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和製ポップスのパイオニア 逝く [音源発掘]

最近続く、私の幼少期から少年時代にかけて、その音楽嗜好に大きな影響を与えた日本のテレビ放送草創期、その時代に登場し活躍した人々の相次ぐ訃報。

5月には、世界の富田こと富田勲さんが亡くなり、私も記事に書いたばかりだというのに、今度は永六輔さん、大橋巨泉さんと...........[右斜め下]
自分がそれなりの年齢となったのだから、それが世の常だとは思いながら、これだけ続くと少しばかり気が滅入ってくるのも事実。

と書くと、永六輔さんは作詞家、大橋巨泉さんは司会者として活躍した人で、あなたの音楽嗜好とどう関係があるのといわれそうですけど..........。

その影響の一つは、”上を向いて歩こう”や”こんにちは赤ちゃん”、”遠くへ行きたい”の作詞者として有名な永六輔さん、この六輔さんと当時コンビを組み、これら曲の作曲をしたのは中村八大さんという元ジャズ・ピアニストの方なのですが、ある日、なんの番組だったか覚えていないですけど、TVで八大さんが”こんにちは赤ちゃん”をピアノで演奏しているを見たことから、ジャズのピアノが気に入ってしまったこと、そのことが後に私がジャズに親しむようになった大元のように思われることがあるのです。

そして大橋巨泉さん、この方はそもそもジャズ評論家だった方で、私も、この人の話の影響でElla FitzgeraldやSarah Vaughanなどのジャズ女性ヴォーカリストの存在を知り聴くようになったのですが、それより以前の
1960年代中頃、TVにて大橋巨泉さんの総合司会で放映されていた、洋楽ポップスのヒット・チャートを紹介していた番組、”ビート・ポップス”が、それまで音楽にさほど興味なかった私に、多くの海外のアーティストとの触れ合いの場を提供し、洋楽の世界に興味を持つきっかけを与えたくれたということがあるのです。

その”ビート・ポップス”という番組、それは今でいう、”ベスト・ヒット・USA”のようなものなのですが、この番組で私は、The Beatlesは基よりThe Rolling Stones、Jimi Hendrix、Creamといった、現在もその偉業を称賛され続けるアーティストに出会うことが出来、六輔さんの活動も合わせ、そのお二人が、私のその後の音楽嗜好の形成に大きなく影響を及ぼしたと思えるのです。




そして、もう一人、永六輔さんの訃報と同じ日に報じられたこの人の訃報。

伊藤エミとユミ 双子の姉妹による女性デュエットのザ・ピーナッツ 。

ザ ピーナツ.jpg


そのピーナッツ姉妹の妹さんの方の伊藤ユミさんの訃報。
お姉さんのエミさんは4年前に71歳で既に亡くなっているのですが、このユミさんが逝ってしまったことで、TV画面越しにも、何か混沌した流れの中で、満ち溢れる熱い思いが見えた時代のスターが消えていった、既に時代の流れは大きく変わってしまったのだと、そのことを深く痛感してしまうのです。

そして、あらためて考えさせられてしまったのは、日本における和製ポップスの源を育んで行った彼女らの功績の大きさ、そこで今回は、そのピーナッツの歌を中心に、私が子供の頃に接した日本のポップ・ミュージック草創期を旅旅してみたいと思います。










さて、そのピーナッツが登場したのは、茶の間にTVが普及が進み始めた1961年こと。

TV時代の新しい音楽番組をという機運の中、当時、誕生したばかりの渡辺プロダクションと日本テレビによって企画された初の音楽バラエティ番組”シャボン玉ホリデー ”の主役としてでした。

この番組、ザ・ピーナッツの他、レギュラーとしてクレージー・キャッツの面々も主演、ザ・ピーナッツやゲストの歌との合間に彼らがコント披露するという、今考えると、後に国民的バラエティ番組となった”ドリフの全員集合!”の前身モデルともいえる番組で、まだガキだった私など、歌の方よりクレージー・キャッツのコントの方が面白く、近所の悪ガキどもと一緒に、植木等さんの「お呼びでない?.........お呼びでない?........これまたっ失礼いたしました!!!。」とか谷啓さん「ガチョ~~~ン!!」など、その流行語を真似しながら遊んでいたことが思い出されます。

しかし、そうしているうちに、悪ガキの中にも歌の方にも興味を持つ連中が現れて、当時この番組の中でよく歌われていた Neil Sedakaの”恋の片道切符”やPaul Ankaの"Diana"のフレーズを口ずさんで皆に聞かし、中でも”恋の片道切符”は、この歌の冒頭部の”Choo choo train”を”ちゅうちゅうちゅうタコかいな.....”などと歌って大いに盛り上がりながら、次第に洋楽の世界に引き込まれていった、そんな思い出が甦ってきます。


そうしたことで培った音楽への興味、私自身もいつの日か、この番組ラストに毎回ピーナッツが歌っていたジャズの名曲”Stardust”が、気に入ってしまい、それからしばらくして積極的に洋楽に接するようになっていたことが思い出されます。



これが、番組ラストに流れていたピーナッツの歌唱。

この映像にもあった、ピーナッツの後ろにクレージー・キャッツのリーダーのハナ肇が登場し彼女らの歌をバックで語るシーン、その最後にはピーナツの二人を中傷して、彼女らの肘鉄を食らって退散となるのですが、ガキの中でも奥手だった私は、この歌の良さがわからず、毎回ハナ肇をはじめクレージーのメンバー登場しが最後に何を言ってピーナッツから肘鉄を食らうのかを楽しみにしていたことを記憶しています。

そんな私が、この曲を親しむようになったのは、とある日、母の口ずさむこの曲のメロディを聴き、母からこの曲が有名なジャズのスタンダード・ナンバーであることを教えられてからなのですが、その後、この番組で植木等さんの弾くギター(あの無責任男やスーダラ節でお馴染みの植木さんですが、実はこの方、本来はれっきとしたジャズ・ギタリストだったのです。)をバックにこの曲を歌うピーナッツ、その演奏を見て以来、ますますこの曲が好きになってしまったのです。(これ、曲に記憶違いかもしれませんが、植木のギターとピーナッツが共演したのは間違いないことで、映像があるなら、もう一度見たいなと思っています。)

さて、その後のピーナッツ、この番組を通じて洋楽ポップスを日本全国のお茶の間に普及して行くことになるのですが、一方、日本人手による和製ポップスにも取り組み、”ふりむかないで” ”恋のバカンス ” ”恋のフーガ”など現在も歌い継がれるヒット曲を生み出し、この和製ポップスを定着させるに大きく貢献して行くことになるです。


そうした功績残したピーナッツですが、1975年に突如引退。
その後は、TVの表舞台に出てくることはなかったのですが、数年前その晩期に歌っていた曲を聴いてびっくり。

なんと、その頃 ポップから芸術へと進化しつつあったロック、当時ニュー・ロックと言われていたサウンドをいち早く取り入れ歌っていたのです。

それがこの曲!!



曲は、今や伝説となったプログレシッブ・ロックの元祖King Crimsonの、1969年、あのBeatlesの名盤”Abbey Road”をチャート1位から引きずり下ろしたことでも知られる、彼らのファースト・アルバムにして代表作の”In The Court Of The Crimson King(邦題:クリムゾン・キングの宮殿)”に収められていた”Epitaph(邦題:墓碑銘)”。

今だかって、この曲のカバーには、ほとんど出会ったことがないのですけど、この曲が発表されてからさほど時間が過ぎていないこの時期に、既にピーナッツがカバーしていたとは。

想像だにしなかった、この曲とピーナッツのムードのピッタリ感、初めて聴いたときは本当に新鮮でした。

そして、さらにもう一曲、こちらは1971年発表にされたプログレッシッブ系のハードロック曲。
こんな曲までカバーしていたのです。



曲は、英国のロック・バンド、Uriah Heepの1971年発表の作品”LOOK AT YOURSELF(邦題;対自核)”から表題曲の”LOOK AT YOURSELF(邦題;対自核)”です。

どちらかというとバラード曲の”Epitaph”ならいざ知らず、ハードなアップ・テンポのこの曲を、きっちりと歌い上げている、そのことに人気溺れることなく新しいサウンドを取り入れ熟そうとしてきた、そのプロ意識の高さに頭が下がる思いを感じました。

今回その訃報を機に、子供時代の思い出を頼りにして、彼女らの歌を聴き直してみたのですが、洗練さの面で問題はあるものの、非常に強いインパクトを残すその歌唱、そこにただならぬものがあったことを強く感じることになりました。


それでは最後に、藤あや子さんと坂本冬美さん、それとピーナッツの育て親である作曲家の宮川泰さんによる、ピーナッツの再現。

そうした映像を見つけましたので、それを見ながらピーナッツを偲ぶことにしたいと思います。






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コメント 10

moriyoko

ザ・ピーナッツ名前は知ってしましたが、こんなに色々なジャンルの歌を歌っていて、こんなにカッコ良かったんですね!
ちゃんと曲を聞いてみたくなりました。
by moriyoko (2016-07-30 23:36) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

moriyokoさん

考えてみればザ・ピーナッツの引退、あれからもう40年、今は、名前だけは知っているけどという世代の方がほとんどでしょうね。

しかし、彼女らの歌、時折、今の若い世代のアーティストが、カバーしているのですど、それを聴くと、古臭さを感じないのですよ。
彼女らのオリジナル曲”恋のフーガ”などから是非とも一度聴いてみてください。


by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2016-08-01 16:51) 

きたろう

しゃぼん玉ホリデーの、ザ・ピーナッツとハナ肇のかけあい、懐かしいですね[!!]
by きたろう (2016-08-02 07:32) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

きたろうさん

今でこそお笑いと女性タレントのかけあい、当たり前になっていますけど、あの当時は本当に新鮮でしたね。

あの番組、出来ることなればもう一度見てみたいものです


by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2016-08-02 17:44) 

yuzman1953

夢で会いましょう、大好きでした。
懐かしくて目頭が熱くなります。
by yuzman1953 (2016-08-03 11:14) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

yuzman1953さん

そうですね、ピーナッツの歌を聴いていると、夢で会いましょうもそうですが、ヒット・パレードとか、子供時代に見た日本の音楽シーンの数々の思い出が甦ってきますよね。

じっくりと味わって、若返りのエッセンス、十二分に吸収していただけたらと思います。



by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2016-08-03 21:58) 

ぼんぼちぼちぼち

シャボン玉ホリデー、リアルタイムではあっしは幼すぎて ラストの肘鉄くらいしかおぼえてないのでやすが、あの時代のジャズやアメリカンポップス好きでやす。
クレイジーも時々映画を観たりしてやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2016-08-04 13:31) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

ぼんぼちぼちぼちさん

ラストの肘鉄、あれはかなり印象的でしたよね。

しかし、私の場合この当時の洋楽、後に大きくなってからアーティストと曲名を聴いてもどんな曲なのかわからなかったのに、曲を聴いたらなんとなく歌えてしまったなんてことがありました。

そういう意味でも、あれは凄い番組だったのだなと思っています。
by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2016-08-06 16:05) 

raccoon

今年は、海外も日本も、著名な方の弔報が多いですね。
ザ・ピーナッツの引退が40年前なら、リアルタイムで聴いたのは、子供の時に「モスラ」を聴いた頃かもしれません。(再放送で)
二人とも、お亡くなりになったのですね。ご冥福を申し上げます。

Epitaph をカバーされている方は、他に西城秀樹さんがいますね。私も好きな曲です。
by raccoon (2016-08-07 14:33) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

raccoonさん

今年は、著名な方の訃報、本当に多いですね。
世代交代の大きな節目と考えれば、そうなのかもしれませんが寂しい限りです。

「モスラ」と言えば、ここで上げた”対自核”のイントロ、その「モスラ」のイメージを使ったのはと思うのですが、どう思います。

このEpitaph の演奏、ピーナッツも以外にもバックバンドの演奏が決まっているところが味噌。

実はこのバンド、その後世界にも名を知られた、高橋達也と東京ユニオンという日本屈指のジャズのビッグ・バンドなのですよ。
こちらの演奏もよく聴いていただければと思います。



by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2016-08-10 05:36) 

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