”を”The Boy”に変えて歌っているものがあるのですけど、お次は、この”The Boy from Ipanema”を歌う、この人の個性的な歌唱を聴いてみたいと思います。



オーケストラを従えてのSarah Vaughanによる”イパネマの娘”の歌唱です。

囁くような感じでしっくりとその音世界に心を引き込んでくれる、そうしたイメージのあるボサノバ、その曲を、伸びやか声質と豊かな声量が魅力のSarahがどう歌うのか、興味津々の取り合わせだと思うのですが、さすがSarah、自分の声を楽器の如くコントロールして、Sarah 節一杯の独自の歌唱で歌い上げている。

生で彼女の歌に接したことがあるのですけど、彼女ならでは感じさせる恐ろしいほどの歌唱力、この曲でも見事に発揮されていました。



60年代のカバーを2曲、聴いていただきまいたが、最後は21世紀に入ってイパネマの娘のカバー演奏から。

2008年に発表された、ブラジル出身のジャズ・ピアニストでボーカリストのEliane Eliasの歌声を聴いていただこうと思います。



名ベーシストのEddie Gomezに、そのピアノの才を評価され渡米、Michael Brecker(sax),Mike Mainieri(vib),Steve Gaddni(drums)等、現代を代表するジャズ・アーティストによる幻のフュージョン・グループSteps Aheadのピアニストとして活動を始めたEliane、90年代に入るとJobimの曲の演奏集作品を発表、そこでピアノだけはなく余興的にヴォーカルも披露したことに始まり、近年ではボサノバ・ヴォーカリストとしての名声の方が高くなってしまったようにも思える彼女、この演奏は、彼女にとって、ヴォーカルをフュチャーした2度目のレコーディングなったイパネマ娘の演奏。

1度目は、1998年の作品”Sings Jobim(邦題:海風とジョビンの午後)”で、ここで彼女の自身もピアノ弾きながら、全編ポルトガル語で歌う軽快な演奏でしたが、こちらは得意のピアノは休みにして、英語詞とポルトガル詞を織り交ぜじっくりと歌を聴かせる演奏。

前作に比べ格段のヴォーカル・テクニックが向上していると思うのですが、やはりブラジル人の彼女、さらに完璧なコンディションでこの曲のレコーディングに望みたかったということなのか。

50年前に国境を越え全世界に広がったボサノバ。
21世紀に入り、そのスタイルの普遍性を再提示してくれた、ボサノバの母国ブラジル、その国に生まれた彼女ならでは演奏のように思います。


調べれば調べるほど、思わぬ出来事への出会いの連続なってしまったこの名曲。
私の記事もついつい長くなってしましたけど、そうした名曲だからこそ、50年の長き渡り多くの人に愛され続けている、この記事を書きながらそのことを深く痛感してしまいました。

オリンピック観戦の夜更かしで疲れた体、この辺で、その体に癒しと安らぎを与えてくれるボサノバのリズムを浸りながら、あのオリンピックの興奮をまた反芻してみるのもいいのではないかと思います。





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yuzman1953

中一の頃、ボサノバが好きだという同級生がいました。私の家にはクラシックや映画音楽のレコードしかなかったので、後日、テレビのCMで「イパネマの娘」を初めて聴いたとき、大人の色気を感じました。当時の貴重な映像を見せていただきありがとうございます。
by yuzman1953 (2016-09-01 14:07) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

yuzman1953さん

中一の頃ですか。

私などお恥ずかしいながら、その頃はボサノバと言えばセルジオ・メンデスしか頭になく、このイパネマの娘、曲は知っていたものの、長い間曲と、タイトルが一致してなくてね・・・・。

この曲が”イパネマの娘”と知ったたのは、大学時代、ジャズを聴き始めてStan Getzを知ったことからだったのですけど。

大人の色気、そういえばあの頃、それがわかって気に入ってしまったのか?(多分わかってはいなかったと思うのですけど!)、そのムードに惹かれてAstrud Gilbertoの”いそしぎ”というアルバムを衝動買いしてしまったなんて思い出があります。





by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2016-09-01 20:45) 

きたろう

7月2日習志野文化センター&8月6日大宮ソニックシティでの「杏里さんライブ」に行きました。彼女は、1961年生れですが、容姿、歌声、ダンスすべて若々しかった。(双眼鏡でアップで見ると、円熟度合いが進行しているのは否めないが・・・)
エロイーザさんといい、杏里さんといい、ご本人の努力だけでなく、美魔女遺伝子とでもいうような何かがあるような気がします。
(もっとも、杏里さんは50代ですので、まだまだお若いですが・・・)

※宣伝で申し訳ないですが、拙ブログ「杏里さんのライブ・レポ」を、どうぞご覧ください。
by きたろう (2016-09-10 10:00) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

きたろうさん

昔は、男は40にして惑わずなどと言って、ある程度と年をとった方がよく、女性は30を過ぎたらちょっとね、という感じでしたけど、最近の女性、私が年を取ったせいもあるのか、30歳を越えてから勝負、40歳を越えてますます輝きを増し魅力的になっている人も多いように感じています。

杏里さんも、ご紹介の記事を読ましていただきましたが、若い時よりずっと良くなっている、女性も見た目ではなく知性や経験の年輪が、その美しさを感じさせる、そうした時代になったのだとつくづく思いを巡らすこととました。




by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2016-09-11 08:36) 

きたろう

老年蛇銘多親父さんコメントありがとうございます^-^
オリビヤの前奏で、ヴァイオリンが音程を揺らす奏法で演奏しました(普通ヴァイオリン(クラシック)ではやらない奏法)。なので、二胡のような音色に聞えました。
杏里さんのファンのサイト(FM ANRI)によると、「オリビア」の出だしは、サックスが担当ですが(ライブでは)、今年は、ヴァイオリンが担当したとのことでした。
来年のツアー・ライブにいづみストリングスが出演するかどうかも不明です。
by きたろう (2016-09-27 09:19) 

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